【短編小説】トイレの花子さん
「えっと・・・花子さん・・・ですか?」
僕は、洋式トイレに足を組んで座っている女性に向かって尋ねる。
女性は答える。
「えぇ、そうよ。何か?」
女性は長い黒髪をかき上げた後、口元にくわえられた細いタバコを、きれいな人差し指と中指で挟む。そしてタバコを口元から離し、ため息が可視化されたような煙を、口からゆっくりと吐き出した。
「あの・・・あなたが、オバケの、あの『トイレの花子さん』ですか?」
僕は怯えながらも質問を続ける。
女性は答える。
「そうよ、オバケの、『トイレの花子さん』、それが私」
僕は思った。
(思ってたのと、だいぶ違う)
僕の通う青葉第一小学校には『トイレの花子さん』という七不思議があった。
夜、誰もいない旧校舎の3階の女子トイレで、手前の個室から3回ずつノックしていく。
すると、3番目の個室の中に、『トイレの花子さん』が現れるという七不思議だ。
今日昼休みのジャンケンで負けた僕は、その七不思議を確かめるという罰ゲームを受けることになった。
僕はお化けや幽霊の類を全く信じていない。
だから、怖くもなんともなく、この旧校舎の女子トイレをノックしていた。
そして3番目の個室を3回ノックしたところ、
「はい?」
と中から女の人の声が聞こえてきたのだ。
僕は一瞬で恐怖を感じた。
七不思議なんてのは迷信だ。『トイレの花子さん』なんているはずがない。
だが、確かにこの3番目の個室の中から女の人の声が聞こえるのだ。
ゆっくりと個室の扉が開く。
七不思議によると、僕はこの後花子さんの手によって、便器の中に引きづり込まれる。
僕は身構えた。
すると開いた扉の向こうには、
綺麗な長い黒髪の女の人がいた。
黒いドレスに身を包み、細いタバコをふかしながら、すらっとした長い脚を組んで便器に座っていた。
花子さんを名乗るその女性はタバコをふかしながら話し始めた。
「その様子だと、特に用もなく来たみたいね。まあ、好奇心旺盛な子供は嫌いじゃないわ」
花子さんは足を組み替えながら続ける。
「僕、何年生?」
僕は、怯えながら答える。
「ご・・・5年生です」
花子さん長い髪をかき上げながら、クスッと笑いながら言う。
「そう、あら、5年生なんてもうお兄さんじゃないの」
僕は恐怖でそれ以上の言葉が出てこなかった。
「何か質問ある?」
トイレの床でタバコの火を揉み消しながら、花子さんは僕に聞いた。
僕は、震える唇から、何とか言葉を発した。
「えっと・・・花子さんは・・・何でこんなところにいるんですか?」
聞きたいことは山ほどあったが、今の僕から発せられる一発目の質問はこれであった。
花子さんは2本目のタバコに火を着けながら口を開いた。
「疲れちゃったのよね・・・色々」
吐き出した煙を目で追いながら、花子さんは微笑みながら続ける。
「大人になったら、わかるわよ」
やはりだいぶイメージと違った。
僕達が思い描いていた『トイレの花子さん』はおかっぱの女の子のイメージだ。
それに比べて今目の前にいる『トイレの花子さん』は、あまりにも”いい女“すぎる。
小学校5年生の僕でもわかる、この人は俗に言う“いい女”だ。
目の前のいい女は続けて言う。
「君は、明日学校で、『トイレの花子さん』を見たって言うわよね?」
僕は答える。
「あっはい…」
いい女は髪をかき上げながら続ける。
「みんなにはこう言いなさい。“『トイレの花子さん』は、おかっぱの女の子だった”ってね」
僕は率直に疑問を投げ掛ける。
「えっ何でですか?…みんなには本当のことを言うなってことですか?」
いい女はクスッと笑いながら言った。
「嘘にはね、ついていい嘘とついちゃいけない嘘があるの。ついちゃいけない嘘っていうのは、自分を守りたいが為につく嘘。“誰かを傷つける嘘”。」
女はタバコの煙を僕に吹き掛けながら言う。
「君が“『トイレの花子さん』は、おかっぱの女の子だった”っていう嘘はね、みんなのイメージを守るための嘘。これはついていい嘘なの。みんなのためについた、“優しい嘘”なのよ。」
何を言っているか全くわからなかった。
それを察してか、いい女は、
「ふふっ。大人になったらわかるわよ」
そう言って、タバコを地面にこすりつけて、履いていたピンヒールで吸殻をぐりぐりと踏みつけていた。
「早く帰って寝なさい。もっと大きくなってから、またお話しましょ」
いい女は、個室の扉を閉めた。
翌朝、僕はクラスのみんなに、
生まれて初めての"優しい嘘"をついた。
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