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言葉に救われた話

私のこれまで

私が救われた話をする前に私の今までの略歴について話していこうと思います。
私の家は両親と兄、そして私の核家族世帯でした。兄はたいそう優れていて、現在医者をしていますがそれまでもその秀才(天才というと彼の努力を否定してしまう気がするためあえて秀才とさせていただく)ぶりをいかんなく発揮していました。そしてその次男として生まれた僕はもちろん親に「兄のように生きろ」と言われました。それはずっと「勉強しろ」というようなあいまいなものですが私の大学受験が見えてくるころには「医者になれ」というひどく具体的なものになっていました。

受験にて

これについては、私の両親がまともな受験経験をしていなかったということもあり、私の兄が医学部に受かった途端「医学部は頑張れば行ける」という認識になりました。それはもちろん"頑張れば"いけますがその努力は"頑張り"と一言にまとめるには途方もない物であることは受験を経験したことのある人間ならば誰でもわかることだと思います。しかし両親の言葉というものはまだ実家にいる一人の子供にはとても重いもので私も医者を目指すようになっていました。
実際私も高校二年生までは順調で、成績はみるみるうちに伸び模試の判定もある程度は出るようになっていました。
しかしここで予想だにしない敵が現れました。

新型コロナウイルスの猛威

私が高校三年生になる時、世界的に新型コロナウイルスが流行しました。これの何が問題だったかと言えば、高校の三か月にわたる休校、そして何より塾の閉鎖が起こりました。家で勉強できないために塾を自習室として利用していた私にとってこれは大変な痛手でした。そして至極単純なことにこの期間私の成績はみるみるうちに下がり、いつしか医学部の判定もEだらけになってしまっていました。"人に言われていたから"という動機は、この成績の下落の中で僕と学習意欲をつなぎとめるにはあまりにも弱い物でした。
いつしか私は勉強しなくなっており、夏も終わり受験になっていました。一応共通テストまでは医学部を目指していたものの、足切りを受けてしまい夢を諦めることとなりました。
そして私は行けるというだけの理由で地方の大学の一般学部を受験し入学しました。

大学にて

(医学部の足切りを食らっていてこんなこと言うのもおこがましいけれど)私は足切りを食らうまで医学部しか調べていなかったため、大学で何ができるかも知らなかったし何をしたいという考えも持っていませんでした。
ここで大きな二つのものが私の心を占領しました。その二つとは"大きな劣等感"と"何をすればいいかわからないという不安"でした。
この気持ちに占領されていた私の大学入学時は毎日が白黒でした。何をするにも自分の行動がひどく稚拙で人生を浪費しているようにしか思えませんでした。
しかしこのままでは大学の四年間を無駄にしてしまい一生コンプレックスを抱いた人間になってしまうと考えたためとりあえず自身の境遇を助けてくれる言葉を探そうと多くの哲学者の思想について本やネットなどで調べました。そこで私は二つの言葉に出会いました。

私を救った言葉

足るを知る(老子)

老子

まずその一つが古代中国の思想家である老子が残した言葉「足るを知る」です。これはすなわち"満足することができれば精神的に豊かになり幸せに生きていくことができる"というものです。
この言葉が私を救うにはある人物との出会いがありました。それは"浪人生"です。この出会いによって「私の大学は浪人してまで入りたい人がいる大学である」ということが分かりました。これは医学部を目指していた僕にとって目からうろこの発見で、劣等感を取り払うには十分すぎるほどの要因でした。
そこで私は自分の大学でできることが意外と多いことに気付き、今の自分の立場に"満足"することができました。
これが一つ目の救われた言葉です。

不安は自由の眩暈である(キルケゴール)

キルケゴール

そして二つ目が、デンマークの哲学者であるキルケゴールが著書『不安の概念』にて記した言葉「不安は自由の眩暈である」です。これはつまり"人は自由や可能性の前ではかえって不安になる"というものです。
大学一年生のころの私はいわゆる"何でもできる"存在でした。毎日堕落して生きることもできれば、資格勉強や学問を修めることによってスキルアップをすることもできます。
そんな毎日にいつしか私は何をするべきかという曖昧な不安に毎日駆られていました。これは様々なエッセイなどで言及されているような内容ではありますがしかし皆が言うほど共通の悩みであります。
そんな悩みにとらわれる中で私はキルケゴールの言葉に出会い、その悩みはある程度解消されました。「それでは根本の解決にはならないだろう」と思う人も多くいると思いますが、この悩みは尽きることはないと考えられます。なぜなら大学生の生き方に"答え"はないからです。そしてこの悩みの最も恐ろしい要因はその"曖昧さ"であると私は考えます。この言葉はこの悩みの曖昧さを言語化し胸に落とし込ませてくれます。そこから私は不安が生まれるたびにこの言葉を思い出し新たな一歩を踏み出すようなマインドを作ることができるようになりました。
これが二つ目の救われた言葉です。

最後に

こんな冗長な自分語りを読んでいただきありがとうございます。若者に限らず"今の自分でいいのか"といった悩みを抱えている人は多いと思います。そのような人たちの心に少しでも刺さればいいなと思います。
繰り返しになりますが読んでいただきありがとうございます。

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