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「ひとり」の重み

新しい町に引越してしばらく経った。

周りはまだまだ知らない道ばかりで、毎日が新しい発見の日々である。

都会での「ひとり」と田舎での「ひとり」。

今、私は一応都内にいる。(まあ、隣の駅は「県」なのだが・・)だから、そこを「田舎」と呼ぶのには少々語弊があるかもしれない。
だが、前に4年間住んでいた場所が東京のド真ん中だったから、この表現を使うのを許してほしい。

4年前の上京当初、私は大学へは徒歩圏内という恵まれた立地だが、昼間はビルの工事の音が、夜には会社終わりの人や酔っ払いの声が聞こえてくる部屋が、騒がしくてあまり好きではなかった。加えて、そこで4年間暮らさなければならないことに絶望すらも感じていた。

私は元々、東北地方出身で、家は森と田んぼに囲まれている環境で育った。

そこは車社会で、ほとんどの人は車で移動するため、人が道を歩いていることは稀であり、酔っぱらいが道で騒いでいることなんてないところだ。もちろん、土地開発の工事も行われておらず、たまに電車が通ったり猫のケンカが勃発したりする時以外は本当に「無音」の世界だった。それ故、余計に都会の喧騒にカルチャーショックを覚えたのだ。

そして今、今度はいわゆる「閑静な住宅街」の一角にあるアパートに住んでいる。周りに建つ家やマンション、アパートには昔から住む人たちや、ファミリー層が多い。

実は22年間、住宅街に住むことに憧れを抱いていたのだが、実際に住んでみると、一人暮らしにこれはキツイかも・・と思ってしまった。

いや、もしかすると新興住宅地ならまた感じ方は違うのかもしれないが、少なくとも今、昔ながらに存在する住宅街に新参者として一人で住むのはとても肩身が狭いし、さみしい。

都会の「ひとり」よりもなんとなく重みを感じるのである。

人情味に溢れる街に憧れるのに、実際は人間関係の希薄な街に安心感を抱いてしまう・・
「○○に住む△△さん」よりも「どこかに住む誰かさん。でもよく見掛ける顔だなあ」位の認識の方が気楽で居やすい。

さみしがり屋なのか違うのか・・

人の温かみに触れたいのに、近すぎると不安を感じ、既に出来上がっているコミュニティには警戒し、放っておいてもらいたくなるなんてワガママなのは分かっている。

やはりこれも「慣れ」しかないのだろうか?

う~~~ん・・
さみしい。

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