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【仮想旅行】1978年鹿児島行【後編】

ども、ゆさっちです。
巣ごもり企画の仮想旅行。
楽しんでいただけるとうれしいです。
前編から引き続きよろしくお願いします。

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深い眠りに列車の走行音がフェードインするように割り込んできた。
そして車内アナウンスを告げる「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴール音が目覚まし時計のように夢うつつの世界から呼び戻す。
「おはよう放送」が始まる。
「おはようございます。本日は○月○日○曜日です。列車は定刻で運行されております。あと10分で柳井に到着いたします。普通列車小郡行お乗り換えは・・」
広島を過ぎ、時刻はまもなく7:00。
アナウンスを聞きながら個室内の洗面台で顔を洗う。
車端部の共同の洗面台を使わずに済むのは、手軽でありがたい。

車窓には朝日に輝く瀬戸内の海が広がる。
「今日も天気はよさそうだ。」
身支度を整え、8号車の食堂車に向かう。
トーストを頬張りながら、流れゆく車窓に目をやる。
通りすぎる町並みはもうすっかり目覚め、朝の慌ただしさに包まれている。

列車は下関に到着、ここで列車は機関車付け替えのため4分停車する。
時刻は9:00を回ったばかり、終点西鹿児島までは、まだ9時間の長丁場だ。

列車の先頭では東京から牽引してきたEF65形機関車に代わって関門トンネル専用のスペシャリストFE30が連結されていた。

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海水の滴る関門トンネル用に錆に強いステンレスボディを纏い、また山陽側の直流と九州側の交流、両方の電流方式に対応している専用機だ。

関門トンネルをあっというまに抜けると、九州の玄関口、門司である。
ここでEF30は一駅でお役御免となり、宮崎までED76形機関車が牽引することとなる。

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(写真は後年のものです)

小倉から日豊本線に分け入ると、そこは特急・急行が我が物顔で駆け抜ける大幹線である。
すれ違う485系は「エル特急にちりん」、455系の60Hz仕様版475系は「急行ゆのか」だろう。
「東北本線でいえば『エル特急ひばり』と『急行まつしま』の関係か、同じ形式の車輌、良くも悪くも国鉄は大きく、画一的だな」
車販で買ったビールを傾けながらひとりごつ。

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宇佐駅を過ぎ、立石峠を駆け抜けると、やがて別府湾と国道10号線が左側の車窓に寄り添ってくる。
湯煙の上がる温泉街を擁する別府を出ると、また別府湾沿いに列車は進む。
ぼうっと車窓を見ていると、別府湾沿いの国道が「別府大分毎日マラソン」のコースの一部であることに気づく。
「そういえばTVで見た光景だ」
海はマリンブルーに染まり、道には椰子の木やソテツの並木があり、ここが南国であることを雄弁にものがたっている。

列車は程なく大分駅に滑り込む。
ここで8分停車し、食堂車を含む後ろ7両が切り離される。
ホームにおりて久しぶりに外の空気を吸う。
時刻はもうすぐ12:00。
10月も半ばを過ぎたが、九州の日差しは強く、頬をなでる風は暖かい。

ここで後部の車輌を中心に多くの乗客が下車していった。
東京からの移動の需要は、この辺りで一区切りあるのだろう。
昼食時だが、食堂車は切り離されてしまった。
利用客も見込めないのかもしれない。

身軽になった編成は、思い直したように淡々と終点に向けて歩を進める。
昼食用に下関駅で確保したお目当ての「ふくめし」を掻き込む。
ふぐの身の弾力とふぐの旨味を炊き込んだごはんが箸のスピードを上げる。

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食欲も満ちて人心地がつくと、他にすることもない。
通路の椅子をセットするとそこに座り、流れる車窓をぼんやりと見つめる。
つまらない訳ではない。
ここまでの旅程を反芻しつつ、初めて見る光景を楽しんでいるのだ。
そうこうしているうちに、かつての難所、宗太郎峠を越え、列車は宮崎県に入る。

宮崎駅10分停車。
ここで列車の先頭に立つのはラストランナー、DF50である。

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(写真の客車が20系でしたね。もちろんこの話当時は24系です)

東北では見られない型式である。
貴重な機会、記録のためバッグから旅に出るときは常時携帯しているニコンF2を取り出し、シャッターを斬る。

宮崎でも多くの乗客が降りた。
ここから先は日豊本線の末端区間、非電化の単線となり、ローカル線の風情が濃くなる。(この区間の電化は翌79年)
列車の本数も少なくなり、宮崎と西鹿児島を結ぶ特急列車はこの「富士」の他は「にちりん」が1本あるだけだ。
(このにちりんだけディーゼルのキハ80系で運用されていました)

時刻は16:00を過ぎた。
人の少なくなった車内に、西日が差し込む。
放課後の教室に似た、寂寞感に包まれる。
「あれは霧島山かな」
それはこの列車が鹿児島県に入り、この旅のフィナーレが近いことを示している。

列車は竜ヶ水駅を通過している。
車窓には錦江湾、そしてその向こうには夕闇に墨絵のように浮かぶ噴煙たなびく桜島の偉容がある。
「ここまで来たんだ」
その光景を脳裏に焼き付けるように凝視し、つぶやく。

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日豊本線の終着駅、鹿児島駅を出て、鹿児島本線に入れば次の駅はいよいよ終点の西鹿児島である。

出発のときと同様に車内に「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールが響く。
「長らくのご乗車お疲れ様でした、まもなく終点の西鹿児島に到着いたします。お忘れもののないようお支度ください。お乗り換えのご案内です、鹿児島本線川内方面・・・・」
車掌のアナウンスに耳を傾けながら、降車の準備を進める。

ついに「富士」は長い歩みを西鹿児島駅のホームに停める。
西鹿児島、到着定時。

ドアが開けば、「富士」の旅も終焉である。
時刻は18:24、24時間24分の旅。
今日の18:00に東京を出た「富士」はもう西鹿児島を目指しまもなく横浜に着く。

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「さて、いきあたりばったりで来てしまったな、今日は鹿児島泊として、帰りはどうしよう」
足はみどりの窓口へ向かう。

「東北へ帰る早道は『特急有明』で博多に出て、新幹線か飛行機かな」
指定券の申込書に書き込み始めるが、やがて手が止まる。
「急ぐことはない」
書きかけの申込書を丸め、ゴミ箱に捨てると新たな用紙にペンを走らせる。

「はやぶさ A個室 西鹿児島→東京」
「寝台特急で九州一周して帰ろうじゃないか」

窓口でチケットを受け取ると軽い足取りで駅を出る。
「今夜は天文館で地酒と土地のうまいもので鋭気を養おう」
「明日は『はやぶさ』の発車時刻まで指宿枕崎線に乗って、日本最南端の駅「西大山」に行こう、きっと開聞岳が迎えてくれるはずだ、その後は指宿でひとっ風呂ってのもいいな」

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夜のとばりが降りた鹿児島市内。
上機嫌でいつもの癖で鉄道唱歌を口ずさむ。
その姿が雑踏の賑わいに紛れ、遠ざかり、消えていった。

♪大崎トンネル打ち過ぎて、早くも着きぬ鹿児島市♪
♪東京出でて三日目に、来らるる汽車の有り難さ♪

(了)
(ダイヤは1978年(昭和53年)10月改正時のものです)

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