「発達障害というスキルがある」と考えてみては?
どう考えても、超絶ポジティブな方が幸せである。事実かどうかなど関係ない。例えば、スピーチは下手だけど文字を書くのが上手い人がいる。スピーチの下手さに必要以上に固執する必要はない。文章で才能を伸ばせばいい。実は、気がつくと自信がついてスピーチの力まで付いちゃたりする。
もう一つ、フィリピンで学んだことの一つ。ポジティブな人の方が絶対に幸せ!ということ。内向的だろうと外交的だろうと、ポジティブさというのはおそらく練習次第、心構え次第でどうにかなる。ポジティブさを失わせるものはなんなのか、それはもしかしたら教育かもしれないし、親かもしれない。
「世の中そんなに甘くないよ」という余計なお世話に基づくネガティヴインフォメーションに支配されちゃいけない。
発達障害について、マインドチェンジをしてみよう。発達障害という言葉だけで、既にあなたは自尊心を損なっている。これはフェアではない。発達障害という言葉の暴力で失うものがあるとすれば、それと引き換えに何かを得ているはずだ。(何かを得れば、何かを失う、逆も然りの法則)
これは、考えてみる価値がありそうだ。僕の場合、発達障害というけがわらしい称号を得ることで、自分の生きづらさを言語化することができた。自尊心は失ったけれど、わけのわからない自分の特性に気づくことができた。
さきほどの、スピーチは苦手だけど文章が上手い人の話。文章の才能をいかせばいい。整理してみる。
A,スピーチは苦手
B,文章が得意
A,発達障害
B,特性をしれた
Aがいいこと、Bが悪いこと。
超絶ポジティブな方が幸せなんです。つまり、発達障害をいつまでも気にしているのは、文章が上手い人がスピーチが苦手なことをくよくよ悩んでいるようなもの。特性をしれたことに、まず超絶ポジティブになってみよう。
次。その特性はどんなものか?いい面と悪い面がある。
これは人によるので、あくまでも僕の場合。
◾︎いい面
一度目標を定めると、ストイックに目標を追う。
孤独に強い
人が気がつかない視線で物事を考えられる。
悪い面
人にあまり興味がない。集団が苦手。
心配をしすぎる。未来への失敗の恐れが多い。
人のペースに合わせることが嫌い。
発達障害という言葉は、この悪い面が過度に生活に悪影響を及ぼした時に診断される。困っていなければ、発達障害の診断はおりない。
ここでも、超絶ポジティブ理論。人が普通にできないことを、やってのけるスキルを持っているんです。誰がなんと言おうと、僕はそれをポジティブに捉えていい。いや、幸せになる為には、超絶ポジティブにいい面ばかりを見なければいけない。
僕はこれからすごいことを成し遂げる。自分の強みを利用して、輝かしい未来を作り上げる。誰がなんと言おうと、自分のいい面に目を向け続ける。
悪いけど、短所はしばらくお預け。長所を伸ばすと、自然と弱点もカバーされていく。
野村克也さんのみ、短所を克服することが長所を伸ばすと主張していますが、これは論点がずれています。長所が明確にある時に、短所を認識して克服しようとすることが大切だと言っているのであって、長所を伸ばすなと言っているわけではない。長所を伸ばすことに関しては、同一意見な訳です。
僕は今日、こんな風にマインドセットした。発達障害をコンプレックスにしてはならない。発達障害というスキルを持っているんだと思おう。誰がどう反論しようと、あなたの幸せを守るのは、あなただけなのだから。
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