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あのたび -泡盛の力-

 台湾の基隆(キールン)から沖縄本島へ行くフェリー。乗っている客は少ない。ボクの他に数人しかない。

 ほぼ1年前の2月7日に、神戸から上海へ行くフェリーに乗って出国して以来の日本に向かっている。1年と10日ほどずっと海外にいたことになる。この期間全く働かず、旅を続けられたのはやはり当時の日本が裕福であったからだ。この国で生まれたボクは幸せ者だ。

 夜の6時に出港する。天気はよく波は静かで船は揺れない。船酔いしやすい体だったがこのときは大丈夫だった。翌日の昼過ぎに沖縄本島へ着いた。

 いつ帰るとも誰にも言っていないので迎えがあるわけでもない。入国スタンプを押される時に係員の人に、ほうと驚かれたくらいだ。沖縄は思ったよりも暑かった。香港よりも台湾よりも緯度は北のハズなのだが。あっちの国の方が寒かった。そういう意味ではここはまだ間違いなくアジアだ。

 入国手続が済んで建物から外へ出ると白いコンクリートに熱い日射しだけが印象に残っている。しばらく歩くと1日数本しか走っていないようなバス停があり待つことになる。そこからなんとか中心街の国際通りまでたどり着いた。

 沖縄にも安宿があるとは聞いていた。外国を旅して宿が好きになった人が日本でも安宿をやってみようと作ったらしい。おそらく泊まったのはリトルアジアという2段ベッドが並んでいるドミトリー形式の宿。国際通りからも徒歩5分でアクセス良し。それで当時1泊800円くらいだったと思う。生活費も安いので、何週間・何ヶ月単位に住んでいる人もいる。

 おそらく、と断るのはその時の日記が残っていないからだ。1週間前に香港に飛んでから風邪気味で体調が良くない。それがこの沖縄でピークとなり、寝ている時は寒気と悪寒でガタガタとベットが音を立てて揺れるくらいだった。しかも不眠症になり、熱があって寒いのに眠れず朝まで目が覚めているということが丸4日間も続いていた。

 正直このまま死んでもおかしくないな、と。

 観光などしているどころではなく、お腹を満たすためだけの食料をスーパーやコンビニ買いに行き戻りまたベッドで横になるという日々であった。傍から見たらゾンビか夢遊病患者のようだったろう。

 病院へ行けばとも言われるだろうが、健康保険がなくかかれない。ただ死なない程度に水分を補給して寝ていれば治るだろうという楽観的な予測であった。しかし全くよくならない。意識は朦朧として時間の感覚もない。それでいて眠ることもできず疲れは回復しない。最低の体調だった。

 アジアで何度も下痢にはなったが、寝込むほどひどい状態になることはなかった。帰国した安心感からどっと体に負担がきたのか、それとも当時流行っていたSARSに罹患したのかもしれない。

 泊まって3日目の夜に宿でカレーを頼んだ。その時に沖縄のお酒の泡盛も一杯飲んだ。味はよく覚えていないがうまかったのだと思う。その夜は酩酊し酔っ払ったせいかぐっすりと眠れた。実に70時間ぶりに眠れたのだ!

 不眠症って心の問題だろ?甘えんなよとかなったことのない自分は考えていたが、こんなに苦しい症状もないなとこのとき思い知った。さらに酒の力・アルコールの力というのも実感した。酔ったことで眠ることができたというのがこんなにうれしいとは!

 翌朝、頭はばっちりの覚醒し世界のすべてが理解できるような万能感と自信がなぜか湧いてきた。生まれ変わった人間になったようだった。今なら何をやっても成功しそうな気がした。イーロン・マスクのような天才の頭の中は常にこんな感じなのだろう。体調もかなり良い。温かいシャワーを浴び、何日か分の汗をかいた服をランドリーサービスに出す。

 ようやく次の予定が立てられる。

 20年前の当時、日本各地にも安宿やゲストハウスのようなものがあった。数は少ないが。そこを渡り歩きながら縦断しとりあえず東京を目指すことにする。何をやるかは決めてない。ただ今は何でもできそうな気がしていた。

東南アジア一周ルート

(つづく)


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