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“子どもを産む理由“なんて、考えたことなかった。


ある日ラジオを聴いていたら、気になる話題に出合った。

お笑い芸人の方がトークの中で、
子供の頃父親に「どうして子どもをつくるの?」となんとなく疑問に思って聞いてみたことがあったという話だ。
父親は即答。
「そんなの決まっているだろ。自分が生きた証を残すためさ」
その芸人さんは、父親の回答を当時子どもながらに理解して、何十年たった今でもすごく心に残っていると話していた。
(この壮大な問いに即答できたお父さん、すごい・・・)

私には生後11ヶ月の男の子がいるが、子どもを産む理由なんて考えなかった。というか、私の人生の中には「出産する」という選択肢が“1日は24時間“という常識と同じくらいレギュラーなことだった。
子孫を残すのは生き物の生理現象というか、遺伝子に組み込まれているというか、自然なこと。という感じ。


改めて考えてみた。
うーん。
やはり生きているからには、そしていつか死ぬからには、子どもを産み育てる幸せを味わってみたい。
大変さも辛さも葛藤も、喜びも愛情も全て含めて
子が巣立つまでは毎日わちゃわちゃと忙しく過ぎていくのだと思うし、その約20年間は自分時間なんてないに等しいだろう。それでも、子と過ごした時間は何ものにも変えられない人生の宝になると思っている。
おばあちゃんになった時に、我が子が赤ちゃんだった頃の写真を見ながら「あの頃はこうだったね、この時はああだったね」と振り返るのも楽しそう。

・・・考えれば考えるほど自分本位に思えてくる。
1人の命=人生を誕生させると考えると、とても重大なことなのに。


話は少しそれるけれど、ネットで調べてみてわかったのが
どうやら人って、「何かを残したい」生きものらしい。
遺伝子を残すことはもちろん、自分が生まれてから死ぬまで、確かに生きていたってことを“何かしら“の形にすることで、安心して死ねるのかもしれない。

子どもを産むことに限らず、それこそ仕事もそう言えるかもしれない。
誰かの役に立つことや、課題を解決したり何かを成し遂げることも
大小はあれど、自分がこの世界に生きていたという証になりえる。
身近なものでいうと写真や動画、
日記やこのnoteだって、その人が死んだあとは遺産のようなものだし、
確かに生きてきた道のりが残っているということになる。
お金には変えられない財産。


確かに生きていた1日1日を、どんな形で残そうか?


残す手段って色々ありそうだ。
でも、日記も写真データも、目に見えるものってなんというか一瞬で消えてしまうかもしれない。そう考えると、確かなものなんてないんだろうな。
私が1番うれしく、幸せに死ねるのは、
大切な人や誰かの心に私が生きていたことが残ってくれることだと思う。


そう考えると、
「どう生きるか」が必然的に見えてくるような気がした。
(今回も壮大な話になってしまった)


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