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やっぱりこれからは図工・美術だ_02 目指すのはボーダレスな学び[前編]

「わたしの図工美術」第2弾として、音楽家として活躍しながら、子どもと大人が楽しめるものづくりのアトリエを主宰しているシーナアキコさんと、秋田県大仙市立西仙北中学校美術教諭の田中真二朗先生に「学び」について語り合っていただきました。
シーナさんは音楽と図工・美術には共通点があると語り、田中先生はそこから新たなひらめきを得たようです。お二人の言葉からは子どもの学びへの熱い思いが伝わってきます。子どもの頃の思い出や創作への思い、そして、未来をつくる子どもたちのために図工・美術ができることは──。

手を動かすうちに見えてくるもの

田中真二朗先生(以下、田中):シーナさんの今の創作活動に子どもの頃の図工・美術がつながっていると思われますか?

シーナアキコさん(以下、シーナ):子どもの頃から何かと何かを組み合わせることを考えるのが好きでした。それが今、楽器に限らずものや体を使って出す音で、自分がいいと思った音色を組み合わせて音楽として組み立てるというスタイルにつながっているような気はしますね。

田中:音楽家として活動しながら、子どものものづくりの場をつくる活動もされている。自分がつくる場合と人がつくる場合、両方を体験されていると思いますが、その中で表現することにはどんな意味があると思いますか?

シーナ:日常生活ではみんな無意識にいろんなことをしていますよね。たとえば息を吸って吐いてとか、歩くとか。そういう意識していないことを意識してみると面白いことって毎日の中にたくさんあって。わたしが何かをつくるとき、そういうものを大事にしたいと思っています。音楽をつくるとき、直感でやる部分もあるけれど、テーマにはもちろん寄り添いながら、その背景や裏側を考えて「実はこうなんだよ」といったアザーストーリーのようなメッセージを必ず入れるようにしています。
表現というのは、美術でも音楽でも、自分の心を自由にそのまま形にすることだと思います。あとは、つくりながら自分の心を整理できるものでもあるなあと。わたしもそうですが、頭の中のアイデアがまとまらないときは、思いつくままに断片的にモチーフをつくり並べていくうちに、こういうことがやりたかったんだと見えてくることがあるんです。手を動かしてやってみると気がつくことがあるという感じですね。

田中:最初からこういうものをつくりたいというのがあるわけではないのですか?

シーナ:そういうことももちろんあります。ただ、ズッコロッカに参加する子どもたちを見ていると、子どもってつくりたいものが明確だなと。この遊びがしたいから、この遊びに足りないものをつくるみたいな感じ。小さな子ほど製作に迷いがなく大胆ですよね。それにくらべるとわたしは、大人になるまでいろいろなものを見聞きして引き出しは増えたかもしれませんが、逆にそれによって迷いも生まれて本当にこれでいいと決断するまでに時間がかかります。よし、これでいこうと思うまでに、あえてまったく違う作品をつくることもあります。違う音色、違うテンポ感、違う切り口でやったらどうなるかなと一度やってみてから、やっぱりこれだなとわかるような感じです。

田中:その方法ってすごく図工と似ている気がします。いろいろな材料があって、自分で手を動かしながらやっていったら、あっ、こんな感じでいいかも、というのがだんだん作品になっていくみたいな。中学校の美術でも、材料と関わりながら少しずつイメージが広がってきたり、友達のつくっているものを見て突然何かをひらめいたりしますね。誰もが最初から進むべきゴールが見えているわけではなくて、一人ひとりがいろんな道を通って、失敗したり、戻ってみたり、新しい方法でチャレンジしたりしています。こういうプロセスが学びだと思うんです。だから、もっと子ども一人ひとりの制作のプロセスに寄り添っていくことが大切だと思います。

図工・美術と音楽の共通点

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田中:シーナさんは幼稚園や小学校で特別授業をされているそうですが、たとえばどんな授業をされたのですか?

シーナ:東京都府中市の小学校で図工を教えている山内佑輔先生が学校に呼んでくださったときのことをお話ししますね。普段図工室では体験できないことをやりたいということだったので、せっかくだからいつも授業で使っている道具や素材全てを「音色の素材」として見方を変えて、図工室にある素材を使って、いろんな素材を叩いたり擦り合わせたりして音をつくりだすところから始めました。
わたしも硬いマレット(打楽器の演奏に用いるバチ)や大きいマレットなど素材感の違うものをたくさん持っていって「何を使っても、組み合わせてもいいから、他の人がまだ見つけていないような音を探して、どんどん録音していこう」と、子ども自身にマイクを持ってもらい録音しました。
あえてマイクの扱い方を教えずに取り組んでもらうのですが、音が出ている方向とは全然違うほうにマイクを向けたり、マイクを手で触ってしまって出している音よりも触る音のほうが大きく録れていたりする子もいましたが、それも含めて気づきにつながると思っています。
録音した音は、その場で加工してピッチを変えてみたり、サンプラーに入れて組み合わせてすぐリズムにしてみたりすると、子どもたちはそれだけでもはじめは興味津々です。
身近なものも見方を変えただけでそこから音楽が生まれる面白さに気づいてもらいつつ、その音色を使いながら展覧会のサウンドロゴをつくる授業をしました。
まずはわたしが仕事でつくったものも含め、日々テレビなどで耳にするサウンドロゴを聴いてもらってイントロクイズをしました。みんな即答できるんです。日々何気なく流れる数秒の音楽(サウンドロゴ)が、実はこんなにも日常で親しみのあるものになっているんだと気づいてもらった後、校歌をロック、ボサノバなどいろいろなバージョンで演奏することによって、同じメロディーでもテンポやリズムが違うと聴こえ方が違うことを体感してもらい、音というものは、イメージを膨らませるのに大切なものだということを伝えました。
その学年は3クラスだったので、各クラスで展覧会でどんなことを伝えたいかどんなイメージなのか、いろいろな言葉を出し合い、それを表現するにはどんなテンポなのか、どんな音色が効果的かを考えました。そのテーマに向かって今まで集めた音色や子どもの声を組み合わせ、そこにクラスによってはみんなのイメージに近づけるためにわたしが演奏した音も重ねてつくりました。子どものやりたいテーマに向かって、音を具体化していく。まるで子どもがクライアントでした(笑)

田中:それは楽しいですね。自分たちで材料を使って音をつくるのも楽しいし、図工と音楽のコラボレーション授業になりましたね。

シーナ:わたしは図工・美術と音楽って近いものがあると思っています。“音”と“もの=材料”という素材は違いますが、図工・美術も音楽も組み合わせから生まれるハーモニーをどう「表現」するかで作品が変わってくるところがすごく似ていると思います。

田中:でも、図工・美術には、音楽のテンポのようなスピード感がないような気がします。

シーナ:たしかに音楽は、流れる時間を刻んで拍にして、そこから生まれるビートの繰り返しによってスピード感や心地よさが得られますよね。一方、そのテンポや拍子そして音程に囚われてしまい、表現としての面白さよりも、そこから外れることがいけないと感じてしまいかねないのが、子どもを見ていてもったいないなと思います。図工・美術のほうがより表現方法に自由度が感じやすい気がしました。その人の表現として成り立ちますよね。図工は自由に材料を選んで、「やりたい」という気持ちと向き合える、すごくいい機会だと、ズッコロッカを始めてより一層思うようになりました。

田中:とくに図工は、身体性というか感覚をとても大切にする教科なんですね。これからの社会はAIをはじめとするデジタルテクノロジーを使いこなす時代に入っていくので、人間のもっている感覚がより大切になると思います。
さきほどの音楽づくりのお話の中で「無意識を意識する」とおっしゃっていましたが、僕も中学校美術の授業で、無意識を意識化するようなことができると、きっとすごく面白くなると思うんです。
普段意識していない呼吸の間隔とか心拍数とか、歩く間隔なんかも無意識のリズムがありますが、人それぞれの無意識を音や形で表すことでいろんな気づきが生まれると思います。それを重ねたり、比較したりすることで作品ができるんじゃないかと考えました。直感で描いた絵を楽譜に見立てて音に変換して演奏するとか、実験的な授業がどんどん生まれそうです。

一人ひとりの違いに気づく授業

シーナ:小学生の頃、自分の「好き」を優先するより「みんなと一緒」なことにいつの間にか安心感を抱くようになっていました。みんなは同じものを持っているのに、自分だけ違うのがどうしてもいやで、なぜみんなと同じものがほしいのかを父にプレゼンしたこともあります。
でも、考えてみたら「いろいろなものがあって、その中であなたはこれが好きなんだね」と気づかせてくれたほうが、どれほど楽だったろうと思います。
“自分だけが違う“のがいやな一方で、“みんなと同じ”を求めるのも苦しさがありました。
今、不定期ですが東京都内の発達支援センターの放課後デイサービスのお手伝いもしていますが、そこに来る子たちには、人とくらべることや違うことで苦しみを味わってほしくない。いろいろなことがある中で、自分で選択して、ここにいるということに気づいてほしいと思います。

田中:僕が授業でとても大切にしているのが、人と違うということをまず自分で認識することと、それを認め合うことなんですね。中学校の新入生には、最初の授業で、人はそれぞれ見方も感覚も違うということをわからせることから始めます。

シーナ:それはどんなやり方をするのですか?

田中:アートカードを使います。気に入ったり感覚的に自分に近いと感じたりした絵や作品を選んで、クラスの人とくらべると違いが見えてくる。あとは、同じ花を描かせる題材もあります。たとえば花の形だけでも視点の違いがわかるし、自分なりに感じた花の生命力をオーラにして描かせると、それこそ色も違うし、色のつけ方も違う。同じものを見ているのにまったく違う絵ができあがる。そういった題材を通して、人はそれぞれ違うのが当たり前なんだということを実感させるんですね。

シーナ:それはすごく大切ですね。わたしは大学で音楽を専攻したのですが、大学ではどうしてもクラシックが中心なんですね。もちろん音楽を深める上でクラシックを学ぶことはとても大切なことですが、音楽を扱うからこそ、様々な音楽、表現方法に触れる機会がもっと必要だったなと思います。

今でこそ、いろいろな音色と出会う楽しさに気づき、トイやガラクタなど多様な音色に啓発されて表現する楽しさを見つけましたが、あの当時のわたしは、良くも悪くもクラシックが音楽のすべて。そして正確に演奏することに囚われ、表現するために音楽があることを忘れていました。
気づけばそれなりに手は動くようになり技術は上がり音楽の知識も少しはつきましたが、それをどう自分の表現として活かせるか考えぬうちに卒業してしまった感じです。でも結局は自分で冒険せず、というか冒険の仕方もわからず知ろうとせず、それがすべてだと自分で自分を狭めてしまったのかもしれません。
だから、先生が新入生にいろいろなことに気づかせるような授業するのはとても素敵です。わたしも思春期に田中先生と出会いたかったです。

田中:僕たち教師はどうしても教科の枠の中に入り込んでしまうのかもしれません。図工は図工、音楽は音楽、国語は国語……のように。最近はもっと広がりをもたせるようになってきて「教科横断」という言葉もでてきましたが、それをもっと深めていけたらと思います。
図工・美術の授業で作品をつくっておしまいではなく、その先にいろいろ発展していけたらと思うんですね。人にどう見せるかとか、どうやって伝えていくことができるのかとか。
音楽でも、たとえば授業でサンプリングを習って心拍の音で音楽をつくって、その経験から人の体に興味をもって医学の道に進む人がいてもいいし。音楽や図工・美術という感覚を使う教科はたくさんの可能性を秘めていると思いますね。

-----「わたしの図工・美術」やっぱりこれからは図工・美術だ 02  目指すのはボーダレスな学び[後編]へつづく。


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シーナアキコ:マリンバ・ピアノ・ガラクタ演奏家。CM音楽や NHKを始め様々な映像音楽制作に携わる他、文化庁による文化芸術による子どもの育成事業に携わり、小学生から高校生までの音楽の授業から、木の楽器作りのワークショップなど親子で楽しめる時間もプロデュースしている。昨年6月からは 大人も子どもも楽しめるワークショップや演奏会を行うスペース『あそびのアトリエズッコロッカ』を図工の先生みずのさやかと共に始動
HP:http://c-bara.strikingly.com 
ZUCCO ROCCA HP:http://zucco.mystrikingly.com/
田中真二郎:1980年 秋田県生まれ。秋田県大仙市立西仙北中学校教諭。宮城教育大学大学院修了後、宮城県私立高校非常勤講師、秋田県内公立中学校を経て2013年より現職(2014~2016年度、国立教育政策研究所 教育課程研究指定校に指定)。作品だけではなく、生徒の思考の痕跡や授業の意義なども展示する「美術の時間」展を毎年開催している。地域と密接に結びついた授業実践を軸に学校内外問わず、地域住民とともに授業を展開し、2012年には「目指せ、和菓子職人!地域の創作和菓子」などの美術展の実践が博報堂賞を受賞。これからの社会を生きていく「未来の大人」と一緒に、美術って何だろう?と悩みながら日々色々な発見をしている。昨年、その実践をまとめた『造形的な見方・考え方を働かせる 中学校美術題材&授業プラン36』を上梓。

取材・文:伊部玉紀 撮影:大崎えりや
※この記事は、『BSSカタログ2020』の巻頭特集インタビューを一部加筆・修正しています。
美術出版エデュケーショナル デジタルカタログ『BSSカタログ2020』

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