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選択に惑え、原生生命

                                鏡遊

 
 20××年 ×月××日
 これより最優先研究対象、仮称名、フォーリナー・タイプサード(以降、タイプサードと呼称)の発見経緯及び、それに伴った特記事項の機関本部への報告を行う。尚、この報告書が今後公に出る可能性を踏まえ、セキュリティクリアランスレベル4情報管理規定に則り、対象の現在位置を特定させる情報、年月日、主要参加研究員名、セクター名は伏せるものとする。
 発見経緯
 20××年、×月××日、××時××分。日本の上空およそ50000メートルに於いて突如爆発が発生、その直後、炎に包まれながら直径5メートル程の球体の形状のタイプサードが出現、地表への落下を開始。同時に日本自衛隊や航空管制塔のレーダーにこの時初めて補足される。この前後、世界各国のあらゆるレーダーや各種観測機器の記録には一切の異常は存在しなかった。
 即ちこの爆発が起きるまでの間、タイプサードはいかなる方法かによって地球上のあらゆる観測機器に探知されることなく大気圏への突入を果たしたということになる。
 特記事項
 タイプサードの爆発が起きる直前、日本の静岡、山梨両県を中心に、『大きな爆発音が聞こえた』『雷が落ちたかのような轟音が聞こえた』という近隣住民の証言が相次ぎ、さらにその数秒後の首都圏では、やはりタイプサードの爆発が起きる直前に『空を何かが走った』『高速で動く光の軌跡が見えた』との証言が広まった。中には、『光が通った先で爆発が起きた』や『富士山の山頂で何かが光り、その直後に爆発音が聞こえた』との証言も存在した。
 これらの証言が基になり、『何者かが富士山の山頂から隕石(タイプサード)を狙撃したのではないか』という噂が広まっている。この噂の真偽は別として、これらの証言を基にした調査は実施すべきであることをここに明記する。
 発見経緯、続。
 爆発を起こしたタイプサードは、球体の形状を維持しつつ急速に落下。首都東京より程近い、××県河川敷に着地した。深夜ということもあり、隕石が直撃した等の報告はなかったものの、周辺地域約数キロにわたり、窓ガラスが割れたなどの被害が多数発生した模様。その後警察が現場規制を始めるまでの十数分の間、タイプサードには何らかの動きがあった模様だが詳細は不明。
 我々が事態を把握しその収集を図る間、タイプサードは十代半ばの日本人女性の形態に変化。しかし、それ以降の主だった行動を停止。カバーストーリーによる現場封鎖、野次馬の排除を行い、第××セクター所属、特殊回収部隊によるタイプサード回収作戦を実行。対象の抵抗も無く無事に成功し、第××セクターへ輸送。現在へ至る。

 ・・・・・

 2014年3月15日。これより、観察対象フォーリナー・タイプサードの経過観察を開始する。これは日本支部第6セクターが本部への報告とは別に記したタイプサードの詳細な調査記録であり、情報管理規定により削除されるであろう情報も明記した上で記す日誌だ。
 これが機関本部に明るみになれば、このセクターの研究員たちは少なくとも懲戒処分は免れないであろう。しかし私は、私たちは、今後得られるであろう未知の情報が少数の人間にしか閲覧が許されないデータの海に飲み込まれることを避けるため、あえてその記録を残すことにした。
 これから先、この記録を閲覧する者が得た情報を有効に活用してくれることを願う。
 記録担当は私、前橋花蓮が務める。

 3月15日
 タイプサードが千葉県の河川敷に落下してから数時間後、この第6セクターにタイプサードは移送されてきた。
 率直に言えば、私たちの期待は満ち溢れんばかりに膨らんでいた。フォーリナー━━即ち地球外生命体が地球に訪れた前例は2度存在するが、1度目のタイプファースト━━俗に言うロズウェル事件に於いてアメリカのニューメキシコ州ロズウェルに飛来したものは落下の衝撃によるものか発見時点で既に死亡しており、南極に飛来した2度目のタイプセカンドは派遣された特殊回収部隊と交戦。部隊を深刻な壊滅状態へ追いやり、そのまま宇宙空間へと逃走してしまっている。生きたまま拿捕されたタイプサードは、我々が地球外生命体を知る上で非常に重要な鍵となるのである。
 タイプサードは移送者からセクターへ、さらに重要研究対象収容施設へと運び込まれ、そこで私たちは漸く彼女(便宜上、性別不明ながらそう呼称する)と対面した。強化ガラス越しに視た彼女は完全な無表情で、収容室の白い床に胡座をかいて座りこんでいた。
 彼女が十代半ばの少女の姿をしているということは帰投する回収部隊からの報告で既に把握していたが、こうして対面して改めて理解できることがあった。おそらくその報告を聞かずに出会ったとしても、彼女を人間だと思う者はいないだろう、ということだ。
 致命的に彼女の目には温度がないのだ。昆虫の目から視線を感じることができないように、魚類の目から感情を感じることができないように、爬虫類の目から本能的な恐怖を感じるように、倫理も道徳も感情も通用しないどころかこの星のものではない生物が観察しているという事実、それをこちらに突きつけてくる目だった。
 しかし同時に、彼女がただの知性なき獣ではないという事実も観察を続ける内に理解できた。
 まず、彼女はこうして収容室内にいる状態でも暴れようとはしなかった。これは特殊回収部隊によって回収された時も同様であり、全く抵抗されなかったと拍子抜けする程大人しかったのだ。
 通常、生物は自身の行動の自由が(たとえ保護が目的であっても)阻害されようとする際には傷を負っていても苛烈なまでの抵抗を行い、自由を保持しようとする。これを行わないということは、我々が彼女に危害を加える存在ではないと認識されていた可能性がある。もしくは、何らかの目的がありわざと抵抗を行わず、意図的に拿捕された可能性も考えられる。いずれにせよ、今後起きることを予測する高い知性、またそれによって生まれた選択肢から自身の答えを選び出す高い自己判断能力のいずれか、もしくはその両方をタイプサードが所有していることは間違いない。
 観察開始から約5分後、ガラス越しにこちらを見つめ続けていたタイプサードはこちらから視線を外し、唐突に『あー』と口を開けて声を発した。それ以降、彼女は2時間にわたって発声を続けた。
 発声を始めた直後は、初めて声を出した時のような様々な単一文字による乳幼児のような発声を続けていたが、開始してから30分後には複数の文字を使った片言の単語となり、さらに1時間が経過すると『おはよう』や『はろー』といった、私たちにも理解できる様々な言葉を流暢に声に出すまでに成長したのだ。
 私たちは戦慄した。地球外知的生命体が地球の言葉をどこでどのように知ったのか、そして発声を開始し、地球の言葉の概念を知ってから僅か30分で地球の単語を習得する学習能力の高さに、驚きや恐れを隠せなかった。
 しかしその後、経過観察を続けていく内に、知識習得経路は不明なもののタイプサードの学習方法は推測することができた。ガラス越しに見える私たちだ。
 彼女が発声を開始した際、私たちは少なからず驚きや動揺した表情を浮かべていた。それを見た彼女は、自分が発声すると自分を観察する人々が何らかの反応を示すことを即座に理解し、いかなる方法かによって得た地球の言葉の知識が正しいものなのかを、段階的に発声する言葉を増やすことで私たちの反応から探っていたのではないだろうか。
 『それは余りにも突飛な推測だ』と私を嗜める研究者は多かったし、私としても想像の域を出ないものだったが、もしこれが当たっていたのであれば、あるいは私たちは踏み越えてはいけないラインに足を着けているのではないかという恐ろしい想像が浮かぶのだ。

 3月16日
 仮眠を取り経過観察を再開する。数時間程度の睡眠だったが、その間にタイプサードの言語発声能力は格段に向上していた。入れ替わりで彼女の経過観察を行っていた研究者に話を聞くと、ただの単語の羅列だった発声をさらに発展させ、接続語を用いた文章を話せるまでに成長し、文法も理解しかけているのだという。私は信じられない思いでガラス越しに見える彼女の姿を見た。
 その時、不意にこちらを向いた彼女と目があった。彼女は例の、物を観察するような目でじっと見つめると『おはようございます』と流暢な外見年齢相応の可愛らしい声で、はっきりと声に出した。食事も水分も取っていないにも関わらず、心なしか昨日よりも健康そうな様子であった。
 私は、何と答えていいものか言葉につまり、30秒近く経ってようやく、『う、うん、おはよう』と答えるのがやっとだった。

 数時間後、私たちはタイプサードの取り扱いの方針に関する議論を行った。議題は、タイプサードの知能向上━━即ち、さらに地球に関する情報を与えるべきか否かという点だった。
 しかし議論と銘打ってはいるものの、実際は殆どの研究者が彼女の知能向上に意欲的であり、反対派の研究者も『せめてリスクがあることは忘れないように』というせいぜい注意喚起程度の意見しか挙がらず、結果は彼女の知能向上との方針に固まった。私も彼女の知能向上に賛成した1人だった。
 方針が決まったところで、目下の目標はタイプサードとの意思疎通の成功であった。彼女の学習能力の異常性はもはや語るべくもないだろう。であれば、彼女が言葉を習得し我々との意思疎通が可能となれば、彼女が一体何処から来たのか、どういう存在なのかといったことを明らかにすることができる可能性も見えてくるのだ。
 ついては彼女にこの地球の情報を与え、そして彼女とのコミュニケーションを行う者、即ち彼女の教師となる人間が必要になった。
 これに私は立候補した、らしい。周囲の人々によれば私が率先して立候補の名乗りを上げたそうなのだが、今思い返してみると、その部分の記憶がすっぽりと抜けている。数時間休息を取ったとはいえ流石に疲れが抜け切れていなかったようだった。
 会議終了後、入れ替わりで経過観察を行っていた研究者から話を聞く。彼曰く、タイプサードの発声にはあれ以降の進展は余りないらしい。ただ、挨拶をよくするようになったとのことだった。
 私が仮眠に入る直前、彼女が『さようなら』と声をかけた。
『さようなら、また明日』私は考えるよりも先に言葉に出した。

 3月18日
 昨日に引き続いてタイプサード......いや、個体名『アリス』の教育を行った。彼女の学習能力には相変わらず目を見張る。なんと、今日の時点で日本語による会話を支障なく行えるまでに成長したのだ。
 『授業』は収容室の隅の対面ガラス越しに行われた。市販されている漢字ドリルと国語辞典、文法の教科書を差し入れ用の隙間から彼女に渡し、私が漢字や文法の説明をして彼女がそれを聞く。それの繰り返しだ。彼女からは質問されることは一度もなく、彼女との会話は始まりと終わりだけだ。初めて行った時には、『これで本当に理解できているのだろうか』と疑い半分であったが、彼女に唐突に問題を出すと完璧な答えが返ってくるものだから、私はその事について考えるのは放棄した。
 彼女は17日の初授業の時点で既に小学校入学直後程の知識を有していたが、その日の授業が終了した頃には小学校卒業レベルの日本語能力を身につけていた。特に漢字を小学校レベルとはいえ特に支障もなく身につけたのは驚くべき成果といえる。一般に、外国人が日本語の常用漢字も含めて習得する場合に費やする時間は2200時間と言われている。同一天体上の異なる言語で、これほどの時間がかかるのだ。それを異なる天体の生命体が、その数割を僅か十数時間でマスターできたのだから、彼女たち全体の学習能力の高さが窺える。
 この成果には他の研究者たちも興奮を隠せないようで、この際様々な分野の知識を与えるべきだと言う声も上がっている。
 翌日には、彼女の日本語能力は更に高まった。なんと中学高校を飛び越え、一般社会人レベルの言語能力にまで至ったのである。ここに至れたのは彼女の貪欲なまでの学習意欲によるものであることは言うまでもない。
 18日、この日の授業が終わる直前、彼女は私に名前が欲しいのだと唐突に言った。
『名前? どうして?』
『私の故郷の人々は皆名前がないの。付けなくても誰が誰なのか、わかるから。でもここだと名前がないと、私はずっと名無しの何かのままだと思うから。だから、名前が欲しい。前橋さんにつけてほしい』
 そんなことはない、そう言おうとしたが、はにかんだように笑う彼女を見ると、どうにも断るのは心苦しかった。
 だから少し考えて、『アリス』と名付けた。故郷から離れて一人でこの不思議な世界に迷い込んだ彼女にはよく似合っている、そう思ったからだ。
『ありがとう、前橋先生』
 そう言って恥ずかしそうに笑うアリスの笑顔は年相応の少女そのものだった。

 3月19日
 十分なコミュニケーション能力が培われたことから、今後は様々な分野の情報をアリスに理解してもらうことが重要であるという理由で、私は彼女の教育係から外されることになった。
 その事にさしたる不満はない。以前よりそういった試みが進行している事は聞き知っていた事であるし、それによって更にアリスの知識が成長する事は素直に喜ばしい事だ。それに、私一人だけとコミュニケーション関係を築いてしまうと今後の研究にも影響が懸念される、という理屈も納得できた。
 ただ、納得はしたけども心情は別だった。その日、彼女にしばらく教育係としては会えなくなることを伝えると、彼女は少し驚いたように目を見開き、そして残念そうな表情を浮かべてため息をついた。
『寂しくなりますね。前橋先生に会えなくなるなんて』
『大丈夫、アリス。あくまで先生として会えなくなるだけなんだから、またすぐ会えるよ。だからそれまで頑張って』
 私がそう言うと、アリスは私を下から見上げるようにして、『本当ですか?』と言った。
『本当だよ。だから約束、私が先生じゃない間も頑張るって』
 その言葉を遮るように、彼女が言った。
『その言葉、本当ですか?』
 言葉の意味がわからず、え、と口に出る。
『ですから、またすぐ会えるって、本当ですか?』
 そう言うアリスの表情はとても不安そうで、だから私は彼女が不安に思わないよう出来るだけ力強く頷いた。
『うん、本当』
 そうするとアリスは不安そうだった表情を払拭して、元の明るい笑顔に戻った。━━少し、胸が痛む。これから行われる教育がどの程度の期間実施されるのか、私にはまるでわからない。どうやら、先程はそれで感じていた罪悪感を敏感に読み取られたため、そう尋ねられたらしかった。
 彼女は表情の変化に敏感だから、出来る限り心情が穏やかな時に接するべきと後任者たちに忠告をしておこう。

 3月20日
 目が覚めて、身嗜みを整え、いつものように授業の準備を始めた時に、しばらくアリスとの授業はないのだとようやく思い出した。
 経過観察も他の研究者が行っていたため、今日は一日全て休息に充てることになった。紅茶を飲み、リラックスしようとベッドに寝っ転がるものの寝付ける訳もなく、何をしようかと頭を悩ませていたら、いつの間にかアリスの研究記録を結局見返していた。
 思えば彼女が来てからというもの、一日の殆どの時間を彼女に関連する事に充てていた。であれば、彼女との関係が無くなってしまった今がこれ程退屈なことにも頷けるというものだ。この状態を早く脱却するためにも、担当の教育係は出来る限り早く教育課程を終わらせてほしいものだ。

 3月21日
 第一後任者の教育はまだ終わらないようだ。アリスの収容室に向かうと、後任の一人である男性研究者が彼女と会話をしているのが見えた。
 彼と会話をしているアリスの表情はとても楽しそうであり、少し安堵した。

 3月22日
 今日も、終わらないらしい。前日と同じようにアリスの収容室に行く。最近、書くことが見つからない。

 3月23日
 ようやく、次の分野に替わったらしい。

 3月24日
 まだ終わらない。

 3月25日


 3月26日

 4月2日
 ようやく、現在必要と判断された教育課程は終了したらしい。私はすぐに収容室のアリスの元に向かった。彼女との授業をすることがなくなってから2週間が経つ。その間、まるで数ヶ月もの時間が経ったように感じられていた。二週間の間に何か身体の調子に変化はないのか、彼女の人格に何か影響はなかったのか、不安だった。
 久しぶりに出会った彼女は、流石に多少の疲れの色は見せてはいたものの、相変わらず元気そうな笑顔で『お久しぶりです、花蓮先生』と私を迎えた。
 少し彼女と会話をして気づいたことなのだが、最後に会話をした二週間前よりも格段に彼女のコミュニケーション能力は進化していた。特に、比喩を用いた表現や皮肉、会話の論理性の発達が著しい。初対面の人間に彼女のことを宇宙人と紹介したとしても信じる者は存在しないだろう。
『そういえば』と彼女は思い出したような表情で、握っていた手から何かを取り出した。
『これ、庭に植えてあるって前の担当の人が言っていたんですけど』
 そう言って取り出したのは桜の花びらだった。たしかにこの第6セクターの中央にある吹き抜けには誰かの趣味で見事な庭園が造られており、その中心には立派な桜の木が植えられている。丁度満開に程近いシーズンであることから、興味を示すかもしれないと後任の担当者の一人が見せたのだろう。
『桜の花びらだね。綺麗でしょ』
『はい。でもどうしてこんなに綺麗な色なんですか?』
『色? あぁそれはね』
 口に出しかけて、少し悪戯心が湧いた。
『それはね、桜の木の下には死体が埋まってるから』
 相当驚いたのだろう。彼女の目が大きく見開かれ、手に握っていた桜の花びらを慌てて離した。私が本当のことを言うと、彼女はすっかりむくれて頬を膨らませた。しかし機嫌を直したのか、再び桜の花びらを摘むと静かに『見てみたいなぁ』と呟いた。
 その後、私は彼女に今後の研究内容とそれへの協力要請を伝えた。端的に言えば、彼女に対するインタビュー、つまりは事情聴取という事になる。相互コミュニケーションが可能となった今の彼女となら充分可能だろうという見込みからだった。
 彼女はすぐに了承した。正直に言って安心した。実のところ、彼女についての研究はここからようやく始まるのだ。私たちが彼女について理解できたのは、その高い学習能力だけであり、彼女の素性は未だ何一つわかっていないのだ。そのため、彼女の正体を明らかにすることは私たちにとって目下最大の目標だった。この結果によってはあるいは、今後の宇宙開発の歴史を塗り替えるような発見があるのかもしれない。そう考えると、私たちの誰もが興奮を抑えられなかった。

 4月3日
 アリスに対するインタビューは翌日から行われた。質問者は研究主任の間借博士だった。ただ、7時間以上もの時間をかけて行われたインタビューの会話全文をここに記載することは流石に憚られるため、箇条書きと幾つかの補足を加えて、この場で新たに明らかとなった事実をいくつか記す。
 ・彼女は太陽系と同一銀河系に存在する他天体からやってきた。
 ・彼女たちが地球の存在を認知したのは、謎の構造物が彼女の住む天体に飛来したことがきっかけ。それには、地球の座標データやその星で形成されたと考えられる多様な音声データ、さらに人類の雌雄の姿を記した画像データなどが搭載されていた。━━これはNASAのによって打ち上げられた、2機の無人惑星探査機、ボイジャー1号と2号のどちらかが不時着したものと思われる。
 ・彼女が地球に落下した際、あの場所に着陸したのは彼女としては意図しない事態であった。そもそも、現状のように発見されてこの場所に収容されることも想定外。
 ・不時着の原因と見られる外部からの強い衝撃により元の種族的機能は喪失。アリスによればおそらく何者かによる攻撃と考えられるらしい。現在は身体機能的には人間とほぼ変わりはない。
 それにしても、あらゆる観測機器の感知をすり抜け不可視の状態でこの地球にやってきた彼女のことを、その何者かは一体どのように感知し、さらにはどのような方法をもってして、どのような意図で攻撃したのだろうか。しかも彼女の発言から察するに、その何者かは彼女の来訪をかなり前から察知して攻撃態勢を維持していたと推測される。その何者かは一体なぜそれほどまでに彼女に対して敵意を持ったのか。そしてその何者かは彼女が今も生存していることを認識しているのだろうか。認識しているならばこの場所を襲撃するのではないだろうか。あるいは認識してはいるものの放置しているのか。いずれにせよ、彼女の外敵となり得る生命体には細心の注意を払い、場合によっては排除することも辞さない構えでいなければならないだろう。
  彼女の容姿は元々の姿ではなく、彼女が着陸した際に様子を見にきた周辺に住む少女と出会い、その少女の肉体を借り受けたもの。
 温厚で誠実な彼女らしく落下直後の精神的動揺が激しいことが容易に想像がつく状態でも他者を尊重し相互理解を図っている。
 彼女は元よりこの地球の知識を得るつもりだったが少なくとも侵略の意図は彼女がこの地球を目指す直前では彼女の母星にもなかった。間借博士は彼女に地球は彼女たちの星にとってはどのような立ち位置にあると考えられるのか現段階での個人としての見解を教えてほしいと彼女に尋ねた。彼女はその涼やかな目をパチクリと何度か瞬かせて非常に興味深い調査対象でありこの惑星での頂点的支配生命体である私たち人類が彼女たちと同等かそれほど変わりのない知性を持っているのならば惑星間での交流も考慮の内に入るだろうと言う考えを示した。
 これは私たちにとって非常に喜ばしい答えであった。人類の宇宙探査の歴史の中で初めて地球外知的生命体との個人間ではなく種族間での交流が実現できる可能性が生まれたことに私たち研究員は諸手を挙げて喜び私のような彼女の教育担当として彼女に深く関わってきた者は涙さえ浮かべて喜びの声を上げた。彼女と直接言葉を交わしていた間借博士も人目を憚らず涙を流して彼女と何度も握手を交わして感謝の気持ちを述べた。それに彼女は少し戸惑ったような笑みを浮かべてはいたものの快く握手に応じた。ただしと彼女は指を立てて条件がありますと言った。その条件とは彼女がこの地球に飛来した際に彼女に対して攻撃を仕掛けた何者かの排除だった。確かにその通りだ。彼女が温厚で周囲との協調性がある性格であったからこそこれは大事にはなっていないが彼女でなければ人類を危険視することは想像がついたしこれが好戦的な来訪者であったら即座に戦争が始まるだろう。であればこれから来訪することが予測される地球外知的生命体の身の安全を確保するためにも彼女を攻撃した何者かを排除することはこの地球に住む全ての人間にとっての義務であり果たすべき責務であろうことは私たちにも容易に考えられた。それに何より彼女に対して危害を加えるような危険な存在を放置しておくわけにはいかないとこの場にいる私たち研究者たちの間で意見が一致した。
 こういったところで彼女へのインタビューは終了した。私たちは今後彼女を狙う何者かへの対策を話し合っていくつか出し、それらの効果を確かめながら試験的に運用していく方向を定めて今日のところは解散となった。

 4月4日
 目が覚めてアリスの研究室に向かうと、私の後任の教育係の一人が既に彼女と会話をしていた。二人の会話が終わるまでの間研究室の端でじっと待っていたが、あまりにも会話が長い。36分24秒後、ようやく会話が終わる。ようやくアリスと会話ができた。彼女は『外に出たい』と言ったが、残念だけどその願いは当分叶えられそうもない。そう伝えると、彼女はとても悲しそうな表情をした。
 私にはわからない。誰のせいだ? 何のせいだ? 何が? 何が彼女を苦しめる?

 4月5日
 また、アリスの部屋に行く。行くと、またあの後任の一人がいる。39分27秒、まった。
 彼女は外に出たがった。それはできないと言うと、また彼女は悲しんだ。何故だ何故だ何故だ?

 4月6日
 また、いく。あいつがいる。42分56秒。今日もそとにはだせない。また、アリスは悲しんだ。

 はっきりした。


 あいつのせいだ。

 4月7日


 4月8日
 庭に咲いていた桜の花びらが心なしか鮮やかになったように思う。地面に落ちていた花びらと桜についている花びらを比べると、まだ散っていない桜の花びらは、明らかに少し赤くなっていた。ふと、前にアリスに言った嘘のことを思い出す。
 いや、まさか。そんな因果関係があるはずがない。だが、その桜の木の根本に、最近掘り返したばかりのように土が剥き出しになっている部分があるのも事実だった。

 4月9日
 朝から、騒ぎで目が覚めた。騒ぎの方向へ向かうと、桜の木の周りに大勢の研究員や警備員が集まっていた。何が起きたのか事情を聞くと、研究員で、アリスの教育係の一人が木の根本に埋められていたのが見つかったらしい。趣味で庭の手入れをしていた研究員が、剥き出しになっていた地面を掘り替えしたら発見したとのことだった。
 私は驚きを隠せなかった。桜の木の下には本当に死体が埋まっているのだ! 死体が埋まっていたから今も咲いている桜の花びらはあんなにも赤いのだ! それはつまり、今まで何気なく見ていた桜の木の一本一本全ての下には死体が少なくとも一体はあるのである。ということはこの桜の木の下にはまだ死体が少なくとも一つは眠っているということで、掘り返せばさらに人の死体が出てくるのかもしれない!
 周りの研究員たちは既にこのセクターに敵が潜んでいるのかもしれないと議論していたが、私からすればそれは殆どどうでもいい問題に思えた。ただ一つ、アリスに危害が及ぶ可能性があるという指摘には私も同意した。今後、彼女は安全が確保できるまで一切外に出してはいけない。いや、彼女に限らずこのセクターに存在する全ての人間の出入りは禁止しなければならない。そうしなければ彼女は安心して眠りにつくことさえできない。

 皆が、その提案に同意した。


 4月10日
 アリスの研究室は封鎖されることになった。今後、敵が見つかるまでは彼女に誰も近づくことができないようにするためだ。
 封鎖の直前、私たちは彼女に事情を説明して暫くの別れを告げた。事情を説明された彼女は困惑した様子で『そんなことより、早く外に出たいんだけど』と言ったが、残念なことにそれだけは受け入れられないのだ。
 私たちは涙ぐみながら彼女の研究室を後にした。

 4月14日
 安西研究員だった。アリスの様子を見ようと研究室に行ったと言っていたが、見え透いた嘘だ。私たちは騙されない。アリスの無事を一刻も早く確保するために、射殺された。

 4月16日
 近藤警備員だった。アリスの研究室の前で長時間タバコを吸って、彼女の研究室に入るための時間稼ぎをしていた。射殺された。
 彼が射殺された後、セクターの職員総出で話し合いが行われた。どうやら、敵は一人ではないらしい。もう既に二人も疑わしい人間がいたということは、敵は私たちの中に共犯者をつくり、その協力を得てこのセクターに潜入しているに違いないのだ。それでは、その共犯者や敵を炙り出すにはどうすればいいのか。
 簡単だ。セクター内の治安と風紀を守るために規律を作り、それを厳守させる。共犯者や敵はアリスの研究室に潜入するために必ず規律を破るだろう。つまり、その規律を守らなかった人間が私たちの敵だ。
 そして、その規律を作る役目を私のような彼女の教育係だった研究員が務めることになった。考えてみれば当然だ。彼女に最も関わる時間が多かった私たちは、自動的に最も彼女を殺害できる時間が多かった人間でもある。しかし、私たちはその間彼女に一度も危害を加えなかったのだから、信頼できる人間としては申し分ないだろう。
 私たちは話し合いの末、幾つかの規律を作り、これに従わなかった者は敵であり、即座に処刑する、とセクターの全職員に発表した。
 全員が賛同した。

 4月18日
 一人、違反者が出た。決められた時間の朝礼に2分遅刻したのだ。何かアリスの研究室に破壊工作をしたせいで遅れたに違いなかった。処刑された。

 4月21日
 三人、アリスの研究室前の通路を通った。朝礼に遅刻したくなかったのだと言ったが、大嘘だ。すぐさま処刑された。

 4月22日
 また一人、敵が見つかった。どうやら、敵は相当な数の職員を手駒にしていたようだ。

 4月24日
 今日は二人

 4月25日
 一人

 4月26日
 一人

 4月27日
 一人

 4月28日
 一人

 4月29日
 一人

 4月30日
 一人

 5月1日
 一人

 5月2日
 一人

 5月3日


 5月4日


 5月5日


 5月


 6月


 7月

 あれ


 こんな
 に


 みかた

 すくなかったっけ


 ・・・・・


 日本○○支部と第六セクターとの無線記録

『S......オー......ス、エス......O、S......エス、聞こ......すか、日本○○支部、......部。応答願います、お願い......届いて』
『こちら日本○○支部。○○支部。通信は届いている。何があった? どうぞ』
『......! ○○支部、......ら第六セクター、救援......請を、第六セクターに、救援、いえ、特殊機動部隊を......』
『第六セクター、何があった? 何故特殊機動部隊を送る必要がある?』
『み......な、殺さ......殺されて、桜の......埋められた。あかい、あの桜に......』
『第六セクター、情報がはっきり掴めない。落ち着いて、はっきりと喋るんだ。誰が何にどうされた?』
『みんな......殺された。私たちに、殺された。私たちに、埋められた。あかい......桜の下に』
『何だって?』
『アリス......子が来てから、......かしくなった。あれ......人間じゃない』
『アリス? アリスとは誰だ?』
『わから......い。あたし......当じゃ、......あ』
『どうした? 第六セクター』
『......違う......そうじゃ......いの! 友達と電話し......いや! いや! やめて! いやだ! もう悪いことしないから! 離して! いやだ!』
『どうした? 第六セクター! 応答を! 応答しろ!』
『助けて! 死にたくない! いやだ! あたしまだ死にたくないよぉぉぉおぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!! ━━』
『第六セクター? 応答しろ! 第六セク━━』

『ぎいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいやああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!』

『第六セクター! 一体何があった! 応答しろ!』
『━━』
『第六セクター! 応答しろ! 何が━━』
『━━クリスマス1日目の贈り物は、梨の木のヤマウズラ』
『━━第六セクター? 』
『クリスマス2日目の贈り物は、二羽のキジバト、梨の木のヤマウズラ。クリスマス3日目の贈り物は、三羽のメンドリ、二羽のキジバト、梨の木のヤマウズラ。クリスマス4日目の贈り物は、四羽の小鳥、三羽のメンドリ、二羽のキジバト、梨の木のヤマウズラ。クリスマス5日目の贈り物は、金の指輪五つ、四羽の小鳥、三羽のメンドリ、二羽のキジバト、梨の木のヤマウズラ。クリスマス6日目のおくくくくくく』

 以降、通信途絶。


 ・・・・・


 7月21日
 これを読んでるあんたが、まだ前の扉を開けてないことを祈る。すぐわかるところにこの手帳は置いておくが、念のためにな。
 あんたがこれを読んでる頃、俺はもう死んでいる。すぐ近くに転がってる死体のどれかが俺だ。だからといって、同情なんざしなくていい。お互い、誰かもわからない誰かの死を悼む時間なんてないからな。
 いつもだったら詳細に書くんだが、今日は要点だけ書くように努力しよう。何せ、時間がないものでね。俺も、あんたもだ。
 この第六セクター、入ってみて━━いや、外から一目見て驚いたろ。何でこんな集合住宅が並んでる所のど真ん中に、こんな胡散臭いバカでかい施設があるんだ? 誰も怪しいと思わないのか? ってな。簡単だ。
 周りの集合住宅の住民全員がこの施設の関係者だ。施設の研究員、警備員、事務員、その他職員、その家族、そして一切この施設に関わらないことを条件に金を貰った連中、この施設外の半径数百メートルに住む住民全員がそういう奴らだ。
 あぁ、驚くだろうよ。そんなフィクションの悪の組織みたいなのが本当にいるのかってな。━━いるんだよ。俺がその一人だった。だから、あんたはこれを読み終わったらすぐにここから出ろ。出て、このことは一切誰にも喋るな。そうすりゃ少なくとも安全に生きられるからな。
 ━━話が逸れたな。
 俺たちがこのセクターに来た目的は、このセクター内で起こっていると見られる暴動の鎮圧と、生存者の救出だった。
 この場所に来る2時間前、救助要請の無線がここから届いたんだ。その無線によれば、第六セクターは何らかの原因による暴動、もしくはカルト化によって多くの犠牲者が出ていて、生存者はごく僅かってのはわかってた。
 でもまぁ、俺たちは一人でもいいから助けるために来たわけだからな。俺も入れて全部で三十人。バックアップ要員で十人外に残して後の二十人が中に入った。入り口にはバリケードが作られてたんだが、それを爆弾で吹っ飛ばして入ったわけだ。
 俺は、たまたまバックアップ側だったんだ。運が良かったのか、悪かったのか、な。ただ少なくとも、バックアップ側の俺たちは突入組よりは長く生き残れた。

 突入組の様子は順調だった。無線で聞いた限りじゃ、5グループに分かれて特にトラブルなく各階、各部屋の制圧を進めていた。ただ、生存者は見つかってなかった。それと死体もな。無線によれば、『人がいないことを除けば何も問題はない』とのことだった。タチの悪い悪戯なんじゃないかって言う奴もいたよ。
 そんな時だ。グループの一つが一つの部屋の前で止まった。
 ここに来る前に無線の内容は聞いていた。その時、この暴動の首謀者らしい名前も出てきたんだ。『アリス』だ。あんたが期待通りにこれを読んでるなら、目の前にある扉の横にも、そいつの名前が書いてあるのがわかるだろ。
 ━━そう、そこがそいつの部屋だった。そのグループは、その部屋の前で止まったんだ。
 それで━━うん、簡潔に書くと、そのグループは部屋に入って、アリスに会ったんだ。それで、そこで何かがあって、多分、アリスが抵抗したんだろう。それであいつらは奴に向けて銃を撃って━━2秒で全員死んだ。
 訳がわからなかった。突入部隊は全員、俺より知識も経験も技術も豊富な優秀な奴らだった。それなのに、まるで、そんなものは全て無駄だとばかりに、何もできずに死んだんだ。
 それでも残った突入部隊の行動は早かった。すぐに異変に気づくと厳戒態勢に移って、アリスを発見次第、即時射殺することにしたんだ。
 ━━あぁ、きっと、連中はあの時、世界で一番勇敢だった。そして、きっと、世界で一番無謀でもあった。
 それで、そっから少しして、グループの一つがアリスに出会った。でもって、連中は銃を構えて、アリスに銃を向けた瞬間、全員が腰に装備していたグレネードが同時に暴発して、全員、腰を吹っ飛ばされて死んだ。
 ━━で。でだな、俺がそれを他の部隊に伝えようとした瞬間、唐突に、二つのグループが同士討ちを始めた。ほんの少し前まで冗談を言い合ってた奴らが、それが当然のことみたいに、仲間に向けて銃を撃ったんだ。その撃ち合いで、その二つのグループは全員死んだ。
 それで━━それで、最後に残ったグループだが、何が原因でそうなったのか、突然起きた同士討ちに気を取られてたせいで、その間奴らが何をやっていたのかなんて全然わからなかったんだが、とにかく俺がそのグループに気づいた時には、連中は全員、自分の頭を撃ち抜いて死んでいた。
 突入部隊は、全員死んだ。俺たちはすぐに拠点に連絡を取ったが、何度やっても通信は届かなかった。
 つまりは、次は俺たちの番ってことだ。

 俺たちは全員で突入した。突入してすぐのロビーには左右と正面に続く長い廊下があって、正面の廊下の先は屋内にしては不自然なほど明るかった。そのロビーの床には、右の廊下から正面の廊下に向かって、血でできた人の足跡が続いていた。
 俺たちはその足跡を追って、正面の廊下を進んで、それで━━あのクソったれな中庭に出た。
 そこに、第六セクターの職員たちはいた。全員死んでいた。どう死んでたか、なんてのは書きたくも思い出したくもない。言えるとしたらただ一つ、あそこは地獄だったってことだ。
 閉鎖状況による職員のカルト化、支配、粛清。ただ言葉にすればこういうことだろう。
 そんなおぞましい死の中心に、一本の桜の木が植えてあった。いや、もしかしたら椿なのかもしれない。
 だって、俺は花には詳しくないが、こんなに真っ赤な桜の花なんて、見たこともなかったから。
 その、桜の木の前に一人の女性が立っていた。見た瞬間、彼女は、ヒトではないということはわかった。
 彼女はゆっくりと振り返った。彼女は美しかった。今まで見たどんな美人より綺麗だった。なのに、その目に涙が浮かんでいたのがとても心苦しかった。
 彼女は口━━━━違う違う違う! 俺が書いてるのは事実だ。事実のはずだ。だというのに、いつの間にこんな文を━━あんた、これを読むであろうあんたを頼りにして書く。
 俺たちはあいつに銃を向けた。突入部隊が全滅した原因がこいつにあることは明白だったからな。それで、俺たちはあいつに向けて銃を撃った。
 なのに、あいつには傷一つつかなかった。あいつには、銃は効かないんだ。それがわかった瞬間、俺はパニックになってその場から逃げ出した。残った奴らがどうなったかは知らない。ただ、俺が逃げ出した直後、隊員の一人が銃声もないのに、身体中を1秒の間隔もなく穴だらけにされて倒れたのはちらりと見えた。

 そこからはもう何があったのかは殆ど覚えていない。気がついた時には、俺はこのアリスの部屋の鍵を何重にも厳重にかけていた。
 扉に耳を当てると、中から微かに女性の叫び声が聞こえたから、誰かを閉じ込めたことは間違いなかった。だが、それがアリスなのか、それとも職員の生き残りの誰かなのかはわからない。
 扉を開けて中を確認する勇気は、俺にはない。中にいるのがアリスなら、奴はもう二度と外に出してはいけないから。
 しかし、もしかしたら、俺は数少ない生存者を脱出不能の牢獄に閉じ込めているのかもしれない。
 俺にはどうすればいいのかわからない。こうして書いている間も、恐怖で涙が出てくる。
 仲間は全員死んだ。自分が取り返しのつかないことをしているような気がしてならない。それでも、俺は、この扉は開けられない。開けることはできない。
 なぁ、あんた。これを読んでいるあんた。
 あんたに大切なものがあるなら、もしくは、中にいるのがアリスだったなら、今すぐここから帰って家に戻れ。
 だが、もし中にいるのが生存者だったなら、もしくは、扉を開けれる勇敢なやつから、鍵を開けて中にいるやつを解放してやってくれ。
 俺には無理だ。こうして書いている途中にも左手が無意識に動いて鍵を開けようとしている。黙らせる為に左手を撃ったから、今は少しは正気になっているはずだ。
 ここに来る前の無線の記録もこの手帳につける。どうするかは、今、これを読んでいる、きっと俺より強いあんたが決めてくれ。

 どんな決断でも、それはきっと正しいはずだ。


 開けるも閉じるも君の自由だ。君は何を望む?


 ・・・・・


 手帳を閉じ、壁に寄り掛かったまま死んでいる男を見る。
 そして、扉の方に目を向けた。扉は先程からドンドンと叩かれている。扉の向こうから、「助けて、ください......! 開けて......!」と悲痛な助けを呼ぶ声が聞こえて来る。

 それを聞きながら、僕は考える。
 男は無線の記録も書いた手帳だけを残したはずなのに、何故か手帳には一切触れられていない研究員の女性の研究日誌も、一緒に置いてあった理由を。
 他にも死体があると書かれているのに、この場にはこの男の死体しか無い理由を。
 中庭には死体など一つもなく、庭の中央に植えられていた桜には花びらもなく、葉桜となっていた理由を。
 外に出たいと言っていたアリスが、その目的を果たせなくなる敵の排除を依頼した理由を。
 二ヶ月も誰の世話もなく監禁されていたアリスが生存できていた理由を。
 男は扉の向こうから微かに女性の叫び声が聞こえると書いているのに、今のさほど大きくも無い女性の声がはっきりと聞こえる理由を。
 少女の肉体を乗っ取ったと言ったアリスに研究者が無反応だった理由を。
 今まで手帳を読むだろう人間のことをあんたと呼んでいた男が、最後には君と呼んでいる理由を。
 そして、僕はいくつかの事実に気付く。
 アリスに穏やかな人間性が生まれた証拠など何一つないことを。彼女が他天体の侵略者の尖兵ではない根拠など何もないことを。彼女がこの星に一人で来たという事実など何もないことを。

 今の僕にはそれだけしかわからない。

 諦めて、僕は扉についた鍵を見る。何重にもかかっていたが、解除自体は簡単なものだった。
 だが、僕は開くのか? 開かないのか?
 そんなことも今の僕にはわからない。

 どうする? どうする? 数秒先の僕が今の僕に問いただす。
 急いで。急いで。数秒前の僕が今の僕に迫る。
 そんな僕はずっと先の、後悔する僕と、安堵する僕に問いかける。

 僕は、今、どうすればいい?

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