見出し画像

現在形が好き

現在形が好きです。僕の小説はほぼ全て現在形で書かれています。回想シーンなどでは過去形を用いることもありますが、地の文では現在形を維持するように心がけています。

一般的には、過去形で書かれている小説の方が多い印象です(特に日本の小説)。日本語は、過去と現在完了(日本語の文法では「終止形」。ここでは英文法の名称で話を進めます)の文末が共に「た」の動詞が多いので、過去なのか現在完了なのか判別しないこともありますが、「だった」を用いる過去形で書かれた小説が多いですね。

小説に書かれている時点で、その状況はすでに今ではないから「過去形」を使うのが正しいとは思います。
時制の話に踏み込むと、文法書並みの知識と文章量が必要になるのであまり踏みこみたくありませんが、日本語ではそこまで厳密に時制を統一していない気もします。

現在形を使いたいのは、文末に変化を加えたいからです。過去形だと文末は「だった」が多くなります。現在形なら、文末に変化を加えることができます。「正直だ」もあれば「習う」や「食べる」「楽しむ」とか様々な文末を使うことができます。
同じ文末が続く文章が苦手なんですよね。文章の指南書にも「同じ文末の連続は避けよ」とあり、文末の連続を避けるために体言止めとかいくつかの手法はありますが、現在形の方が「た」を避けることができます。

もうひとつの理由は、疾走感です。現在形の方がその場で物事が動いている感じがします(する気がします)。
僕の小説は「映像的」だと言われることがあるのですが、現在形を多用していることも影響しているかもしれません。

欠点は、「文章おかしくね?」と指摘されることです。過去形の小説の方が多いので、初めて読んだ人が違和感を持つことがあります。
もうひとつは手間がかかることです。文末に変化をつけるために、どういう語句が良いかあれこれ考えて工夫する必要があります。
過去形にすれば、手間を軽減できます。

それでも、やっぱり今後も現在形を使い続けると思いますけど。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?