HITOSHI NAGASAWA|宿命の女と死─『死都ブリュージュ』の世紀末
Text|長澤 均
およそ夕暮れと散策を語ったら、ジョルジュ・ローデンバックの右に出る作家はいないかもしれない。1892年に書かれた『死都ブリュージュ』は妻亡きあと、「灰色の街」であるベルギーのブリュージュに移り住んだ主人公が、夕暮れどきに街を彷徨するうちに亡き妻そっくりの女性と出会う物語だ。
毎日、同じ夕刻に色が沈んだ街を散策する主人公ユーグの寂寥感は、亡き妻へのひたすらな愛によってさらに寂しい風景となる。彼は妻のものは何ひとつ棄てず、さらに金色の遺髪をクリスタル・ガラスに入れて保管し、それを眺める生活を送っている。
そんなとき偶然、路上で見かけたのが妻と瓜二つの踊り子ジャヌ・スコットだった。彼はジャヌに声をかけ彼女のために家を借り、毎日のように通うようになる。やがて小さな古都で、それは噂話として広まっていく。スキャンダルなのだ。
だがユーグの「瓜二つ」への熱情は嵩じるばかりで、ついには妻のドレスを持って行き、ジャヌに着てくれとまでせがむ。「10年も前に流行したようなドレス」とジャヌが嘲笑することによって、主人公は亡き妻とジャヌとはまったく違う存在だと気づく。見た目はそっくりだが、この卑俗な踊り子は妻の清らかな崇高さとは似て非なる存在だと。
ところがだ。主人公はそんなジャヌを汚らわしいと思いつつ、一層のめり込んでいく。そのあたりから『死都ブリュージュ』は、一種のファム・ファタール小説の様相を帯びていく。
妻の遺品に満ちた自邸にはジャヌを招き入れないようにしていたものの、カソリックの行事の日に彼女はどうしてもと、ユーグの家に来てしまう。そこで妻の遺髪をみつけ弄ぶジャヌ。それを見てユーグはついカッとなり遺髪でジャヌを絞め殺してしまう。
彼はこう呟く「死んでしまった…死都ブリュージュ(Bruges la Morte)」と。
ブリュージュといえば、この街を舞台にした名作がもうひとつある。1900年に32歳で夭折してしまったイギリス世紀末の詩人アーネスト・ダウスンの短編小説集『悲恋─ディレンマ』所収の『ある成功者の日記』。これも宿命の恋を描いた物語で、ブリュージュという都市と物語が密接に結びついている。
ブリュージュにあった「世紀末性」とは何だったのだろう? ベルギー象徴派の存在でもわかるようにこの地には独特のサンボリズムの潮流、あるいは気配があった。
『死都ブリュージュ』には、世紀末固有となるいくつもの記号が配されている。
妻の象徴であり、愛人を殺す道具となる「髪」。ラファエル前派特有のテーマのひとつに髪があったことを思い起こすべきだろう。ラファエル前派は「赤毛」に象徴されうるが、ここでは金髪である。しかもジャヌの金髪は脱色によるものだった。これはずっとのちにアルフレッド・ヒッチコックの『めまい』でも変奏される。金髪の恋人が自殺したあとに現れる瓜二つのブルネット女性(キム・ノヴァク二役)といった具合に。
「鏡」も頻出する。これは世紀末から1920年代まで続くドッペルゲンガー性にも連なることだろう。『死都ブリュージュ』で「鏡は生きているのだ」と書いたローデンバックは短編『鏡の友』(『街の狩人』所収)では「鏡は物の姿を餌にして生きている」とまで書いている。
そんな鏡の世紀末性と呼応するのが水だ。ジョン・エヴァレット・ミレーが川の水に浮かぶオフィーリアを描いたように。
世紀末は水のイメージに囚われている。ローデンバックもまたブリュージュの運河に浮かぶオフィーリアを想像し、そこに妻の姿を投影する。
もっと大きな物語の根幹。理想の女性の死に悲嘆するなか、見た目はそっくりな女性が登場し恋するものの、その女性が卑俗さを悟ってしまうというのは、ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』(1886)に描かれたものではなかったか?
そしてその女の卑俗さを嫌悪しながらも、ずるずると奈落にまで引き摺り込まれてしまうというのは、ピエール・ルイスの『女と人形』(1898)も同様である。世紀末文学におけるファム・ファタールへの拘泥がこのあたりに窺い知れる。
そしてブリュージュというひとつの街が亡き妻そのものの似姿であり、さらにその妻そっくりの愛人をも殺して、二重の死に直面する主人公の宿命とも重なりあっている。
ローデンバックは文中でこう記す。
「ひとつの大きな幸せと同じように潮が引いていったブリュージュ」と。
散策で始まった物語は、死によって閉じる。それはあたかもブリュージュ以外の都市では起こりえなかったことかのように。
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『死都ブリュージュ』関連アートワーク
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