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パイナップルと父の骨折

 芯ごと食べられるという台湾パイナップルを買った。酸味が立ちすぎず柔らかく食べやすかった。生ごみが少ないのもありがたい。ついていた葉ごと上部を切ったものを試しに小さな庭に路地植えした。1か月後、ただ枯れているそれを見て、もう一度パイナップルを買ってきた。ネットで調べると、まず水にさして根が出てから鉢に植える方法が紹介されていたので、コップにさしてみた。

 少しずつ根が伸び、本数が増えていった。成長するものを見るのは楽しい。20cm四方ほどの大きさの葉を広げているパイナップルを小ぶりな鉢に植え、庭に置いた。

 1年たった夏の終わり、パイナップルは緑色の葉を増やし、生きていることを証明していた。

  台湾パイナップルを水に浸けて根が出た話を母にすると、やる気が湧いたようで、一緒にスーパーに行き台湾パイナップルを買った。母は食べるのも初めてで、芯ごと食べられるというそれに興味津々だ。私が切って供すると「柔らかいね」と喜んでいた。

 母が水に差した葉は、日当たりのよい出窓に置かれ、しっかり根が出て、鉢に植え替えられた。

 夜が冷えてきて、パイナップルの鉢を室内に移してしばらくした夜、母から電話があった。父が昨日転んで右腕を腫らしていると言う。大丈夫って言うんだ、と。

 父が運転免許を返納したばかりの頃、母は父と一緒にリュックを背負って買い出しに行っていた。ところが一年ほどで父が動かなくなってきたので、運動のためにと久しぶりに買い物に連れ出したのだ。その帰り、母が引いていた買い物カートを自分が引くといって聞かず、引き始めてすぐ、前方に転けたそうだ。

「なんとか起き上がって歩いて帰ってきたけど、どうしようかと思った。夜にはいつも通り風呂入ったんだけど、浴槽出る時に床に手ついて動けなくなって、それもなんとか引き上げた。朝起きたら、右腕が痛くて上がらなくて、赤黒く腫れてるから、風呂敷で三角巾してやってる」と。電話はその夜なのだ。

 朝から電話してくれたらその日のうちに行けたのに。なぜすぐ連絡してこないのか、なぜ風呂に入ってもう一度痛めたのか、いろいろ思うことはあったが「すぐ連絡してくれればいいのに」とだけ言ってあとは飲み込んだ。「お父さんが起きていたら、しなくていいって言うから電話できない」と母は言った。

 父は転んだことも忘れているし、自分の状態がわからないので、風呂に入れるかどうかでなく、入りたいかどうかだけで、頑固。母が止めるのは難しいこともわかってはいた。

 次の朝、室内のパイナップルの鉢にビニール袋をかぶせて保温を図り、実家へ向かう。

 すぐにリウマチでかかっている整形外科クリニックに連れて行った。レントゲンを撮り右上腕骨頸部骨折と診断され、スリング固定となった。痛み止めも処方され、父も少し楽になったようだ。帰宅して、母にスリングの付け方を教えたあと、スーパーへ行き前びらきのシャツを買った。

 父は、左手でスプーンを使って器用にご飯を食べていた。ご飯だけは食べる、と母は言う。トイレもどうにかひとりで行っていた。着替えは手伝った。夜寝ると、無意識にスリングを取ろうとしたり、起き上がりや立ち上がりが不安定で注意が必要だった。母はよく見守っていたと思う。
 大好きな風呂には、骨折してるからしばらく入れない、と毎日説明した。骨折したことを忘れているのだが、腕を吊っているのだから何かあったことは毎日気づいている。一週間ほどしたら座高高めの安いシャワーチェアを買ってきて、シャワーをかけた。


 受診は毎週、それともう一回骨折が早く治るという物理療法を受けるよう言われた。それはどっちでもいいかと思ったが、母の助けになるので妹とふたり、交代で実家へ通った。

 父は順調に回復して2か月後くらいからリハビリで動かしてもらうようになった。

 自分がリハビリを受けていることは、帰った時には忘れているので、毎回初めてだ。行けば多少景色に見覚えがあったかもしれないが、当然担当の先生のことも覚えてはいない。けれど、連れて行けば訳知り顔で冗談のようなことを言ったりする。痛いと騒ぐこともなく従順だった。

 リハビリ室は、下足を脱いでスリッパに履き替えることになっていた。いつも父がオープンの下足棚に靴を入れるところを見ていたのに、気を抜いていたのか、その日に限って見ていなかった。

 帰りに父が引っ張り出した靴は、
合皮ののっぺりした黒い靴だった。わたしが覚えている靴とはちょっと違う気がして、「え、それ?」と聞くと、父はそうだという。「履いたらわかる」と履いて、ああこれだ、と言ったのだ。父の「わかる」を信じてはいなかったが、車ですぐの実家へいったん連れ帰った。母に靴を見せると、「違う違う、緑のすじが入ったコンビのやつだ」と言う。ああ、やっぱり。こっちじゃないかと思ったのがあったのだ。

「お母さん、私が取り替えて来るから、お父さんにもう言わないで。リハビリ行ったことも覚えてないから」と念押しして、10分後リハビリ室へ戻る。

 なぜ、父の靴を確信をもって探せるよう覚えておかなかったのか、自分が本当に腹立たしく、恥ずかしかった。だからなのか、リハビリ室受付では少し大きな声が出てしまった。「靴がないと言われた方いませんでしたか」

 結局その靴の持ち主はまだリハビリ中であることをスタッフが確認してくれ、わたしは父の本当の靴を持ち帰って事なきを得た。

 それから5年が過ぎた。今は実家に居ることが多い。無人の家の冬はパイナップルには寒すぎる。
 それは50cm四方に葉を広げ、葉の縁のギザギザは触ると痛くて扱い辛い。肥料をやったりするものの実がなるには至らなさそうだし、もてあまし気味だ。

 パイナップルだと見せると驚いていた小さな孫に見せてやりたいから、ダメにならないうちはと面倒を見ている。


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