創作の独り言 「愛」と「恋」の違い
「愛」と「恋」、それはどちらも日常的に使われる甘美な響きである。特に愛は家族愛から友愛など、広域なところで使われているなど、非常に美しい言葉であることがわかる。しかし、小説で使用する場合は意外にこれに悩まされることが多い。何よりも、どちらも似たような言葉であるため、どこでどのような手法で使えばいいのか難しい。言葉だったりする。
「愛」と「恋」どのような印象があるだろうか。共通しているのはどちらも「人に対する安定して供給される好意的な気持ち、態度」などだろうが、個人的には「愛」の方がより安定していて、「恋」は常に変動する不安定な感情という印象である。
それと、「愛」というものは「恋」より広義であり、性愛関係なく使用される。このため、家族や親友関係などの性愛に関わらない物語では頻繁に使用される。
一方の「恋」は、どちらかというと性愛にフォーカスされた言葉である。基本的に友達や家族に対しては「恋」という言葉は基本的に使用しない。それはこの「恋」という言葉が明確に「性愛」を示しているということが考察できる。
面白い話があり、別の言葉で「下心がある」というものがある。
そして「愛」と「恋」にはそれぞれ「心」が含まれているが、ここで位置に注目すると、「愛」は真ん中に心があり、「恋」には下に心がある。ここですぐに「真心」と「下心」という二つの言葉に繋がるのがわかるだろう。意味については周知の通りであるが、これらの言葉は「愛」と「恋」のそれぞれの意味に付合している。
「愛」には真心があり、相手のことを無償に思いやることができるというニュアンスにも使用される。対して「恋」は性愛の観念が絡むゆえ、下心があると判断されてしまうこともある。そして恋が本当に愛へと昇華するかはわからず、愛していると表現できるかは難題となる。
この話の真偽についてはわからないが、これを教えてくれたのが恩師の国語教員であったことが、私を物語という永劫に続く営みへと誘ったのかもしれない。
さて、そんな「愛」と「恋」であるが、この二つは似たようなニュアンスを持ちながら、全く異なるニュアンスも同時に持ち合わせている。この二つはいわばスペクトラムであり、ある程度の連続性があるといえる。しかし「愛」と「恋」が明確に変わるのは「利益関係」がなくなる時である。
確かに「恋」には、性愛の要素が強く含まれているが、私はどちらかというと「愛」と「恋」を明確に分けるのはこの「利益関係」であると解釈している。「性愛」は利益関係の一つの通貨であり、それを必要とせずに「恋」をしているような関係が持続的に並ぶ関係こそが「愛」だと思っている。
だからこそ「愛」という言葉は友達や家族にも使用される。当然ながら友達や家族間で性愛の関係があるわけでもない。お互いに何かしらの不利益があったとしても、関係を持続することができる安定した「愛情関係」それが、愛には必要になるのだと考えることができる。
そうなれば「愛」と「恋」は、本当にスペクトラムなのだろうか。
そもそもこの二つの言葉は意味こそ類似性があるが、そこには「利益関係の有無」という明確な隔たりが存在している。「恋」のなかで展開される性愛のお互いの利益の享受を超えて、やがて利益関係を問わない関係へと変わっていく。確かにそうなるかもしれないが、実際そうなる例とそうならない例も存在している。
だが、世の中の多くの「夫婦」が「恋」を経由して「愛」へと発展する。一方で子どもに対してはどうだろうか。多くの場合は子どもに対して「利益関係」を抱くことはないし、最初から「愛している」状況になっているはずだ。子どもに対して愛を抱くことができないとなると、それはまた別な精神的な問題である。
それはなぜか。やはり「愛」という概念は「恋」を飛び越えた概念になるのか。
これは難しい話であるが、恐らくは「恋」を飛び越えて「愛」に至ることはないのだろう。「恋」とは性愛という特殊な概念が絡む。肉体的な快楽か、精神的な安息か、どれでも良いが確実にそこには利益関係が存在している。今回の記事では友人関係との対比はしないものの、普通の人間関係以外の、特別な関係の中で「恋」はある意味契約的な概念を示す言葉なのだ。
それではなぜ、「子どもに対して愛がある」ことになるのだろうか。それは、「愛」という特別な関係性で結ばれている間に生まれるものだからなのだ。そのようにして捉えれば、愛という特別な関係の中で生じるあらゆるものは「愛」で結ばれることができて、そこに矛盾は生じない。
これだけ回りくどい話をしているが、小説でこれらの言葉を使用するとなると、文脈が大切になってくるし、それ以上に大切なのは自分が表現したいことがどちらに当てはまっているのか、ということだ。
「愛」というものは無償の、利益関係を伴わない表現であり、「恋」は利益関係を伴った特殊な間柄、そんな表現になるのかもしれない。一方で「恋」は打算的な印象を与えるが、むしろその打算性は人間の弱さを表現したものでもある。二つの言葉はどちらとも、上手く文脈と噛み合わせて使っていかないといけないのかもしれない。
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