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自分が変わることが楽しい人に出会えたから言えること。

人を変えたいと思うよりも自分が変わるべきだという人がいる。自分が変わった方が方法もわかっているし、そのほうがうまくいくこともある。

でも、何回も何回も自分を変えることは、本当の自分を無視していることにならないだろうかと疑問に思うことがある。

わたしは母のために何度も自分を変えてきた。でも、母のために満足いくわたしにはいまだになれていない。今でも「なんであんたはこうしないの?」と疑問をぶつけられる。何十年もつきあってきて気づいたのだが、母が満足いく相手なんてこの世にひとりもいないのだからもう仕方がないのだ。毎回変わるのはあきらめた。

今日も洗濯物を干すのでヒーターをつけたいと母が言うので、暑いからやめて欲しいと言ったら「暑いなら服脱げばいいじゃないの!」と言われた。これ以上脱いだら裸なのに、である。でも、母はわたしが裸になろうが気にしない。洗濯物が干せるかどうかが重要なのだ。

わたしのことを思ってくれない相手のために変わっても、意味がないと思える。何度も変わることでいつかその人が気に留めてくれるならともかく。

変わるのがいやなのではない。変わっても意味がないなら今の自分のままでいたい。それだけなのだ。そこを勘違いしている人がいて、何がなんでも「自分が変わった方がいい」と言ってくる人がいる。

あんたは自分のこと、好きじゃないの? 変わればって言うけど、今の自分を好きな人に対して申し訳なくない? と思う。自分のことを好きだって言ってくれる人がいない人は、いくらでも変わればいいと思う。でも、そのままのきみが好きだって言ってくれる人がいるのに、変わる必要あるだろうか?

矛盾してるが、そのままのきみが好きだって言ってくれる人のためならいくらでも変わりたいと思う。その人は本来のわたしのことを知ってくれているから、変わることはさらに上位のわたしになったということをその人はわかってくれるからだ。

結局のところ、自分を(いつか)理解してくれる人のためなら変わりたい、ということだ。わたしはそんな人にもう出会えた。だから変わることを恐れてはいない。でも、誰かのために変わるなら相手を選びたい。それだけ。

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