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昔から思っていたこと…

昔から思っていて、なおかつ最近、如実に感じるようになってきたのが、人と意見を交わす際の脳の出来というか、話の進め方の正解に近い人は、情報量や知識量の総量、言うなれば博識な人よりも、むしろ思考が柔軟である人の方に軍配が上がるかな? ということ。

若い頃は、戦争じゃないけど、最終的には物量が物を言うのだとばかりに頭に詰めこむだけ詰めこんだ知識を滔々と語って相手を圧倒することこそ正攻法という、アメリカさんの戦術みたいな論調が議論の場においては自分も含めて主流派だった気がします。

ときどきいい加減なことを言う部分も含めて「歩くウィキペディア」だの雑学魔王などとかつて夜のカウンターで言われていたオレも、今や情弱者のスマホ検索にすら太刀打ちする術もなく、会話の際はひたすら専守防衛に徹しています。

結局は、言外の言なり、行間を読む…といった、合理的な論理構成を超越した抽象的な共感性の感度をできるだけ鋭敏に確保できる思考と感受性の幅と奥行きを持つ人こそが、最終的にはより広範な人の深い理解を得られる言葉を紡ぐことができるのではないかとオレは愚考するのですよ。

もちろんビジネス書も含めた実用書全般を否定する気は毛頭ありません(自ら何冊も作ってきてるしね)が、凡百の自己啓発書も含めて、コレが最短距離の正解だと言われる仕事や人生のマニュアル類の書籍の結論って、誰もが少し落ち着いて時間をかけて合理的に考えた当然の帰結以上にはなり得ず、読み終えて頭で理解はできても、ちっとも心が動かないことの方が多くないですか?

そういうわけでオレは今後も、情弱にならない程度に常識は把握する努力はしても、それ以上に小説や詩歌の類いにもっと親しみたいと思います。

これまでも結局、最後は感性に従って生きてきちまったしね。

https://nazology.net/archives/149697


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