「結果を受け入れる」ということー人事を尽くして天命を待つ

パナソニック創業者である松下幸之助の本を読んで出会った言葉。

むかしからいわれている”人事をつくして天命を待つ”ということばーこれは古くて新しい真理です。人間はどんなときでも、やはり、やれるだけのことはやらなければいけない。考えて正しいと信じたら、誠心誠意やらなければならないのです。しかし、人事をつくせばことは成り、ことはすべて解決するかというと、けっしてそうではありません。人間以上の大きな力がそこに働くのです。運命といいましょうか。あなたにはあなたに、わたしにはわたしに与えれた天命がある。この天命には、素直に従うことが、わたしは必要だと思います。
人事はつくしても天命を待つことを知らない。そういう傾向を、わたしは現代に見ます。これだけやったのだから、これだけむくわれなければならない、という考え方です。それも当然のことでしょうが、しかしそこに、悩み・争いが生じる大きな原因があるのではないでしょうか。(・・・)期待どおりにいくこともあり、期待にそむかれることもあるでしょう。それはあなたの力を超えたものの働きだと思います。
どのような力が働こうとあわてることはありません。あなたはできるだけのことはした。そうして待つとき、必ずつぎの新しい道が、しぜんとひらけるのではないでしょうか。
松下幸之助『若さに贈る』から引用

引用がとてつもなく長くなってしまいましたが、スラスラと読めたのではないでしょうか?

誰しもが、「これだけやったのに・・・」と挫折した経験はあると思うんです。苦労した割には望んだ結果が得られないということですね。

これは「努力すれば、望んだアウトプットが得られる」という期待によるものです。
僕の推測では、資本主義システムと共に人々の間で広まり深く根付いてきた”アメリカンドリーム”というイデオロギーと同じものでしょう。

資本主義社会では実力をつけていったものがお金を中心に、欲しいものを手に入れることができる。「出自に関係なく」です。だからどのような人であろうと、何かを手に入れるために「努力」をします。努力した末に望むものが手に入った経験は何にも代え難い快感です。それらを通して、「努力→結果」という因果律は根強く広まっていきました。

しかし僕たちは知っています。「努力は必ずしも報われるわけではない」ということを。人間が認識できるものなんてほんのちょっとですから、結果に必ず結びつく方法なんてわかるわけがない。わからないのだから、できるわけもない。

それでも

努力することでしか結果は得られない

わけです。

松下幸之助が言うように、だからこそ「人間はどんなときでも、やはり、やれるだけのことはやらなければいけない」のです。『7つの習慣』でコヴィー氏が述べている「影響の輪」といった概念や、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの「生・哲学」も言わんとしていることは同じです。

自分ができることを最大限やること

これによって、得られる時も、得られない時もある。ダメだった時は仕方がない。だって、自分にはどうしようもなかったのだから。こうして受け入れることが、次の何かに進む一歩だと。

「人事を尽くして天命を待つ」を身に着けることは、ゆくゆくは自分の幸せに繋がると僕は思います。なぜか。

だいたい人は未来のことを心配して足が止まってしまいます。でも未来なんて本来誰にも分からないはずです。だったら、「今、自分にできることを最大限やる」しかないんです。今、自分にできることを最大限やって、未来で望む結果が得られなくても「自分はこれだけやった」という充実した過程が残ります。それは自分の自信という形で貯金されていきます。そして次に進むことができます。

現実をありのままに受け入れ、自分は自分のできることをやる、これって真理だと思うんです。そして充実感のある人生の重要な要素だなと。

このようにして、「人事を尽くして天命を待つ」(=結果をありのままに受けれいること)と「今を生きること」は繋がるわけです。

前に書いたノートと直接繋がる話です。
https://note.mu/bubbleskotaro/n/nf9326b257e89

今自分にできることって何だろう。見つかったらそれに真摯に向かっていくことです。どうなっても怖くはない。必ずまた新しい何かが見つかるから。

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