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note 始めます

雑感

最近noteを見る機会が増えました。

参考になる記事がとても多く、利用者が増えているようです。

自分自身の考えをまとめたり、発信するにも便利そうなので緩やかに始めてみようと思います。

簡単な自己紹介

瀬戸内海まで車で15分、風光明媚な岡山の田舎町に生まれ、海、山、川を遊び場にし、野生児のように育ちました。隣の家に住む従兄弟と男4人兄弟のような家庭環境だったため当然やんちゃです。

中学、高校は柔道に熱中し、高校後半から相撲部と掛け持ちで、大学は日体大相撲部に進みました。高校3年の時に103Kgぐらいでしたが、大学入試の実技試験の100M走は12.7秒、鉄棒の懸垂は満点の30回が余裕で出来ました。

学生相撲出身で経済界にいる人間は珍しいので、いろんな人から珍しい経歴の人と言われます。自分自身は典型的なベンチャー屋と認識しているので普通と違うという評価は嬉しい限りです。

生粋の体育会人間ですが、学識がないのでビジネスは体育会のノリではなく、ロジックを最優先するスタイルです。

修行時代

母校の日体大では教職に進む仲間がほとんどでしたが、自分は高校時代から実業家になって、できれば東証1部上場企業の社長になりたいという妄想を抱いていました。

経済学部でも法学部でもなく、勉強は高校時代から全くしてこなかったのでビジョンや具体的計画はゼロです。

岡山の片田舎から上京して学歴も人脈もなかった自分ですが、大学後半に運よく元副総理で大臣、衆議院議長を歴任した大政治家、石井光次郎先生の事務所に雑用兼鞄持ち(今ならインターン)で採用してもらい、社会人としてのキャリアをスタートしました。

高輪の自宅事務所には大物政治家がひっきりなしに出入りし、付人としてブリヂストン、出光興産、電通、佐川急便などの企業にも同行させてもらいました。政治献金が入ったトランクも初めて持ちました。

先生が会長を務めていた日本体育協会や横綱審議委員会の稽古総見にもゴールドのキャデラック(古き良き時代)の助手席に乗って同行しました。

警察のボディーガードにもよく間違われるなどとても楽しい仕事でした。

先生は高齢で持病もありましたが、早朝から主要な新聞を1時間以上かけて読み込み、その場で私に記事をクリッピングさせていました。

新聞タイムが終わると朝食でカリカリに焼いたトーストを名刺の半分ぐらいに切ったやつにバターをつけ、キャビアをたっぷり乗せて食べていたのが印象的です。キャビアなる食べ物は初めて見ましたが、当時は今ほど高価ではなく、自分たちスタッフも好きなだけ食べさせてもらいました。

朝食が終わると朝から夜まで精力的に活動していました。

この修行時代の経験は私の人生のかけがえのない財産となりました。

2年間の任期を終え事務所を卒業する際に、先生から就職先として大手企業を複数推薦していただきましたが、自分は「大手企業には向かない」一人前になるためには「叩き上げしかない」という考えで中堅のスポーツ施設・機器会社を紹介していただきました。

スポーツ施設業界の仕事は意外に単純で当時は気合、努力、根性が通じる時代でもあったので、とても面白く、新米でありながら、行政、学校、体育施設などの新規顧客を多数獲得することができました。

約2年半で営業マンとしてトップクラスの成績を上げ、達成感もあったので次のキャリアに移ることにしました。

なぜか、自分自身と全く接点がないものの、新たな成長産業として注目を浴びているコンピューター業界に強い関心を持ちました。

I CT業界時代

パソコンの黎明期でIBMやNECなどの求人広告が凄かった時代です。

コンピューターの知識はゼロ、パソコンのブラインドタッチもできなかったので中学以来、初めて真剣に猛烈に勉強しました。

シリコンバレーでパソコン用のデータベース dBaseを開発・販売しているアシュトン・テイトというNASDAQに上場しているベンチャーの日本法人立ち上げ期の営業チームに転職することができました。

やはり異業種から転職してきたばかりの変な英語を使う社長が、パソコンオタクばかりの応募者の中から「コンピューターの素人で営業経験があって根性がありそうなやつ」を採用したいと思ったそうです。

ちょうどソフトバンクがゲームソフトの問屋業からパソコン用のビジネスソフトに軸足を移した時期で自分はソフトバンクの専任担当として、

「パソコンで業務の効率化を進める」という新しいビジネスインフラの普及、啓蒙活動に情熱を注ぎました。

「3年間で業界の有名人になろう」という今考えると恥ずかしい目標をたて、暴れ馬のように働きました。この数年間はとても頭と体力を使った記憶があります。

当時のIT業界は全体的にそんな感じだった気がします。

その結果、パソコン+ワープロ、表計算、データベースがオフィス業務の標準的インフラとして広く定着して行きました。

ソフトバンクの宮内会長や榛葉副社長、アリババの香山社長などはその時代に一緒に汗をかいた同志的な人々です。

その後、アシュトン・テイトと関係の深いVCの勧めでピクチャーテルというボストンに本社がある映像通信業界のリーディングカンパニーに移籍し、日本法人のスタートアップに参画しました。

ここはLINEやZoomの原型とも言えるビデオ会議システムを最初に作った会社です。ISDNの通信回線と専門の大型ハードが必要で片側1,200万円ほどしましたが、「世界の人々の出会いの形を再定義する」というキャッチフレーズを掲げ、新しい文化の創造にチャレンジしました。

初期の段階でやるべき仕事が多すぎて、そして面白すぎて、毎日朝7時に出社していましたが、1日24時間では足りなくなり、何かを削る必要性が生じたため思い切って「断酒」する事に決めました。

会社が目黒にあり、仕事が終わるとほぼ毎日、仲間4、5人で権之助坂上の焼き鳥街で生ビールや酎ハイをガブ飲みしていたのですが、「肝臓疾患でドクターストップ」という事にして飲酒習慣を完全に断ちました。

完全禁酒は現在まで長年継続していますが、もし飲酒を続けていたら私はとっくにこの世には居なかったと思います。

体調もすこぶる良くなり、時間の余裕もいくらか出来たのでいよいよ調子に乗って強気で仕事をしました。

米資本100%のベンチャーでありながら、大手の大塚商会、京セラ、沖電気、シャープ、リコーなどとパートナーシップを結び営業を推進しました。NTTとは合弁会社を設立し、世界初のPC版をリリースし、「こねっとプラン」などの大々的なプロモーションやイベントを実施し、企業をはじめ、教育現場にも幅広い普及をはかることができました。

この2社のICT企業はブルーオーシャンの市場開拓に果敢なチャレンジをし、大成功を納めました。

フロントランナーとして予想できない障害や苦労がありましたが、ビジネスネットワークが広がり、個人的にも多くの著名な経営者の方々に面識をいただきました。

当時の外資系企業には「顧客第一主義」という概念がないに等しく、本社と顧客間の調整に苦労しましたが、私は一環して顧客の利益、主張を支持する立場を貫きました。本社とのビデオ会議ではいつも「結果を上げるので文句を言うな」「予算未達になったらいつでも切ってくれ」という威勢の良い話しをしていたような記憶があります。

そして「自分の評価をするのは本社や上司ではなく、ビジネスパートナーや顧客である」という考え方がこの時代に芽生えました。

新しい文化を普及させる段階でスレッシュホールドを超える瞬間の喜びは何事にも代えがたく、中毒性があります。

かけがえのない経験をすることができました。

この時代も実に多くの逸話、武勇伝、失敗談があるのでいつか詳しく書きたいと思います。

ITセキュリティベンチャーを起業

米国資本の2社は日本市場で大成功を収め、高収益を上げたものの、日本法人の独自性や日本市場へのIPOには消極的でした。

自分自身は、最終的に日本法人代表マネージングディレクターの立場でしたが、もの足りなさと同時にある程度の達成感もあったので、より大きなやり甲斐を求めて起業する事にしました。

Co-Founderの親友が電気通信大学の准教授で情報セキュリティの研究をしており、タイミング良く研究成果をライセンスしても良いという話しが持ち上がりました。何度かブレストを重ねていくうちに情報の視覚化をテーマに内部セキュリティ管理システムとして実装すると非常に面白いという事になり、仲間3人がCo-FounderになってITセキュリティベンチャーを起業しました。

時はITバブルが一段落した頃です。

全くの新規事業なので当初「石の上にも3年」という覚悟で臨みましたが、システム開発がメインとなる新規事業の立ち上げは想像より遥かに大変でした。

ベンチャーのいわゆる「死の谷」が非常に深く長く、3年間で約5億円を投下しても石が温まることはありませんでした。

その頃、政府・経済産業省や偉い学者の先生たちは「日本の将来にはベンチャー企業の育成・支援が重要」という話で盛り上がっていた記憶があります。

しかし現場では、我々が何日か徹夜してベンチャー支援助成金などに応募すると「会社の資産はいくらありますか?」とか「販売実績はどうですか?」と言ったびっくりするような質問が普通にされる時代でした。(現在も大差ないようですが・・)

谷底が直近に見えてきた。

そんな時にサムシンググレートの風が二度にわたって吹き、その後、快進撃が続く事になりました。

このベンチャーでも多くの気付きや逸話があるのでいつか書き残したいと思います。

人生の大転機になる邂逅

2001年の秋、ビジネスの師匠となるドン.キホーテの安田隆夫創業会長を千葉県の養老渓谷で知人に紹介してもらいました。

その頃、安田会長はベンチャー協議会の会長でしたが、ビジネスの話題はほとんどする事が無く、共通の趣味「魚心会」の活動がメインでした。

ドン.キホーテグループ(現PPIH)に合流

ITセキュリティベンチャーはIPOの準備段階に入り、主幹事を取ってくれる大手証券会社も決まり、目論見書一の部を書き始めている時にリーマンショックに見舞われました。業界を問わずほぼ全ての新規IPOは見送りか中止になり、我々も計画を断念せざるを得ない状況になってしまいました。

V C数社から出資を受け、IPOに向けた各種支援もしてもらっていましたが、協議の結果、最終的にMBOを実施し、株主であり、顧客でもあったドン.キホーテグループに合流させてもらう事になりました。

自分は関連会社の代表取締役副社長として、役員と従業員はIT部門に移ってリスタートを切りました。

その後しばらくしてグループ内の組織改変があり、自分はドン.キホーテ本体の役員として、安田会長の側近として非常に多くの業務を担当させてもらう事になりました。

○  オペレーション統括本部長

・情報システム部・物流部・マーケティング部・取引管理部の4部を担当

○ 源流推進室長

・今や有名になった企業理念「源流」をグループ全体に浸透させる責任者

○ マリーンジャングル責任者

・店舗設置水槽の観賞魚を採取する宮古島拠点会社の責任者

○ 格闘技プロジェクトの責任者

・MMA「戦極・SRC」運営会社ワールドビクトリーロードの代表

・MMA「パンクラス」運営会社のオーナー代行

・ボクシング、MMAのスポンサー業務責任者

○ 日本レスリング協会関連の責任者

・スポンサーとしての窓口業務

・傘下団体、日本格闘協議連盟の役員

○ 関連会社 アクリーティブ株式会社(東証1部)の代表取締役社長

・グループ化に伴い経営再建、事業再構築を担当

・タイ、カンボジアに現地法人を設立

・関連会社 ストアークルーズ株式会社を設立

第二成長期のドン.キホーテで普通では経験できないマルチタスク、マルチジョブを経験させていただきました。

「スーパーコンピュータ搭載の超人」とも言われる安田隆夫創業会長の側近として薫陶を受け、4大恩人とのご縁もいただきました。

1冊の本では書き切れないエピソードがあるので機会を見て書いてみたいと思います。

現在取り組んでいる仕事の事

自分自身の経験を踏まえ、強い使命感を持って、妊活・不妊治療の事業領域のイノベーション開発に全力で取り組んでいます。

現代社会では、IT、医療、EC、プラットフォームなどさまざまな分野で、続々と画期的な技術、サービス、製品が誕生しています。

しかし、その製品やサービスを利用するユーザーの母数(人口)が減少し続けているため、開発費の回収効率が低下し、いずれ経済効果が期待できなくなるという指摘があります。

私たちも同じ危惧を持っており、健康や社会生活を進歩させるイノベーションは重要ですが、前提条件としてユーザー数(人口)を増やすためのイノベーションを抜きにしては成立しません。

政府、自治体、企業が連携、協力して現状より数段階上の施策を実施していく必要があります。

我々が各論でできることとして、医科大学病院・リプロダクションセンターとの産学連携を通じて開発した特許技術、製品を世界のデファクトスタンダードに育て、妊活・不妊治療の成績向上の一助になりたいと思います。
さらに計画中の新規事業を通じて、人口問題と人々のQOL向上に寄与したいと考えています。


 大相撲文化の事

大学相撲部の後輩が大相撲界に多くいます。

本場所開催中は毎日Abemaでビデオ観戦し、東京開催の3場所は必ず国技館に何回か観戦に出かけていますが、大相撲文化の将来に強い危機感を持っています。

国技館の劣悪な観戦席改修と力士のSNS解禁は直ぐに実施すべきです。

これらは守べき伝統文化とは直接関係ないように見えますが、ガラパゴス化を引き起こす考え方で、時代に対する変化対応ができていない代表例です。

このまま放置すると観客が減少し新規顧客の獲得は絶望的になるでしょう。SNS世代の若者の新弟子もますます獲得が難しくなり、大相撲文化が急速に衰退に向かう事は明らかです。

アマチュアスポーツと企業の関係

企業がアマチアスポーツを応援するための仕組みが圧倒的に不足しています。競技団体、選手と企業をつなぐ論理的、合理的なマッチング方法を提案したいと思っています。


趣味で真剣に取り組みたい事

偉大な経営者の師匠と一緒に海洋活動を20年近くやっています。
近い将来、海洋環境の保護(日本では特に磯焼け問題、海外では珊瑚の保護)海産物の開発(商品化)、魚介類の研究(採取・展示、保護、養殖)を目的とした海の財団を設立したいと考えています。


きままに書いていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

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