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【短編小説】目の色が変わっても

 「鈴木~、もう少し目の色を変えて頑張ってくれよ」
 会社で上司からそう言われるのが、僕、鈴木圭太の常だった。頑張っていないわけではないが、主張は強くないし影も薄く、アピール不足でやる気がないと誤解されてしまうのだ。
 そんな僕に、目の色を変える転機が訪れた。

 全世界規模での大々的な感染爆発。
 何度か変異を繰り返したその感染症のウイルスは、感染した者に風邪に似た症状を及ぼしたが、風邪とは違って感染力も重症化リスクも高い。判別のためには検査キットが必要だが、あまりの流行で検査キットが不足し、必要な人に医療の手が行き届かない事態となった。
 そんなある日、驚くべきニュースが流れた。ウイルスが更に変異し、今までになかった症状が見られるようになったというのだ。
 それは目の色、目の中央にある瞳孔をぐるりと囲んでいる虹彩の色が、今までとは全く違う色になるという。その色は、赤、青、黄、緑、紫等多様で、目覚めて鏡を見た感染者の衝撃の報告によって知られることとなった。
 更に驚くことに、目の色の変異は、他の風邪のような症状が治まった後も、後遺症として残り続けるとのことだ。
 それらの情報は世間に驚きをもたらしたが、その分かりやすい症状によって、目の色が変わった者に検査キットは使わないことが決定され、必要な人に早く処置がなされるようになり、医療体制の逼迫が緩和されることとなった。
 僕も風邪のような症状の朝、鏡に映る水色の目をした見慣れない顔に驚かされた。まるで欧米人だ。確かに自分の顔なのに、目の色が違うというだけでこんなにも違って見えるものなのかと思った。自分が見てもそうなら自分を知る周囲の者なら尚更だろう。
 僕は職場復帰した後に起こる波乱を避けるため、出社前日に、かつての自分の目の色である焦げ茶色のカラーコンタクトレンズを買って装着した。
 出社後、誰も目のことについて尋ねる者はいなかった。あえて触れないようにしているのかもしれないと思いながら、僕は日常に戻った。
 世間では、感染した芸能人の中にはあえて変異した目の色を晒すことで、話題作りやイメージ転換や新しい表現に利用し、それは芸能という特異な業界において受け入れられた。
 しかし、そうではない世間一般、特にまだコンタクトレンズの使用には尚早な幼児・児童においては、集団の中の異質な存在として、同年代からの差別と偏見からのいじめに苦しむ者も多い、という話も聞かれた。
 漫画やアニメではカラフルな目の色が当たり前でも、いざそれが身近な現実になると、簡単には受け入れ難いというのが実際のようだった。

 ある日、会社帰りに交差点で信号待ちをしていると、隣りで同じように待つ同年代の女性に、見覚えがあるような気がした。僕の視線に気づいた女性が僕の方を向き、「鈴木君? 鈴木君でしょ? 久しぶり……!」と、驚いたように呼びかけた。その瞬間、僕もハッキリと彼女のことを思い出した。
 彼女は白石雪乃。僕と同じ高校の同学年で、クラスは違ったが同じ部活動を3年間共にした。お互いに好意を持っているのは伝わっていていい雰囲気にもなったが、僕は気恥しさから想いを伝えられないまま卒業し、お互い別々の学校に進学したのだった。
 風の噂では、保育士になった彼女はこの地元を離れ、近隣にある大きな市の保育園に勤めているということだったが、戻って来たのだろうか。
 僕達は笑顔で「白石さん、久しぶり」と返し、再会の挨拶を交わした。「戻って来てたんだ?」との僕の問いを、彼女は、「うん、そうなの。……ちょっと色々あってね」という言葉で肯定した。
 含みのある返答に踏み込み過ぎは失礼だと思った僕は、その色々については追及しなかったが、今度ゆっくり話そうと誘い、現在の連絡先を交換し合った。
 その後機会を設け、僕達は色んな話をした。彼女は今はこの町の保育園で働いているとのことだが、なかなか大変らしかった。
 目の色が変わってしまった園児に他の園児が意地悪をしたり仲間外れにしたり、目の色が変わっただけで他は何も以前と違いはないと説明しても理解してもらえなかったり、迎えに来る保護者等も目の色が変わった園児をつい奇異な目で見てしまう、ということが頻繁にあり、心を痛めることも多いそうだ。
 そんな中でも真剣に保育という仕事に取り組む彼女に対して、僕は人として尊敬の念を持ったし、話を聞くことで彼女の支えになりたいと思うようになった。
 彼女は僕に、「鈴木君は変わらないね。控えめで目立たないけど、でもすごくいい人」と言った。
 僕はやや微妙な誉め言葉に苦笑しながら、「君も変わらないよ。思いやりがあって真っすぐな所は昔と同じだ」と微笑んで返した。思い悩むことが増えた分笑顔に陰りが見えるようになったことは、伝えないでおいたが。
 何度か会って話をする内に、僕達の間には高校時代の、お互いに好意を持っていた頃の雰囲気が戻って来た。彼女への僕の想いも。
 当時は言えなかった想いを、僕は数年越しに伝えた。彼女は少し迷うような表情を見せつつも、嬉しいと言って受け入れてくれた。

 こうして僕達は恋人になり、お互いに名前で呼び合うようになった。
 僕は恋人になった雪乃に、目の色が変わったことを打ち明けずにいた。言って心変わりするような女性ではない、とは思っていたが、わざわざ言わなくてもいいかな、と思ったのだ。
 やがて月日が流れて恋人付き合いも数ヶ月が経ち、お互いの仕事の繁忙具合も一段落した頃合いに、僕は雪乃にプロポーズすることを決めた。
 世間では、数年交際していた歌舞伎役者の男性と歌手の女性について、結婚が取りざたされながらも、歌手の女性の目の色が例の流行り病で変わってしまったことで、子供への遺伝を心配する歌舞伎役者の親族が反対して揉めている、という話が流れていた。
 芸能界と言えども、この国の伝統芸能の世界では、やはり伝統的な目の色にこだわりがあり、異端なものを受け入れられないのだろう。
 実際のところ、例の流行り病で変わった目の色が遺伝する、という研究報告はない。しかし遺伝しないという報告も聞かれないままだった。
 目の色が変わったことで、結婚して子供を設けることに躊躇している人が多いのかもしれない。また、目の色が変わったことを秘密にしたまま結婚し、変異した目の色が、生まれた子供には遺伝しなかったことで沈黙を貫いている、という人もいるのかもしれない。
 僕は、プロポーズする以上、目の色が変わったことを打ち明けるつもりだった。
 雪乃自身に差別や偏見の気持ちがあるとは思わなかったが、保育の現場で厳しい実情を知っている彼女のこと、子供への遺伝を危惧しないとも限らない。その時は子供を産まない選択を提案するつもりだった。どうしても子供がほしければ養子を迎えてもいい。家族の形は1つとは限らないのだから。

 意を決して伝えたプロポーズ。しかし雪乃は首を横に振り、「ごめんなさい」と言った。「どうして?」と尋ねる僕に、雪乃は自分の目に触れて、僕が気づかないでいた焦げ茶色のカラーコンタクトレンズを外してみせた。
 そこには、深紅の虹彩を持つ雪乃の姿があった。
 「この町に戻って来る前に勤めていた保育園でね、バタバタしててコンタクトを落としてしまって、この目を見た子供達に『鬼だ』って言われて、酷く泣かれちゃったの。それで、園長先生にも勧められて、この町に戻って来たのよ」
 再会した時に『色々あって』と濁していたのは、そういうことだったのだ。以前と比べて笑顔に陰りが見えるようになったのも、その出来事が雪乃の中に影を落としていたからなのだろう。
 「何も悪いことをしてないのに、目の色が違うというだけで仕事も辞めなきゃいけなくなる。子供は正直だから仕方がない。でも私は凄く傷ついたし、こんなつらい思いを生まれて来る子にも背負わせるかもしれないと思ったら、とても、プロポーズを受ける気持ちにはなれないの。圭太は私のこと、変わらないって言ってくれたけど、今の私はもうあの頃の私と同じじゃないのよ……」
 そう言う雪乃の目から、大粒の涙が溢れ、頬を伝って落ちた。
 僕は雪乃の肩に手を置くと、「雪乃、僕を見ていて」と言い、今まで秘密にしていた焦げ茶色のカラーコンタクトレンズを外した。雪乃は「そんな……」と絶句し、呆然としていた。
 「雪乃、君は変わってないよ。『目の色が変わっただけで他は何も以前と違いはない』って、保育園の子供に言ったんだろう? だったら君も同じだよ。もちろん僕も同じだ。……それに、僕は深紅の瞳の君も、美しくて素敵だと思うよ」
 僕は、涙目で僕を見つめる雪乃を抱き締めた。
 「遺伝するってハッキリ決まってるわけじゃないけど、心配なら子供を産まない選択もある。養子を迎えてもいい。でも、君と一緒に生きて行くことを諦めるのは嫌だな。……僕と、結婚してほしいんだ」
 僕の腕の中で泣いていた雪乃が、顔を上げ、涙ながらに微笑みを浮かべると、小さく頷いてみせた。
 「一緒に生きて行こう」
 そう言って雪乃を強く抱き締める僕の目にも、涙が浮かんでいた。

 雪乃のような傷つく経験をして来なかった僕は、カラーコンタクトレンズを外して鏡を見る度に、まるで欧米人だと思うくらいで、正体を隠して過ごす日々は平穏だった。それは、ただ逃げているだけの生活だったのかもしれない。
 目の色が変わってもその人の本質に変わりはないのだと、当事者が声を上げることが、社会を変えて行くことに繋がるのかもしれない。目の色が違うというだけで傷つけられることのない社会に。
 僕は主張は強くないし影も薄い。社内の企画のプレゼンでも、どうしてもアピール不足のように扱われ、同僚に遅れを取ることもしばしばだ。
 明日のプレゼンでは、カラーコンタクトレンズを外してみよう。どんな結果であれ、強い印象を残すものになるに違いない。



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