スマブラステージ【AD.910.円形劇場】
紀元前753年に建国された都市国家ローマ市は、数百年の間勢力を拡大し続け世界的な大帝国となりました。
人類は旧石器時代の昔から、精霊や神のような超越的存在を信仰し、踊りや歌の高揚感によって神と繋がろうとしました。紀元前6世紀頃のギリシャのアテネで毎年催されたディオニュシア祭では、歌と踊りに加え演劇が行われるようになり、人々が集まったときに見やすいようにすり鉢状のへこんだ地形で上演されました。紀元前325年にアテネに石の階段を円形に広げた円形劇場が完成しました。
時代は下り、紀元前1世紀頃にローマはギリシャの地を征服し、ギリシャ文化を吸収、紀元前55年にローマ市に巨大な劇場ポンペイウス劇場が作られたことを皮切りに円形劇場が量産されるようになります。
ローマの劇場は大規模なものでは数万人を収容し、会場全体に聞こえるように音響効果が計算されていて、現存しているローマ劇場では今でもコンサートに使われているものがあります。
ローマの劇場は神事よりは娯楽の場として活用され、演劇、合唱、決闘、政治集会、罪人の処刑などのイベントに人々が集まりました。
ローマの建築は、コンクリートを使った極めて頑丈な構造と定期的なメンテナンスを欠かさないことによって、セメントで舗装された道路や地下水道、高さ40m越えの闘技場(コロッセオ)などを実現した驚異的なものでした。
ローマ帝国は征服した土地にローマ式の都市を築いたことで世界中(現在のヨーロッパ、中東、アフリカ北部)にローマ建築は建てられていきましたが、拡大し過ぎたローマは広すぎる領土を治め切れなくなり、西暦395年に東西に分裂、西ローマ帝国は西暦476年に滅亡し、東ローマ帝国は西暦1453年まで存続したものの領土を減らし続けることになります。
古代ギリシャやローマ帝国の残した文献や技術は中東のイスラム帝国が保管し、建物の一部はローマ滅亡後も使われ続けました。
11世紀末~13世紀の十字軍の遠征によってイスラム世界にあった古代ギリシャ、ローマの情報が西ヨーロッパに持ち込まれ、イタリアで遺跡の発掘が進むと、ヨーロッパで古代ギリシャ、ローマの文化が理想的な存在として扱われることになり、ローマ風の見た目の建築は現在に至っても建られています。
古代ギリシャ、ローマは国として滅んだ後も文化は生き残り続けていると言えます。