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縁の切れ目

これまで自分を大切に出来ていなかった私は、傷つくこと辛いことを"からかい"であると認識して軽く流すことで自分を守った。
これくらい仕方ない、こんな私だもの。あとは本気で悲しんだり落ち込んで「それくらいで泣くなよ」と言われた過去も大いに影響しているかもしれない。

私は、その時"傷つくこと悲しむこと落ち込むことを表に出してはいけない、それが誰かを困らせてしまう"と学んだ。だから本気にした自分が悪いし、なるべくなるべく軽く自分の気持ちを扱うようになったと思う。
そして作り笑いが増えた。

今思えば言った本人が悪くて、私がこんなことを思う必要は毛頭ないと言えるけれど、その当時の私には気づけなかった。生きるために必死だったのだ。
そもそも容姿でからかわれることも多かったし、一々傷ついてたら心が死んでしまいそうだった。


そんなふうに生きてきた私の周りには、私に「これくらい言ってもいいだろう」と酷いことを"からかい"という名目で普通に言えてしまう人間が沢山存在するようになった。私は感覚が鈍ってしまったから、その悲惨さを実感出来ずにいた。




時は飛んで、大学2年の秋。
死を覚悟するくらい大きな出来事を経て、私は本当の意味で自分を大切にすることを学んだ。少し生きやすくなった。
自分が変わると、自分の置かれた環境にも違和感を感じるようになるようで。

これまで何とも思わなかった交友関係について、疑問を持つようになった。
「なぜ私が傷つかなければいけないの?」
「なぜそんな言い方をするの?」
「どうしてそんなことをしてヘラヘラ笑ってるの?」
「なんで、相手への思いやりがないの?自分がいいならそれでいいの?」

そんな疑問が走馬灯のように駆け抜けていくタイミングが増えた。既存の交友関係に存在する、嫌な感じの身内ノリに嗚咽した。

1枚皮のめくれた私には、もう我慢出来なかった。
私しか真に自分を分かってあげられる存在はいない。
ならせめて私くらいは、その叫びに善悪を無視して耳を傾けてあげても、罰は当たらないんじゃないか。






私には1つの信念がある。"親しき仲にも礼儀あり"である。
どれだけ仲が良くても、家族だったとしても、相手は他人であることを忘れたくない。関わる時に思いやりを忘れたくない。
そして同時にそれを忘れてしまう人は、関わりたくないと強く思うようになってしまった。私には既存の環境は耐えられなくなってしまったのだ。


それを強く実感したのは、最近仲良くなった友人らとの関わり合いの中だったと思う。
彼らは、私のことをこれでもかというくらい大切にしてくれた。言葉にしてそれを伝えてくれた。
だからそれが私にも伝わった。大切にされることってこんなにも暖かいことなんだと。心地よさを覚えるのだと。

私もあなた達に、その感謝を還元したい。この暖かさ、心地良さを私の大切な人達に教えたい。
だから私は、思いやりを大切にするようになった。



結果私は、既存の交友関係をいくつか手放すことになりそうで少し寂しい気持ちもある。

けれど、その代わりに私は新しい世界への扉を開くことが出来たと思う。これからその世界の住人たちと心地よい関係性を築けることを心の底から楽しみにしている。



ただ私は、言葉で傷つけない、涙を流す必要のない住人達と1つでも多くの笑顔を咲かせ合いたいだけなのだ。


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