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小説は誰が何のために語っているのか

子供の頃から小説を読んでいるときに、浮かんだ疑問が「小説って一体誰が何のために語っているんだろう」でした。
いわゆる小説の語り手問題です。この問題を論じるにはとても深くて学術的な能力が必要なので、ここでは子供の素朴な疑問から考えていきたいと思います。

疑問が生じた頃は、一人称と三人称の違いもよくわかっていませんでした。一人称の場合は、主に一人称視点の人が語っているので「誰が語っているのか」は分かりますが、子供の僕がよくわからなかったのは、その人が「何のために語っているの?」という点だったと思います。
小説では、視点を通じて風景や物事、心理状態が描写されます。視点が語ってくれないと、その場に何があるか誰が喋っているかわからないわけです。
子供の僕は、何のためにその人は今の状況を説明しているかとっても不思議でした。
当たり前ですが、そんな風に現在の状態を語っている人など現実には存在しません。

小説の視点は、自分が見えているものと思考だけではなく、時には過去を語ることがあります。
過去を思い出すきっかけがある場合もありますが、物語の都合上、結構突然昔話を語りはじめる場合もあります。
現実の人間は、そんなことをしません。ふと過去の記憶が過ぎることはあっても、そこから論理立てて回想することなど実際の暮らしの中ではありません(みんなも無いですよね?)。
沈思黙考するために過去の記憶を引き出すことはあっても、誰かに説明するためではないでしょう。
でも、小説の中ではそれが起こります。そのことが幼い僕にはかなり大きな疑問でした。多分、現実と創作の区分がよくできていなかったのだと思います。

歳をとって、それなりに小説を読んできた今の僕は、子供の僕の疑問への回答を一応持っています。
現実と創作の違いはたくさんありますが、そのひとつに創作には、それを受け取る人(小説なら読者)がいるわけです。現実の人生は、思考まで含めて全てを俯瞰して見ている人は自分以外にいません。自分が何かを考えているときに、外部から見ている人間を意識することはないでしょうが、小説には読者がその人の意識の動きを俯瞰的に常に見ています。

読者がいるということは、「何のために語っているか」の疑問の回答に行きつきます。どうして、一人称の主人公が語っているかと言えば、「読者のために語っている」わけです。小説で語っている人は、読者のために、状況を描写し、過去を振り返っているわけです。
読者のために、作者は主人公に語らせて小説を創ります。読者がいなければ、語る必要がないわけです。

子供の頃に僕が感じた疑問に回答すると、「君がいるから語っている」ということになるでしょうか。

初の営業出版です。よろしかったら。


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