大嫌いだったけれど、大好きな母へ|詩手紙
お母さん。あなたを思い出すと、目を見開いて叱っている顔が浮かんでいました。いつも厳しく注意する声が聞こえていました。
お母さん。お母さんを真ん中にして、私と弟が川の字のように、布団を並べて寝ていた子供の頃。静かに寝静まった夜中、目が覚めると、いつもお母さんは弟の方を向いて寝ていました。私はお母さんの頭の後ろを見つめて、とても寂しかった。
「私より、弟の方が好きなんだ。
私は愛されてない」
大人になっても、ずっとそう思っていたんです。知らなかったでしょう?
打ち明けることも、出来ずにいました。
お母さん。私が嫁いで遠くに引っ越した時、お母さんは一人ぼっちになりましたね。お父さんを早くに亡くしたから、家はがらんとしていたでしょう。おしゃべりが好きなのに、誰もいなくなってしまって。
お母さんは物忘れがひどくなり、
掃除も行き届かなくなり、
どうやら昼と夜の境目も曖昧になり、
やがて、ごはんを食べたかどうかさえ、
分からなくなってしまった。
私は遠くに住んでいて、一生懸命
手を差し伸べようとしたけれど、
結局、うまく行かなかった。
再会したのは、お母さんが徘徊して夜の街で途方に暮れていたのを、弟が見つけ出した後でしたね。脱水を起こして即入院。水も飲まずに、さ迷い歩いたのですね。
お母さんは家を引き払って、私の住む街へ移り、最終的にグループホームへ行くことになりました。少しずつ、回復してきたように見えました。
ある日、心臓発作で、お母さんは旅立ちました。
お母さんの家を片付けようと、すべてのものを整理していた時、小さな手帳を取り出しました。お母さんは大事なことを書き留めるメモ魔でしたね。何気なく、中を見ました。
昔よく新聞に投稿していた短歌。
「この歌手が良い」といった感想。
私の家へ行く予定の日にち。
心の日記。
だんだん文字は乱れ、筆圧が薄くなり、罫線から外れていき、書かれたページも飛び飛びになり。
そして、こんな言葉を見つけました。
『 〇〇へ
〇〇は目の中に入れてもいいほど
可愛かった
大好きだった 』
お母さん。ずっと嫌われていると思っていました。私も厳しくて嫌いだと思っていました。どうしてもわかり合えない、と諦めていました。だけどお母さんは、本当は、愛を込めて、私をずっと見てくれていたのですね。
お母さん。お母さん、有難う。有難う。誤解しててごめんね。
最近周りから言われます。
私は、お母さんに似ているそうです。
かしこ
このnoteは、とらねこ村の#文豪へのいざない 10月5日の課題が、「感謝を伝えたい人への手紙」であることにインスパイアされて、執筆しました。
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