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もういっそのこと逮捕して欲しかった

きっかけは、本当に些細なことだった。
夫に嘘をついて、昔好きだった人に会いに行った。
本当に、ただそれだけのことだった。

***

初めて行く喫茶店で、懐かしい人といくらか話した。
特に盛り上がったわけでもないが、解散が少し遅くなってしまった。

だから急いでタクシーで帰ることにした。
どうしてこんなに遅くなったのか、本当は誰と会っていたのか、
そういうことを、夫に聞かれたくなかったから。
ただその一心だった。

だけど、そのタクシーが人を跳ねてしまった。

私は怖くなったけれど、そんなことよりも、
早くお家に帰らなきゃと思った。

それはもう盲目的に、
目の前の命よりも、
自分の平穏を優先したのだ。

急いで他のタクシーを呼んで、事件現場など見向きもせず次の車に乗り込んだ。
その運転手は若くてチャラチャラした茶髪の男性だった。
同い年くらいだろうか。

私を助手席に座らせ、平気でナンパをしてくる。
密室の出来事ということもあってか、かなり強引で狡猾な手口だった。

だけど、とにかく早く帰らなきゃいけなかったから、私は、運転手の要望に応じた。

気付けば、私は大きな罪をいくつも犯していた。
犯していた?いや、積み重なっていたという感覚に近い。
ふと立ち止まると、目の前には、山積みの罪が私の未来を阻もうとしていた。

自宅のリビングに、夫と、夫の友人と、私。
3人で話し合いをしている。

「どうしてこんなことになったのか、説明して欲しい。正直に聞くけど、まだ俺に未練はある?」

「未練も何も、離婚する気なんてなくて…」

全てを打ち明けようと思った瞬間、玄関のインターホンが鳴った。

きっと警察だ。
私を探しにきたんだ。

夫はリビングを後にし、玄関を開ける音が聞こえた。
やっぱり警察の声だ。

警察と夫が話している声が聞こえる。

あぁ、どうか、早く私を見つけ出してください。
もう、逃げるだけの生活に、探されるだけの生活に、終止符を打ちたかったんです。
ようやく、この逃亡劇も終わる。
早く楽になりたい。
だから、どうかーーー

…けれども、警察が家の中に入ってくることはなかった。

夫一人がリビングに戻ってきた。
警察は、この女、つまり私を探しているのだという。

きっともうマークされてる。
髪型だって知られてる。
あとは時間の問題。
警察はきっと、動くタイミングを見計ってるだけだ。

家の周りにも警察が何人か立っていて、逃げられる状態ではない。
だから夫と私は、3階の隠し部屋に移動することにした。
そして私はそこで、終わりのない立てこもり生活を送ることを余儀なくされた。

私は一つ一つ、自分の身に起きた出来事を夫に話す。
信じてもらえないような話ばかりだ。
だけど夫は信じてくれた、まっすぐな目で。

私はやけにお手洗いが近くなり、何度もトイレに駆け込んだ。
隠し部屋のトイレはガラス張りで、家の中における排泄行為にさえプライバシーはもうないのだという目の前の現実が私をより追い詰めた。

もういっそのこと逮捕された方がマシだ。
だけど、私はいくつも罪を犯してしまっている。
何人の命を見殺しにしたのかわからない。
きっと顔や名前も日本中で知られてしまう。
出所したとして、今までのような生活に戻ることはできるのだろうか。
そもそも、出所って何年後になる?
いや、この罪状なら死刑だってありえるかもしれない。
檻の向こうで上手く生活できるだろうか。
あぁ、この生活が何年続くのだろうか。

***

突然、目が覚めた。
そう、これは全部夢の中のお話。
完全なら悪夢。

この悪夢から覚めても、あまりのリアリティに、体の震えが止まらない。

夢の中の「私」は、確実にこの「私」で、
夢の中の「夫」は、確実に今横で寝ている「夫」だった。

夢は、記憶の整理や、
現実では無意識下に抑圧してしまった感情に気づかせるためにあると言うけれど、

私は一体、この世界で何をこんなにも恐れながら生きているのだろうか。

…って、こんな暗い近況報告があるかーい!

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