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一期一会のおはなし―3


土を食べる

われわれ、お坊さんたちはテーブルに付く時、
「この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をいたします」
と静かに心で念じています。


私が尊敬しているオーストリア人の修道士、デヴィッド・スタインドル・ラストがこの言葉の意味を次の様に説明します。
「この言葉の意味を本当に実践して、お皿の上にあるものを観たら、つながりの終わりがないとよくわかるはずです。


結局、まあ、ほとんどの人はそれをあまり意識していませんが、最終的には私たちは常に土を食べていますよ。これは抽象的な話ではありません。非常に具体的なことなんですよ。野菜を食べる時、土の中の栄養分を吸収して成長した野菜を食べますし、塩は、土の中で結晶したものが海水に流れていき、その海水を煮つめて「塩」をとりだし食べます。当然、それらは地から出てくるものなのです。私たちは直接に土壌を食べます。


一緒に少し考えましょう。例えば、日本人は野菜が好きです。野菜が地の中のすべての栄養素によって栄養を与えられて、そして、今、私たちのお皿の上にあります。それらの植物の果実もそうです。


また、肉や魚を食べるならば、かれらも、まずその植物から栄養を与えられる草食動物、その草食動物を栄養源とする肉食動物と循環していきます。植物も、草食動物も、肉食動物も、枯れたり死んだら、土に帰り、土の栄養分となります。常にすべてのものが地球に戻ってくるのです。


しかし、それは一つの側面にすぎません。ほとんどの野菜が栽培されていたので、人々はそれを種まきし、収穫し、梱包し、輸送しなければならなかったでしょう。何千人もの人びとがいて、われわれが彼らの名前さえ知ることもできないし、決して会うこともできません。しかし、そういう無数の人びとのおかげで、あなたが、今、テーブルに付いて、それをすべて頂きます。


その瞬間、富士山を観ている時と全く一緒で、あなた一人だけでなく、家族も、お金、他の人の仕事、水、雲、木々、地まで、ご一緒にこの命を分かち合います。また、極端的に聞こえるかもしれないですが、

われわれ、お互いを食い合いますよ。

僕があなたを食べ、あなたも、また、僕を食べる。それは比喩ではありません。

大昔の古代インドの詩のなかではこうゆうふうに言います。


地、地から植物、植物から食べ物、そして食べ物から人間の体 ー
頭、腕、脚、心臓など。 食べ物からはすべての肉体が
作られます。
肉体は死後にもう一度食べ物からはすべての肉体が作られます。
そして肉体は死後、もう一度食物になります。
食べ物はすべてのものの中で最も重要です 。


ありがとう

私が菜食主義者で、レストランへ行って、例えば、ピザを注文したとき、このピザを肉抜きでおねがいしますといっても、よくハムが入っているピザがテーブルに運ばれてきます。
「肉抜きを注文したのに、ハムが入っているのですが、どういうことですか」
と聞いたら、店員は、
「ええ?だってハムは肉じゃないですよ」
と、答えたことがありました。


私がみなさんに聞きたいのは、
「ハムをみたら、何をたべているとおもいますか」
ということです。ハムは、最初からハムじゃありません。豚がいて、豚肉があって、それに塩や調味料が加わって、はじめてハムになるのです。
料理が食卓に乗るまでに、多くの人びとがかかわってきています。また、植物、動物の区別なく、すべての料理の食材には命があります。


だから、「おれはこれ嫌いだ」「こっちが食べたい」ではなく、いただいた命に感謝するのです。それが、また、本当の「ありがとう」の意味ですね。
食べものにかぎらず、「ありがとう」の心を私たちはわすれていますから、すべて、当たり前として使っています。朝、起きてから、お手洗いのところで、顔を洗う時、暖かい水がでたのを当たり前としてかんがえる。といか、水がでるかどうか、考えない。家を出て、駅のホームで電車を待っている時、電車がくるのも当たり前でしょう。電車を運転する人をだれもかんがえたことがないですね。


そういうごく当たり前のことは本当にありがたいです。ですから、一つ一つ瞬間、一つ一つのこと、一人一人の人が、一期一会です。そう考えますと、実は、この世界では当たり前、当然、のことは一つもないです。それこそが一期一会の本当の意味なのです。「おれがひとりでできるぞ」か「お前関係ねえよ」という人もいますが、それは馬鹿馬鹿しい話です。。
  

 みなさんのほとんどがiPhoneを使っているけど、そのiPhone造ったスティーブ・ジョブズが、こう言いました。

知っていると思いますが、
私たちは自分たちの食べ物のほとんどを作ってはいません。
私たちは他人の作った服を着て、
他人の作った言葉をしゃべたり、
他人が想像した数学を使っています。
何が言いたいのかというと、
私たちは常に何かを受け取っているということです。
そしてその人間の経験と知識の泉に
何かをお返しするようなことができれば
すばらしいことです


もしかして、かれの考え方が違う考え方であれば、皆さんは、今、自分の大好きなスマホを使うことができなかったかもしれません。でも、いくら話しても、それは最初に言った富士山とか、日本とか、東京とか、どういう関係があるか、というのがごく当然の質問です。


もちろん、普通は「僕は東京に住んでいます」「私はポーランド出身です」「来週富士山を見に行きます」など、言っていますし、それはなにもおかしいことではありません。しかし、さきほど申し上げたように、それぞれのものが他の無限のものに相互依存する。ヒマラヤ山脈のマウントエベレストもなければ、富士山もないし、ヨーロッパもなければ、日本も絶対あり得ないです。地球上のすべては、大地でつながっているのです。

つづく

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