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大学教員は「研究オタク」なのか?

先日、博士課程進学を諦めたある方の話を聞いた。「〇〇について研究することを生き甲斐・人生の最優先事項にすることはできない」という。研究者のイメージについてネットで調べてみる。世間では、研究者たるもの「研究第一」というイメージが強いらしい。なるほど、是非とも「研究者」を対象に、優先順位に関するアンケート調査などをしていただきたい。私にとっては、こうした言説は根拠薄弱な先入観のような感さえする。

これまで(といってもまだまだアラサーのペーペーですが)、様々な研究者と話をしてきた。以下では大学教員に話を限定するが、大学教員は、意識的にしろ無意識的にしろ研究、教育、プライベートの三要素にそれぞれ順位を付けながら生活している。上記のイメージでは、「研究>>>>>>>>>>>教育・プライベート」が典型的な大学教員ということになる。しかし、我々も「教員」である以上教育にも関わっているし、プライベートも充実させたいと願う人間である。実態はそう単純でない。

プライベートの位置づけはさておき、大学教員のスタイルは、極論、【研究>教育】型か【教育>研究】型のいずれかである。無論、不等号の数を増やして傾斜を付けたり等号をつけ足したり、といった修正は可能である。

【研究>教育】型の教員
研究のことがなにより好きで、教育は二の次である。稀に話がうまく研究の魅力が伝わってくる方や、講義が神がかり的に上手な方がいる。しかし、基本的には口下手で人付き合いが苦手な方が多く、授業やゼミはあまり面白くない(経験談)。上記の典型的な「研究者」のイメージである。
一方、このようなタイプの方とは一緒に仕事をしづらく、最近では採用が回避される傾向にある。そのような事情もあり、特に若手でこのタイプの教員はどんどん減少しているというのが正直な印象である。

【教育>研究】型の教員
私は、大学教員はむしろこのタイプの方が多いと感じている。日本の大学の大半を占める私学が欲しがるのは、こちらのタイプである。この類型の教員は、さらに以下のように分岐する。①教育活動を充実させるために、研究にも力を入れるタイプと、②教育活動が充実していれば役目を果たしているのだから、研究に力を入れないタイプである。当然、①が理想だ。
大学教員といったときに、「教育重視型の教員」というのは観念されにくい。この点、実にもったいなく思う。人生の最優先事項とは言えないまでも研究が好きで、その成果を人に話すことも好きな人は、間違いなく大学教員に向いている。是非とも大学における「教育」の側面にも目を向けていただきたい。

教育は、実に楽しい。小中高における教育も素晴らしいが、大学における教育は少し趣が異なる。学習指導要領はなく、自分自身の思うがままに、1から授業を組み立てることができる。授業の準備は確かに大変である。しかし自分の得た知識や研究成果を学生と分かち合うことができる。私の場合、研究していることの喜びを、学生の反応を通して得ていると言っても過言ではない。ゼミでは、約3年(大学によって異なるが)、同じ学生と関わっていくことになる。学生にとっては、社会に羽ばたく直前の期間である。ゼミの選択や教員との出会いは、その学生の人生に少なからず影響しうる。学生が卒業するとき、「先生のゼミを選んでよかった」と言ってもらえたら涙を流さずにはいられないだろう。

私は、研究それ自体を生き甲斐にしているわけではない。上記①を理想とし、教育の楽しさを噛み締めつつ、研究活動に取り組んでいる。
研究者を目指すには、確かにその道のプロフェッショナルになる必要がある。それは否定できない。しかし、研究の側面だけをみて研究者の道を判断するのではなく、大学で教育に携わる素晴らしさについても思いを巡らせてほしい。大学教員という職の素晴らしさは、まさにこの点にあると思う。



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