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ピアノの指番号と漢字の書き順

先日も書きましたが、私は子どもの頃、ピアノを習っていました。

幼稚園のお手紙の中にそのご案内のチラシがあって、私が「行きたい」と言ったそう。

最初はヤマハの幼児教室で、グループレッスンでした。

その後同じ先生のまま、個人レッスンに切り替わりました。

その時に教わっていた先生は当時で結構オバちゃんの先生で、厳しかったです。練習用楽譜も昔ながらのコースで(黄色いバイエルから始める)、一曲一曲余すことなくさせるタイプ。鍵盤を抑える指番号もきっちり守らないと怒られちゃうので、どちらかというと私はビクビクしながら受けていました。練習もサボりがち。

その後その先生はお辞めになったのか転勤だったのかで教われなくなり、代わりに近所で個人教室を開いている先生を紹介してくださいました。

次の先生は若く20代後半から30歳くらいで、「ピアノは楽しく!」がモットー。バイエルも「この曲はいっかー」と言って飛ばしちゃったり、指の開きが悪かった私に別の練習本をさせたりと柔軟な感じ。でも基本はもちろんきっちり。でも、弾けそうな曲ややってみたい曲をいうとそれも「やろうやろう!やりたい曲は上手になるのも早いよ!」と言ってやらせてくれる。楽しかったです。いつも横で見ていた妹もこの先生の時は習いたかったのか、幼稚園の2年だけ習いました。

しかし、次は父の転勤が決まり、こちらからお別れすることに。

転勤先ではどうしようかな、と思ったら、1番近所の同級生のお母さんがなんと先生だというので、そのままお願いしました。

友達と遊ぶ時は「〇〇ちゃんのおばちゃん」、レッスンでは「先生」をきっちり分けてくれました。笑

結果、この先生から1番長く教わることになったんですが、この先生も基本は大事にするものの、前の先生同様、「やはりピアノは楽しくなくちゃ」がモットーで教則本もやるけど、こちらにリクエストがあればそれでもいい、という先生でした。クリスマスに向けてB'zの『いつかのメリークリスマス』を練習させてくれたり(のちに聞くと、私が難しい年頃に来ていたし、中学生になると部活やテストで練習できないから、せめてピアノが嫌にならないように好きにさせていたとか。笑)

そして今でも忘れないのが、先生の言葉

「knkちゃん、指遣い、それがやり易い?めちゃくちゃだけど。笑」

いつの頃からか、私は鍵盤の指遣いを気にせず弾くようになっていたんです。最初の先生ではあんなに気にしていたのに。

普通はこう弾いた方がスムーズだし、やり易いだろーと言う弾き方をあまりしていなかった。無意識でした。

「はい。」

と答えると、

じゃあそのままでやろうか。普通聞いている人には正しい指遣いは見えないから

よほど無理なことをしていたら手に負担がかかるし、そもそもしないけど、自由に弾いてと言われたら余計楽しくなった。結局、中学を卒業するまで続けました。

この先生の言葉をこの間、思い出した。そしてとあることと結びついた。

これってさ、先日書いた漢字の書き順に似てない?

ラオスの補習校の話に。(補習校のことはすぐ下、漢字の書きついてはもう一つ下。)


漢字だって、書けたらヨシ、にしてあげたらもっともっと楽しくなるかもしれないのに。

私が最初の先生の指遣いまで細かい指導に萎縮していたように(でも先生自身は嫌いではなかった)、書き順も細かく言い過ぎたら負担になるよね?

さすがに覚えたい漢字から覚えなさいとは指導できないだろうけど、やっぱり「書けた」「覚えた」「読めた」が成り立てば書き順はそんなに拘らなくてもいいんじゃないかなぁ…とふと幼き日を思い出しながら感じた次第です。

ちなみにこの3番目の先生は他にも名言を残していて(亡くなっていません)

「間違えた文字は消しゴムで消せるけど、弾き間違えた音は消せない。だから一音一音、丁寧に弾かなきゃだめよ」

「心の入れ方で曲はいろんな顔になるからね、どんな顔にするかはknkちゃん次第よ」

「(大雨と雷の日にレッスンを受けていたら)ピアノは電気がなくても弾けるからそのまま続けましょう」

高校進学とともにまた引っ越しした私はそのままピアノから遠ざかってしまったけど、そもそもピアノ好きだったし、聞き取ったメロディを譜面に起こす練習や、譜面に書いてある指示を読み解くのも楽しかった。譜面に書いてあるイタリア語はのちのスペイン語学習に多いに役に立ちました。

ピアノは、また機会があればやりたいです。

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