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スマブラステージ【AD.1783.初夢】

 このスマブラステージは縁起のいい富士山の初夢を描いたものです。
 初夢で特に縁起がいいとされる「一富士、二鷹、三なずび」の由来は諸説あり、江戸幕府を創設した徳川家康の好物(鷹は鷹狩のこと)、家康が晩年を過ごした駿河国(現在の静岡県)の名物、「不死」「高い」「成す」を意味しているなどがあります。
 江戸時代初期~中期にこの3つの並びが確立されたと考えられています。

・富士山の来歴
 富士山は静岡県と山梨県にまたがる日本最高峰の山です。約70万~20万年前に火山活動を始めた小御嶽山(標高約2300m)が噴火を繰り返し火山灰が積もったことで約8万年前に古富士火山(標高約2700m)に、約1万1000年前に現在まで続く富士山である新富士火山(標高3776m)へと成長しました。

 昔の富士山、特に8~11世紀の富士山は火山活動が活発で、常に山頂から煙が上り、紀元後800~802年の延暦大噴火、864~866年の貞観大噴火と二度の大規模噴火が発生し、広大な湖(剗の海)が溶岩流で埋めたてられ大部分が消失し、湖水が熱湯になったと記録されています。
 その後、小規模噴火が断続的に起こりながらも安定した状態が続いていましたが、江戸時代の1707年に有史以来最大規模の宝永大噴火が発生。約100km離れた江戸の街も粉塵に覆われて夜のように暗くなり、火山灰が降り積もり、火山雷の音が鳴り響いたと記録されています。その後の富士山は噴火を起こしていませんが、火山活動は続いています。

・日本の山岳信仰
 山は古代の日本人にとって水や食糧、木材などの恵みを得られる場でしたが、険しい地形、深い霧、危険な野生動物、厳しい寒さなど、容易に人が立ち入ることができない存在として恐れられ、神が宿る場所と信じられていました。
 仏教が日本に伝来した後の8世紀頃には、僧侶が俗世を離れて険しい山で修行して悟りを開こうとする修験道が盛んになります。
 日本では太陽信仰も盛んであったため、山からの日の出は特に尊ばれました。

このスマブラステージでは背景の太陽が動きます


 富士山も多くの修験者が修行を行い、12世紀に末代上人が登頂に成功し、富士山興法寺を創建して以降登山道が確立されました。

 江戸時代になると、江戸から見える富士山は江戸町民に親しまれるようになり、先述した1707年の宝永大噴火によって、富士山は大きな力を持った山だと江戸の町民に認識され、富士山に登山して参拝することでご利益を得ようとする民衆信仰の富士講が流行。富士山道には年に数万人規模の参拝者が訪れ大いに賑わうことになります。

 富士山へ行けない人のために富士山を模して造営された富士塚(ミニチュア富士)が江戸の各地に量産され、富士山を描いた浮世絵や挿絵入りの本が多数出版されるなど、富士山はますます身近な山となり、明治時代以降江戸が日本の新たな首都東京になると、富士山は日本という国全体のシンボルとして扱われるようになりました。


 



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