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知識・スキルゼロの未経験から、建築士になり独立するまでのリアルな話


1.30歳を過ぎてから「好きなことを仕事にしよう」と真剣に考えた


20代は自分がやりたいことが分からなくて、ずっと自分探しをしていました。外の世界に飛び出してみたくて、環境を学びにオーストラリアのタスマニアに2年間滞在し、現地で出会った人と国際結婚をしたりと思うがままに動いていました。

タスマニアの州都ホバートの港・タスマニアで環境を学びましたが、日本に帰ってから仕事には結びつけられませんでした。


仕事は東京で専門性のない事務職。本当に何がやりたいのか分からずもやもやを抱えていました。

仕事を辞め、離婚をしたことが重なり、将来計画が白紙になりました。これから先も東京で満員電車に揺られながら通勤し、事務職の仕事しながら淡々と日々を過ごすという未来に耐えられなくなりました

どうせやけっぱちな状態なんだから、「好きな場所に住んで、好きな仕事をしよう」をテーマに掲げ、旅に出ることにしました。

当時31歳。
安定や条件での職探しを断固として脇へ追いやり、「自分が興味あること、好きなことを仕事にするぞとやっと覚悟を決めた時でした。

オーストラリアのメルボルンに1ヶ月滞在後に、紀伊半島を回り、山陰・山陽、四国、九州と西日本を中心に旅して回りました。愛媛に来る前には淡路島にも2ヶ月住んでみました。

2.地方移住と同時に建築の道へ足を踏み入れる


国内を旅して回り、はじめてやってきた愛媛が気に入り、勢いで移住を決めました。でも愛媛には知り合いも誰一人いませんでしたし、仕事の当てはまったくありませんでした。

海の側に住みたいと愛媛にやってきました(ここからは手描きイラストでいってみまーす)


興味があったのは「建築設計の仕事」でした。東京でよく遊んでいた友人の建築デザイナーさんの影響でした。当時は自分が建築設計の仕事をできるとこれっぽっちも思っていませんでしたが、友人の設計デザインの話を聞いているとワクワクしたのを覚えていました。

建築の大学を出ているわけでもないし、建築業界での経験もまったくない私が、どうやって建築設計の仕事をしたらいいのだろう?

さっぱり分からず途方にくれました。
建築士になんて、まったくなれる気がしない・・・。

絵を描くのは昔から好きでした。


3.え!?建築士の試験を受けるのに7年もかかるんですか?


まずは本屋に行って、建築士になるにはどうすればいいかが書いてある本を立ち読みしました。
建築系の大学を出ていない人は、設計監理の実務経験を7年積まなければ、二級建築士の試験すら受けることができない、ということが分かりました。現実という名の無慈悲な壁が立ちはだかりました。

これはかなりハードル高い! はい、終了!
というのが、最初に思ったことです。

すぐに壁にぶつかりました・・・


数学はずっと赤点だった私が試験に受かるのか?

人生とは面白いものです。建築士になるのをあきらめかけそうになったすぐ後に松山の職安に行ったら、職業訓練校で建築を学べるコースを目にしたのでしす。これだっ!とすぐに願書を出しました。

そして第2の壁。試験と面接があると聞き、やばいっ!となりました。数学の授業では居眠りしてて赤点で、社会人になってからは数学は私の人生には存在しないものとしていました。

どうしても入学したかった私は学校に電話をかけ、建築の担任の先生を呼び出し、次の質問をしました。

「数学って何がでるんですか?」

そんな質問をしてしまうくらい必死だったのです。
リーマンショックの翌年で、職業訓練校がこれまでになく倍率が高くなっていましたが、試験と面接をくぐりぬけ、なんとか滑り込むことができました。

幸運なことに、雇用保険をもらいながら建築を学ぶことができました。

4.間違った道を選んだのかもしれないと思い続けた苦悩の日々


一年間、職業訓練校の総合建築科で学び、卒業と同時に地元の工務店に就職することができました。そこでは8年間、木造の注文住宅の設計監理の経験を積みました。

耳をふさいだ他人の声:「(不景気真っただ中だったので)愛媛ではコネがなければ就職できないよ」「方向音痴には建築は無理よ」

小さな会社だったので福利厚生はないに等しく、サービス残業、サービス出勤当たり前。家に帰っても休みの日でも仕事をしている状態が続きました。その多忙な日々の隙間に試験勉強を入れ込み、なんとか二級建築士に受かることができました。その代わり、プライベートはボロボロでした。心の余裕もなく、体調も次から次へとおかしくなりました。仕事しかしていないのに給料は少なく、東京で働いた貯金を崩しながらの生活でした。

念願だった建築設計の仕事に就き、建築士にもなれたのに、幸せとは程遠い生活。プライベートを犠牲にして、遊ぶ時間もないほど仕事しているのに、ワーキングプア状態。

また、プライベートでも事件が次々と起こり、食べれない、眠れない、うつ状態になって、心が折れて立ち直れなくなってもおかしくない、ギリギリのところにいました。

この雨はいつ止むのだろうか・・・

好きな仕事を選んだはずなのに、これが本当に望んでいた生活なの?

間違った場所にやってきて、間違った道を選んだのではないか、と何度も思いました。出口が見えない苦しい日々は30代の間ずっと続きました。

5.「好きな仕事」は自らつくり出すもの


会社員だった最後の3年間は、副業もやりながら掛け持ちでプロジェクトを持っていたので、一日15時間くらい仕事をして、土日もお正月も休まずに働いていました。

このままでは身が持たない・・・


転機は40代に入り、会社員を辞める決意をしてから起こりました。フリーになってやっていける自信はまったくありませんでしたが、「今ここで決断しなければ後悔する」という直観を信じ、脱サラしフリーランスになりました。

会社員最後の数年間は友人が頼んでくれたりして、自分でも仕事を取るようになってきました。
この家も友人が頼んでくれた会社員時代最後の住宅。
友人宅は家が完成した後も遊びに行っています。

はじめはバイト掛けもち

フリーになった当初は、意匠設計事務所でRC造やS造の商設計にトライさせてもらったり、構造設計事務所でアルバイトをさせてもらいながら、日々の生活費をやりくりました。

木造住宅以外のRC造やS造も経験しました。
当時関わった設計


運命の出会いは、覚悟を決めた直後に起こった

フリーになって3年後、再び覚悟を決める時がやってきました。それは、これからの私の向かう建築の方向性です。きっかけは、デザイン重視、安さや見た目だけでビニールクロスを選択するやり方に心から嫌気が差し、気持ちが受けつけなくなっている自分を発見した時でした。

そして次のようにキッパリと自分に申し渡しました。

  • 何でも屋にはならない

  • 好きな仕事は自分でつくり出す

  • 一緒に仕事をする人を選ぶ

  • 木造住宅専門でいく

  • 自然素材でつくる(新建材を極力使わない)

  • 環境と健康のことを追求する

未来は見えないし自信はないけど、道をつくり出そうと決めました。

決意をして間もなく、私の仕事人生を左右する出会いがありました。それは現在共に仕事をしている手刻みの大工さんたちとの出会いでした。自分の仕事に誇りを持ち、環境のことを考えて自然素材で木組みの家をつくっている大工さんたちでした。

元宮大工みずき工房の水木さん
私より若いのに20年以上手刻みを続けてきた大工の村田さん
高いスキルを持つだけでなく、助け合いの精神にあふれ仲間想いの大工さんたち

その大工さんたちと出会えた時、愛媛に来てはじめて、「ああ、やっと自分の居場所ができた」と心の奥底が温かくなるのを感じました。

仲間の大工さんたちと仕事のは、これまでにない幸せを感じます。


6.何かを手に入れたかったら、それに対する対価を差し出さなくてはならない


大工さんたちとの出会いが、私を大きく突き動かすことになりました。

手刻みを自ら選んでいる30代~40代の大工さんたち


まずは自分の設計事務所を立ち上げました。建築の方向性がはっきりしたため、大工さんと組んで、設計だけでなく施工もやることにしました。

職人さんとも直接やりとりしています。工務店で施工監理も経験していたので、設計だけにとどまらず施工もやることにしました。

それからすぐに、自然素材の事務所&ショールームが欲しくてたまらなくなりました。

不動産を購入しリノベし、住居兼事務所を実現しました。
大工さんとの打合わせ
住宅の新築
30年経った住宅のリノベーション
古民家リノベーション


お施主さんや大工さんを交えての交流
仲間たちとのBBQ

建築の仕事を夢見て、何度も壁にぶつかり、挫折しそうになり、今いる場所にたどりつくまでには、長い時間がかかりました。

現在、心から仕事が好きで、仕事に対して深い愛情を感じることができるようになり、仕事仲間といると幸せを感じます。20代に環境を学んだことも、ここにきて建築の仕事に結びつけることができました。

好きな仕事というのは、見つけるものじゃないんだな、と今になって思います。時間をかけて自分の選んだ仕事を好きになっていく、好きな仕事にしていくものなんだ。それが個人的な体験を通じて学んだことです。

そして悩みや葛藤が大きければ大きいほど、苦し時期が長ければ長いほど、その後に手にする喜びや幸せも大きくなる。

何かを手に入れたかったら、それに対する対価を差し出さなくてはならない

これが、私が「好きなことを仕事にしよう!」と未知の世界に飛び込んで、14年経って心の底から腑に落ちたことです。

そして、ここに来てやっと自分で築いた土台のスタートラインに立ったのです。


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