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Be Reborn〜感謝|エッセイ


今のnoteでの私は、他人様にエールを贈りたいなどと申し上げるほど、元気に過ごしております。


それはすべてお陰さまのことで、過去には心に日が差さない時期もありました。


愛によって生まれ変わることが出来たエピソードを、今日はそこはかとなく書き連ねて告白しようと思います。


✢✢✢


何年も前。私は病んでいて、文字どおり絶望していました。まわりから見ると、家族と暮らしていて、不自由も無いのに何故?と思われるでしょうが、それが病んでいるということなのです。


何を見ても心が動かず、何を食べても味が分からず、笑い方も楽しみ方も忘れて伏せっていました。


原因は家族ではありません。
悪く言いたくはないので書きませんが、
悩みすぎると脳の電熱線が焼き切れてしまうようです。


 
夜が明ける前。私は誰にも気付かれないように、そっと家を出ました。部屋着のまま。玄関にあった適当な靴を履いて、あても何もなく…今振り返っても何処へ行こうとしていたのか分かりません。街を、たださ迷っていました。


――今の自分は、どこかから監視カメラで撮られてるんだろうな…

――私が消えてから、誰かがそれを見るんだろうな…



そんなふうに考えながら、踏切は怖すぎて越えて、幹線道路の脇を歩いていました。

―――


まだ早い時間で、車はそんなに多くありませんでした。


20分ほど歩いて、その街の警察署に辿り着きました。
警察署が、救いのようにそびえ立って見えました。そのときも、自分の存在を懺悔したかったのだと思います。


警察署の階段を上がって、ドアを開けて中に入ると、当直の警察官が応対してくれました。ひどく真面目な顔で、ロビーにパイプ椅子を並べて、向かい合って座るよう勧められました。


「DVに遭われましたか?」とその中年の警察官が尋ねました。


(そんなふうに見えるんだ…)と私は思いました。


DVではない、と答え、自分が取るに足りない、意味のない人間だと(おそらく聞くほうは何を言っているのか脈絡のない話で)何とか伝えようとしました。

 


途中、「ちょっと待って下さい」と人が変わりました。その人とも話すうち、ロビーのカウンターに、夫がいるのを見つけました。


夫は、目を拭いていました。いつも冷静で、涙を見せる人では無いのに。


自分がその原因なのに、近くに行って一緒に泣きたくなりました。何か道を間違えて、二人して迷ってしまったと思いました。そのときは、どうしようも無かったのです。私は迷路の中にいました。


―――


結局、サナトリウムに入りました。サナトリウムで快復するはずが、食事が摂れなくなり、刻み食になり、おかゆ状になりました。


女性の担当看護師から「〇〇さん、スポーツドリンクを一日に半分くらい飲んだら大丈夫よ」と言われるほどになりました。


山の中の施設で、教会と白い十字架が見えたのをぼんやり覚えています。
本棚の中に、スヌーピーのコミックから聖書の教えを諭すものがあったのも、何かの啓示かと思ったりしました。
サナトリウムはカギだらけで、要塞と同じくとても外に出られない雰囲気でした。


―――


迷路にいるのは変わりませんでしたが、決まって土曜の10時(日時ははっきりと意識していました)、夫が面会に来てくれました。


面接室では、テーブルを挟んで他人のように座りました。


いつも甘いお菓子や、夏にはアイスクリームなど、私が選べるように何種類も揃えて、並べながら明るく話をしてくれました。
それでも食べられないことがよくあったのですが…


家では私がいなくなって大変だったと思います。そんなことは夫はひと言も言いませんでした(あとで分かりましたが、義母が遠方から来てくれていました)


子どもたちもずっと不安だったでしょう。学校でもどう過ごしていたのか、
毎日友達が来ていたのに何と言っていたのか、今思い返すと胸が苦しくなります。


本当に皆には我慢してもらって、迷惑をかけたと思います。
待ってくれる家族がいると思えたから、どうにか復帰できました。


医師が何を診て退院させたのか分かりませんが、強いて言えば少しずつ食べられるようになった…夫の差し入れもそう言えば食べられるようになった、ことなのかなと思います。



どうしようもなく弱い私を外に出られるように導き、幹になっていてくれたのは夫です。
夫は聖書の中の羊飼いそのものでした。


「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」

「ヨハネによる福音書」



―――


サナトリウムを退院してから、まだ紆余曲折がありましたが、クリニックから病院に変わり、薬がお陰さまでよく合って、ほぼ元どおりの生活を送れるようになりました。


ようやく、過去の辛い日々を経て、
本当に感謝する意味や、ひとを愛するとはどういうことか、周りに教えてもらったように思います。
以前は愛情を当たり前のものだと捉えていました。


✢✢✢


“大好きな家族へ”

病の中にいたとき、

たくさん心配をかけたけれど

私を見捨てずに、あたたかく見守って

くれて本当に有難う。


生まれ変わっても、

また同じ家族で暮らしたいと思ってるよ。

役割が入れ替わってもいいから、

今度は私がみんなを支えていきたい。


noteという

ものを記録する場所を見つけたから、

今書けるときにみんなに

伝えておくね。


いつかこれを見たら、

私の想いを知るひとつのことばとして

読んでみて。


思い出をこれからいっぱい作ろう。

笑った顔を

いっぱい目に焼き付けよう。

もっと家族が増えて、

つながりが広がったら、

その嬉しい記憶をみんなで

分かち合おう。


大好きな家族へ

本当にいつも有難う。

また、明日も明後日も、

生命が続く限りよろしくね。


お母さんより


✢✢✢


今日はここまで。

お読み頂き有難うございました!

このnoteはいつにも増してとりとめが無くて恐縮です。
思いつくに任せて書いてみました。
構成等目茶苦茶です(笑


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🌟I am little noter.🌟




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