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【エッセイ】本を破った容疑で重要参考人から被疑者になるも、証拠不十分で解放された話 〜それでも私はやってない〜

図書館へ行って借りていた本を返却したときのことである。
今まで、返却時に中を確認されることは滅多になかったし、例えされたとしてもパラパラと簡単に確認するくらいであった。

 しかし、その日は何やら様子が違った。

初めて見るその人は、入念に本をチェックし始めた。私は驚いた。まるで重要参考人として取り調べを受けているような気持ちになってひどく動揺したが、この動揺を悟られればさらに疑われる可能性もあるから、私は全力で平静を装った。そもそも何も悪いことなどしていないのだから、堂々としていればいいのである。


 入念に確認していた刑事の動きが急に止まった。

「ここ破れてますけど、元々こうなっていましたか?」


な、なんだと?破れているだと⁉そんなはずあるわけない!!

身を乗り出して指さされた箇所を見ると、なるほどページの下側がたしかに破れている。その切り口が波型のハサミで可愛らしく切り取られたように破れていて、「おや、うまいこと破れたもんだな」と感心してしまったが、そんな呑気なことを思っている場合ではない。

常日頃から抱いている「向上心」からくる微妙にズレたストイックさは読書にもあらわれ、「もっと!もっとたくさんの本を読まねば!」と何かに追われるように本を読んでいる私は、読むのがそこそこ早い。そして読み終わった余韻に浸る時間もそこそこに、すぐさま次の本を読み始めるのである。読書で得た知識は日々、上書き保存され続ける。
本の内容を思い出すことでさえ果てしない時間がかかるような奴が、借りたときの本の状態を記憶しているわけがなかろう。

ましてや図書館で借りた本というのは、思わぬ汚れや落書き、折れや破れとの出会いの連続である。出会いを探そうと意図しなくても、向こうからやってくるのである。これが人間社会であれば、選り取り見取りのパラダイスじゃないか。

一度、日常の恨みを鉛筆で書きなぐっているものに出会ったときはさすがに仰天し、今でもよく覚えている。これくらいの強烈な物語を秘めてくれれば、「いったいこの人に何があったのだろうか。我々の税金で買われた大切な本に個人的な恨みつらみを書かずにいられないほどこの人を追い込んだものは何なのだろう。」と、いろいろ想像を働かせるので時間が経っても覚えているが、“折れ”や“破れ”はそうもいかない。気づいたときにはギョッとするが、読み進めるうちにすっかり忘れてしまうのである。


 私は絶対に破っていないという自信があった。が、いざ聞かれるとその自信は急速にしぼんでいき、自分が信じられなくなってきてしまう。

“絶対に破ってない。どこかへ持ち運んだりせずに家でしか読んでいないし、何かに引っかかって破れるような置き方や読み方もしていない。”という強気な気持ちと同時に“でも、こんな大きい破れが記憶に残ってないなんて我ながらおかしくないか?もしかしたら私が気づいてないだけで、読み終わった後に破ってしまったのではないか…”という不安が湧き上がる。
結果、「私は破ってない、と、思うんですけど……」という尻すぼみな言い方になってしまった。


 はっきり言えない自分の不甲斐なさに打ちのめされていた私に、刑事の貼り付けたような笑顔と機械的な「…わかりました!失礼しました!」という言葉がトドメをさした。周囲に立っていたスタッフや利用客もチラッと私を見たのがわかった。全員が「まあ、みんなそう言うんですよねぇ」と心の中で苦笑した気がした。

疑われている。私は重要参考人から被疑者になったのである。容疑が晴れたわけではなく、証拠不十分のため身柄を解放されただけにすぎない。

あまりの後味の悪さに「もし私がやったなら弁償したい…でも本当に私がやったのだろうか…」と答えの出ない問いを自分に投げかけながら、とぼとぼと図書館を後にしたのだった。


 
得意な人などいないだろうが、私は疑われることが大変苦手である。考えすぎて「絶対私じゃありません!」と堂々と言えないからだ。


 職場でも、強く否定できないばっかりに濡れ衣を着せられそうになったことがある。

私の職場にはポイントカードがあるのだが、ある日、レジ付近にポイントカードが置きっぱなしになっていることに気が付いた。お客様へ返し忘れたものである。確か最後に会計を担当していたのは50代のパートAさんだったな、と私はAさんに「ポイントカードの返し忘れがありました」と報告した。


私は常日頃からミスを極端に怖れており、細心の注意を払って仕事に取り組んでいるので、担当したお客様の名前や購入された商品を覚えていることが多い。ミスが発覚したときには瞬時に記憶と結びつき、「そうだ、あのときは○○だったからCの作業を優先させたほうが効率がいいと考えて、そのままBを忘れてしまったんだ」というように原因まで思い出す。だから「ポイントカードの返し忘れがあった」と伝えれば、Aさんも思い出すだろうと思っていた。

しかしAさんは思い出すどころか、“あーあ、やっちゃったね”という同情的な眼差しを私に向けた。戸惑いつつやんわり真実を告げようとしたところ、隣にいた社員Tさんが騒ぎ始めた。「だからちゃんと確認しなさいって言ったでしょう?慌てるからダメなのよ。もっと落ち着いてやりなさい」とまくしたて、あろうことかAさんまで「そうですよねぇ」なんて頷いている。
私は仕事中、確認作業を誰よりも丁寧に行っていると自負しているし、今日は忙しくない日であったから慌てた覚えもない。しかし“これだから若い子は…、ねえ?”といった提で盛り上がる二人の様子を前に、私は自分を信じられなくなっていた。

「この人たちがここまで言うってことは私の記憶違いなんじゃないか?」とか「最後に会計を担当したのは私だったような気もしてきた」とどんどん不安になってくる。しかし私の臆病さゆえの正確さは他の社員からも評価してもらえていたし、普段からうっかりミスが多いAさんを疑う気持ちは簡単には消えない。

やんわりと確認してみるもAさんは「全然覚えていない」としか言わないので埒が明かない。それでも、「もし私のミスだったら…」と思うとそう強くも言えず、時間だけが過ぎていった。


 疑われて、確証もないのに執拗に責められて、私は悲しくなっていた。もう例え私のミスだったとしても、私がこれまで誠意をもって取り組んできた姿勢までもがなかったことにされたような物言いに、すっかりしょげてしまって反省する気も起こらない。


 しばらくしてポイントカードの詳細を調べたことで、ようやくAさんは自分のミスだと自覚し、ものすごく気まずそうに「ごめんなさい」と謝った。Tさんは苦笑して、そっと目をそらしただけだった。

私は「ごめんなさいで済むなら警察はいらねえんだよおおおおお!」と心の中で罵り、それでも腹の虫がおさまらずに家に帰って地団太を踏んだ。「く~や~し~い~!!!」とキイキイ暴れる私を夫はまったく相手にせず、そんな夫に対してさらにキイキイ暴れた。こんなに暴れても昇華するのに5日はかかった。


 早とちりで人を責めることがいかに罪深いことかを実感した私は、「絶対に私はこんなひどいことは人にしないぞ」と誓った。
誓ったけれど、ボールペンを失くしたときなんかは、自分が違う場所に置いたことをすっかり忘れたまま「ボールペンどこに置いたのさ⁉ないんだけど!どうせあなたじゃないの⁉」などと騒ぎ立てたりしている。私も夫に、日々濡れ衣を着せているのである。
世の中、お互い様で成り立っているのだ。

とりあえず謙虚さを胸に、これまで以上に本を大切に扱おうではないか。破れや汚れを見つけたら、その都度記録しておこう。そうだ、それがいい。


1人納得し、うんうん頷く私の頭上には、未練がましく『破ったの、私じゃないと思うんだけどなあ・・・』という雲の形をした吹き出しがあの日からずっと漂っている。もう少し、自分のことを信じられるようになりたいものである。



臆病者の平凡な日々を最後まで読んで
くださり、本当にありがとうございます!
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