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富士山でバイトをした

一昨日まで二週間ほど私は不思議な縁で富士山の施設でアルバイトをさせていただいていました。そこで今回はその体験を通して得た刺激や考えを適当に吐き出していこうと思います。

インバウンドってすごい

私がこのバイトに従事して最初に思ったことは外国人観光客の多さです。私の体感日本人と外国人の割合はちょうど半々でした。富士山というのは日本の象徴であるためもちろん海外からの観光客が多いというバイアスもあると思えますが、それにしても多いように感じました。(私が帰る時に乗ったバスは7割ほどが外国人だった)

外国人観光客への接客を通して何を感じたか

外国人観光客を通して私が思ったことは「外国人観光客のマナー、そんなに悪くない」ということです。私が富士山で働くという旨の話をするたびに「海外の人が多くてマナーが悪いんでしょ?」といったような話をされました。しかしこれは全くの偏見で事実無根も甚だしい物でした。彼らは入店時退店時のあいさつを欠かさず、とても礼に満ちていました。
また、自国批判のようなものになりますが、マナーの悪さで言えば日本人の方が明らかに悪かったと思いました。これを象徴するエピソードが、私がキッチンで働いていた時の物です。キッチンという仕事で起こるトラブルとしてはやはり混雑に伴う料理提供の遅れです。キッチン側がこう言ってしまっては言い訳になってしまうのですが、この遅れはどうしても出てきてしまうものです。というのも基本的に昼食、夕食時には客が集中し一時間に100を超える注文が発生するため理論上すべてをノータイムで作り上げるというのはいささか不可能に近いです。そして何よりこの料理提供の遅れに対して真っ先に文句を言いに来るのが日本人でした。私はアルバイトに従事する中でこのことに辟易としていたのですが、しかしこれには理由があると思い少し考えました。そしてたどり着いた答えが"サービス慣れ"です。日本は"お客様は神様"という理念のもと上質なサービスが提供される素晴らしい国であるのですが、その反面消費者側はそのサービスに慣れてしまうというデメリットがあります。また、日本がこの件についてマナーが悪いという話の反面、海外の人がこの件についてマナーがいいのはやはりチップの存在ではないかと考えました。というのもそもそも文化として海外(少し主語が大きい)においてサービスというものは"お金を払うもの"であるという大きな違いがある。実際私がテーブルを清掃した時や料理の運搬をしたときチップをいただいたことがありました。
少し話が反れてしまいましたが、やはりここで言及するべきは日本人の"慣れ"というものについてです。慣れというものは怖くて常に人はこの慣れを自覚しなければ悲しい結末が待ち構えているものであると私は考えています。スタンフォード監獄実験(諸説あり)やアイヒマン裁判にもあるように、人は与えられた立場や"当たり前"というものに弱く、その如何によって大きく考えや行動を変えてしまいます。これは大変悲しく、いじられキャラがいつしかいじめに近い行為を受けてしまうなんてものにも近いように考えられます。
何度も横道にそれてしまい申し訳ないです。(モノローグであるため許してほしい。)全体を通して私が言いたいことは人の優しさに対する感謝を忘れないようにしたいということです。(海外の方も机を片づけないなど知らないことに由来するマナーが散見されたので、日本人は人に対する、海外の人はものに対するマナーが悪いという感触でした。)
※この場合海外の人のマナーについてはあくまで"観光"における話であるため拡大解釈はご遠慮いただきたいです。

新しいコミュニティって大事

私は地方の大学生であるため、普段は自分の大学以外の交流があまりありません。しかし今回のバイトでは他大学や、一緒にアルバイトに従事する大人たちとの交流もあり、価値観に大きな動きがありました。まず一つ感じたのは、新しいコミュニティにおいて話すことの気楽さです。それはもちろん普段のコミュニティも楽しいのですが、そこにはある程度の役割が発生してしまっており。どこかに"求められている自分"がいることが多々ありました。以前このことで気を病んでしまったことがあり調べたことがあったのですが、これはどうやら心理学においてはペルソナというらしいです。そして今回のバイトではこのペルソナが形成ておらずとても楽で、普段はふざけてバカ騒ぎしている自分でも人生観や恋愛観、将来やりたいことなどを話すことができました。(この時に考えをアウトプットしたほうがいいと言われnoteを始めた)また、このバイトには自分のサークルの後輩を何人か連れて参加したのですが彼らも同様にペルソナを取り払い新しい一面を見ることができ、大きな経験となりました。外因的な刺激というのはとても重要で、一つのコミュニティにいると正しさも固定化されてしまい、ある意味で盲目的になってしまいます。これこそが"新しいことに挑戦すること"の意義であると私は考えました。

富士山ってでかくて美しい

これについては余談なのですが私はこのバイトの休日に富士山を上りました。10m先も見えないほどの霧と雨だったのできれいな景色などはないのですが、"富士山を登った"という経験はとても大きなものでした。
この経験において最も重要な要因は何より"辛かったこと"であると言えます。富士山は基本的に老若男女問わず上るため非常に平易であると勘違いされやすいですが、弾丸登山(特に悪天候時)ともなると話は変わってきてかなりきついです。私の例を出せば登り4時間下り2時間の計6時間歩き続けました。普通に考えて6時間、それも足元も悪く、雨や風に体温を奪われながら歩くことなんてそうそうありません。頂上では氷点下に達することもあるそうです(私の時は知らないけれど)。この環境がどれだけ過酷だったかと言えば、頂上で新宿を探しながら叫び走り回る韓国の方がいました(笑)。もちろん、下山道を教えてあげたので安心してください(下山途中でのんきにも煙草をふかしながら"Have a good day."と言ってきたのできっと元気です。)。
またまた話がそれましたがこの辛いことを達成したというのは僕にとってとても大きな経験でした。というのも受験以来「何かを達成する」という経験をしてきていなかったからです。辛いことから逃げる毎日を過ごしており様々なことを避けていました。しかしこの富士山登頂を通して何かに挑戦しようと考えられました(英語接客やnote投稿など小さなことでもこのおかげでできた気がする)。

まとめ

少し長くなってしまいましたが、ここまで拙い文章を読んでいただきありがとうございます。
私が全体を通して言いたいことは、謙虚さを忘れないようにしたいことと、様々なことに挑戦したいということです。私も精いっぱい頑張りますので、読んでいただいた方々にも少しの勇気を分けられたら何よりだなと思います。ありがとうございました。

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