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やっぱりこれからは図工・美術だ_01 学びはすべてつながっている[前編]

世界的に活躍されているアートディレクター/アーティストの増田セバスチャンさんと、東京都葛飾区立こすげ小学校の堀江美由紀先生に「学び」について語り合っていただきました。創作活動をしながら子どもと一緒にワークショップを行う増田さんと、企業でのアートディレクターという経験を経て図工の先生になられた堀江先生、共通点の多いお二人のお話から、新しい図工・美術の可能性が見えてきました。

「人を驚かせたい」という思いから始まった

堀江美由紀先生(以下、堀江):お会いする前に増田さんのご著書(『世界にひとつだけの「カワイイ」の見つけ方』)を読んで、増田さんが子ども時代の感性を大事にしていると書かれていたのが印象的でした。わたしは大学を卒業して一般企業でデザイナーとして勤めた後、教師になりました。図画工作の教師になって日々子どもの表現に触れる中で、ハッとさせられる瞬間がたくさんあります。

増田セバスチャンさん(以下、増田):自分が生まれ育った街は、やんちゃな子どもが多いエリアで、昭和の時代ですので、とくにそういう子が多かったんですね。そんな中、僕も子ども時代はやんちゃで、いたずらばかりしていました。
でもずっと絵を描くことは好きで、とくにドラえもんが大好きでよく描いていました。あとは先生の似顔絵。学校の休み時間、黒板に先生の似顔絵を描くと、それを見た先生がすごく怒るんです。きれいに描くと怒らないのに、似ていれば似ているほど怒るんです(笑)。そういう反応も面白くて、よく絵を描いていました。
でも図工が得意だったかというとそうでもなくて。なんだかみんなが正解に向かって描いているような、先生もきれいに描くことを求めているような、そんな感じがいやだなと思っていました。自分の描きたいものとは違うし、僕は色の見え方が他の人と違っていて、見える色の種類が多かったので、出される課題に違和感があって。だから、あんまり図工・美術は好きではなかったですね。

堀江:わたしもそういう図工・美術の授業を受けていた世代です。昔にくらべると今の図工は、子どもの表現に寛容になっています。世の中の変化とともに変わっていっているんですね。増田さんは図工・美術の授業をあまり楽しめなかったけれど、表現したいという思いをずっともっていられたのはなぜですか? 何かきっかけがあったのでしょうか。

増田:図工・美術では自分は本当にダメだと思っていました。でも、絵がうまいからクラスでは人気者で。だからずっと絵を描くことは好きで、中学に進学するときに美術系の学校に進みたいと親に言ったら、「そんな学校に進むのは、お金持ちか画家の子どもだけよ」と言われて断念した経験があります。それで、公立中学校に進みましたが、もしあの頃「一人ひとりの子どもがもっている能力を伸ばそう」という考え方が一般的だったら、そのまま美術の中学に進んでいたかもしれません。結局巡り巡って僕はアーティストになりましたが、プロセスがもっと違っただろうなとは思います。
僕は千葉の松戸の商店街で育ちました。商店街の景色や子ども時代の記憶を思い起こすと、あの頃の自分はすごく自由だったと思います。
大人になるにつれて自分で自分を制限して、大人はこうでないといけない、絵はこう描かないといけない、クリエイティブとはこういうものだ……とだんだん自分を狭めてしまう。けれど、思い出してみると、自分が商店街の中を駆け回っていたずらをしていた時代は、すべてが自由だった。人を驚かせるためにいろんなことを考えていた。子ども心に「どうやって人をびっくりさせようかな?」と、自分のもっている絵の力、発想力で何か面白いことを仕掛けたいといつも考えていました。それが僕のクリエイティブの原点なんです。
原点と言えば、子どもの頃見た風景で印象に残っていて、今のクリエイションに影響を与えているのが「色」です。お祭りの夜店に行くと、お面や綿菓子の袋が並び、色とりどりのスーパーボールが水に浮かんで、すごくカラフルで、子どもの頃わくわくした思い出があるでしょう? でも大人になってから見るととそうでもない。ということは、同じものを見ているはずなのに、大人になるにつれて、自分で制限してあの風景にワクワクしなくなってしまっている。
それなら、子どもの頃の自由な気持ちで大人でもワクワクするようなことをやってみたら、大人にももっと面白い未来を見せられるはずだと思って、今のような表現活動を始めたんです。

堀江:すごく共感できます。子どもたちにはワクワクするような気持ちを忘れずにいてほしいと思いますね。子どもってふとした瞬間にすごく面白いことをやっていたりするんですよ。授業とは違うところで見つけた材料で本来やるべきこととは違うことをしていたら当然注意しないといけないのですが、面白いことをやっている姿を見てしまうと、頭ごなしにダメとは言えないですね。

「考える」と「つくる」を同時に学ぶ

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堀江:今の図工では、「主体的で深い学び」「自分の見方・考え方で表現する」という言葉が出てきて、昔とくらべて授業の中で教師が子どもの表現を多様にとらえるようになってきています。増田さんは大学で教鞭をとったり子どもを対象にしたワークショップを実施したりしていますが、今の若者や子どもたちにどんなことを大事にして表現するよう伝えたいと考えているのですか?

増田:美術大学にいる若い子たちを見ていて感じるのは、僕が子どもの頃図工・美術の授業で覚えた違和感と同じように、“正解”に向かっていこうとする子が多いことです。もちろん正解に向かう力は大切です。社会に出て仕事の場面で、「正解に向かっていく」のは正しいやり方です。でも、学生の時代はもっとぶっ飛んでいてもいい。今しかできない発想があるのにな、と思いながら教えていますね。
そして今の世の中はSNSで何がいいのか、みんなに受け入れられるかを調べることができるので、自分の発想を自分で制限してしまうこともきっとあるでしょう。
でも、僕が「カワイイ」という哲学を通して伝えたいのは、もっともっと自分を解放して自由になろうということです。自分だけの小さな宇宙=「カワイイ」をつくるとき、他の人のことは関係ない。自分の好きなものが一番好きでいいじゃないか。そういう考え方をもつことによって、もっと解放されて、自由になれるんだということを世界中で話しています。
表現するときは、他者の“正解”に向かうのではなく、自分をもっと広げる方向に考える時期も必要だと思います。子どもだったらもっと自由にやれるはずだから。

堀江:わたしは子どもたちに「図工の時間だけは正解は自分でつくるものだよ」「答えは自分の中にしかないんだよ」といつも言っています。でも逆にそう言われて正解が何なのかわからなくて手が止まってしまう子どももいるのでむずかしいのですけれど。

増田:僕は、これからの造形教育のあり方を変えていったほうがいいと思います。技術的なことを教えるより、考えてつくる機会をもたせることが大事だと考えています。

堀江:なるほど。もう少し具体的に聞かせていただけますか?

増田:たとえば道徳や現代社会などと図工・美術を組み合わせるとかね。そういう「思考」と「クリエイティビティ」を一緒に学ばせるというような発想の転換をしないと、日本の造形教育は次の時代にいけないんじゃないかということを、今の若い人や子どもたちを見ていて感じます。
世界には世界的規模の大企業がいくつもありますが、そういう大きな企業のトップの傍らにはメンターとしてアーティストがいるんですよ。やっぱり時代を変えるのはアーティストだと僕は思います。なぜなら、アーティストは自分の人生をぶん投げてまで自分の表現をするんですね。こんな人はそのままでは生きていけないから、社会で支えないとダメなんです。でもそういう人がもっているメッセージはすごく強いもので、みんなのものの見方をがらりと変える力がある。それを支えるのがこれからの企業や社会のあり方だと思います。
全員がアーティストにならないとしても、学生たちは将来社会に出て仕事に就きますよね。どんな仕事にもクリエイティブさが必要です。自分の頭で考えて、クリエイティブに進めていかないといけない。そのためにも、道徳などの思考の教科と図工・美術を合わせた教育が今後できれば、もっと日本は変われるのかなと思います。

堀江:子どもの中に生まれた哲学的な疑問を、わたしたち教師や周りの大人が純粋に認めて、「それはすごい気づきだね」「もっと追求してみよう」と押し上げてあげられたらいいのでしょうね。けれど、どうしても教科書のここからここまでをいつまでに教えなければいけないとか、プリントやテストをして、それを点数にして通知表につけるとか、システム的なものはやはり変わらずにあって、先生たちは目の前にあるやらなければいけないことに日々追われすぎているんですね。
でも、わたしたち教師ももっとクリエイティブにならないといけない。「面白いことしているな」「こういうことを考えているんだな」と、教師が子ども一人ひとりをちゃんと見ていないと、クリエイティブに育てることはできないのだろうなと、お話を聞いてすごく感じました。

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「わたしの図工・美術」やっぱりこれからは図工・美術だ #1  学びはすべてつながっている[後編]へつづく。


増田セバスチャン:アートディレクター、アーティスト。2017年度文化庁文化交流使、ニューヨーク大学客員研究員。京都芸術大学客員教授。1970年生まれ。90年代より演劇・現代美術の世界で活動をはじめる。1995年より原宿に活動拠点を持ち、横浜美術大学客員教授。1970年生まれ。90年代より演劇・現代美術の世界で活動をはじめる。一貫した独特な色彩感覚からアート、ファッション、エンターテインメントに渡り作品を制作。日本のKAWAII 文化を牽引する第一人者としても知られ、2011年きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」MV美術、2015年「KAWAII MONSTER CAFE」プロデュースなど、世界にKAWAII文化が知られるきっかけを作った。2014年にニューヨークで個展「Colorful Rebellion -Seventh Nightmare-」を開催。2017年度文化庁文化交流使 としてオランダ、南アフリカ、アンゴラ、ボリビア、ブラジル、アメリカ各地で講演、ワークショップ、作品制作を行う。2020年に向けた参加型アートプロジェクト「TIME AFTER TIME CAPSULE」を世界各地で展開中。世の中に存在する全ての事象をマテリアルとして作品を創造しつづける。
堀江 美由紀:東京藝術大学絵画科油画卒業後、広告代理店に勤務(アートディレクター)。文部科学省大臣官房総務課へ転職し2年務めたのち、公立中学校美術教諭を経て、平成21年より、公立小学校教諭となる。前任校は台東区立蔵前小学校(図画工作科教諭)。現、葛飾区立こすげ小学校(図画工作科教諭・教務主幹)として勤務する。令和2年度版、図画工作科教科書(開隆堂出版)の執筆者。「図工室へいこう3」出版社: 美術出版エデュケーショナル「子どもの発想力と創造力を伸ばす 絵画・版画指導」出版社: ナツメ社等、造形教育関連書籍への授業実践提供多数あり。東京都図画工作研究会、副事務局長を務める。

2020年美術出版エデュケーショナルカタログの巻頭特集インタビューの記事「わたしの図工・美術」を一部加筆・修正しています。
取材・文:伊部玉紀 撮影:大崎えりや
美術出版エデュケーショナル デジタルカタログ『BSSカタログ2020』

増田セバスチャン主宰「NPO法人ヘリウム」マガジン
アート関連のトークショーの書き起こしなど掲載中。
最新の記事は、スタートバーンの施井泰平さんと評論家の藤田直哉さんと増田セバスチャンさんとの鼎談。無料公開中です。



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