見出し画像

仕事における旧姓使いについて - 虎に翼に刺激されて

今日の朝ドラ、虎に翼の結婚での苗字変更の話が刺さりすぎたので、長文になりますが書きます。


3年前、私は結婚し、夫の姓を名乗ることに合意しました。

そして今年の3月末に会社員を辞めて、個人事業主となりました。(この話はまたおいおい)

屋号は旧姓のフルネームにしました。

結婚して名前が変わること自体は、私は「まあ、これも貴重な経験だしやってみるか」というくらいのスタンスでしたので、すんなりそちらにしました。

ただし夫には「私はそれで良い、と個人的に思っているから議論しないが、女性が男性の姓を名乗ることを当然だとは思わないでほしい」と言いました(どこまで刺さっているのかはわかりませんがね。。)。

そしていざ変えるとなった時にそこそこの違和感と激しい面倒くささを感じました。ぱっと思いつくものは以下です。


1つ目。亡くなった父の欠片が少しなくなる気がした。

"父と同じ苗字じゃなくなる"というのは、もう会えない父とのつながりが薄くなるような気がして嫌でした。(夫にそのことも一応言いました。どこまで伝わってるかはわかりませんが)

2つ目。思ったより旧姓の名前が好きだったことに気づく。

旧姓はそこまで珍しくもないですが、同じ学校で同じ苗字だった人はほぼいませんでした。

一方、新しい名字はこれまた鈴木とか田中とかではないですが、それでも結構よくある名前です。

同じ名前の人がよくいる、という場面に遭遇する度に「ち、前の方がかっこいいし、かぶらなかったのに!」と思ったりします。同姓の人には申し訳ありませんが、その姓がどうこう、というよりも、私は思ったより旧姓が好きで、その良さを思い出すきっかけを欲してる側面があるのかもしれません。

3つ目。まじで手続きめんどくさい。名前変えたの本当に面倒くさい。

もちろん公的な手続きも平日にお役所行ったりでめんどくさいんですが、ネットサービスとかも地味に面倒です。パスワード忘れた時に「あれ?どっちの名前で登録してたんだっけ?」とか思わなきゃいけないのは本当に面倒。

変更はできるものの基本あまり変わらない「固有のID」として使われていることが多いのです。


私がラッキーだったのは、ここに仕事上で名前を変える、の必要がなかったことです。前職では会社内のプロフィールなどは、旧姓のままにしておくことができ、新姓は人事上の書類でのみ必要となりました(まあ、それでも給与の確認の時とか、あれ、どっち?みたいになったんで、面倒な部分はありました。。。)

あと、単純に外資系だったので下の名前で呼ばれることが多かったのもラッキーでした。

これが会社内でも名前変えなきゃいけない、呼ばれる名前も変わる、とかだったら憤慨時間はもっと長かったでしょう。

そういう会社ばかりじゃないと考えれば、やはり姓を変えることをどちらかが選ばなければならないってことは強制されることじゃないって思います。


結婚する時に私が決めていたことは、「今後も基本的な自分自身の活動は旧姓を名乗る」ということでした。

37年間の活動がいきなり違う名前になるというのは私には耐えられなかった。

私の名前でしていた活動が2021年以降はその名前では検索できなくなる、というイメージが強くあり、つまりそれは今までやってきた活動(仕事、社外での活動、つながり)が、なくなってしまうような、積み上がらないような感覚があり、とても受け入れられなかったのです。

前述したように社内でも、見えるところでは旧姓のままにしましたし、キャリアコンサルタントの資格を取った時も資格証に旧姓併記をしてもらいました。

だから、個人事業主でやる、となった時、私の屋号候補は旧姓フルネーム一択でした。


屋号にしたおかげで、契約書なども旧姓でサインできます。(振込口座名は新姓が書かれているので、ちょっと紛らわしいな、と思うことはありますが。)

私は他に付けたい屋号がなかったから、こういう形を選べましたが、個人事業主じゃない場合はそういうことでもないし、もし転職とかしたら新姓になるのかな、と思うとぶっちゃけ嫌です(多分人事と交渉しまくると思う)。

やっぱり、姓を変えることをどちらかが選ばなければならないってことは強制されることじゃないって思います。(2回目)


朝ドラでは、寅子が夫に名前を変えてほしいわけではない、という発言もしてましたが、私も別に夫に自分の名字になってほしかったわけじゃないです。それぞれのアイデンティティ、大事にしていきたいな、と思うわけです。

夫婦別姓は、子供の姓はどうするのか、などあるかもしれないんですが、なんで反対するのか本当に意味わかりません。一緒の姓になる、という選択肢が消えるわけじゃなく、あくまでその選択肢が増えるだけなんだから。


なお、今回の投稿に夫にどこまで刺さっているのかわからない的なこと書きましたが、それは彼の意思や性格の話ではなく、伝え方の問題の話です。

彼はとても良い人ですが、たとえパートナーであっても、別の個人なので、個々の価値観の違うところって、色々議論しまくって、やっと同感ではないものの、共感までできることが多いなと感じているからです。

なので、私がすんなり受け入れたことは本当はよくなかったんだろうか、と思うことがたまにあります。

どうやって議論してくかって難しい。この話、どこかでうまく夫とまた話したいなー。

P.S.
書きそびれてたけど、この投稿を書く熱量が一気に上がったのは、虎に翼のナレーションで「裁判官が判決や令状で旧姓を使うことができるようになったのは平成29年です」というのを聞いた時。

遅っ!!!最近?!!!と思いました。先人の努力に想いを馳せるとともに、まだまだ残るこの議論を次の世代(いや、もうとっくに次の次の世代くらいかもだけど)に残したくないなぁ、という思いが湧きました。

(冒頭の写真 credit)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?