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主語を大きくしない

ネットでの議論で「主語が大きすぎる」という言葉がよく使われます。数少ない事象を拡大解釈して、より大きな対象に対しても断定するという意味です
例えば東京で凶悪事件が一件発生したら、「東京は危険な街だ」と断定するような言い回しを指します。

社会派小説では、さまざまな事件や事象に遭遇する登場人物を通して、社会の現状を読者に追体験してもらい、社会問題を浮かび上がらせる構図が多いです。
僕もいわゆる社会派小説っぽいものを書いたことがありますが、難しいのは社会問題を語る匙加減です。
小説では、主人公と共にいくつかの事例を読者は体験することはできますが、それは統計的に有意な数にはなりません。
ひとりの経験を語ることで、社会全体を説明してしまう恐ろしさを感じることがあります。

例えば、家電工場に従事する人物が勤務中に亡くなったことをきっかけにして、家電産業の問題に迫るみたいな小説があったとします。小説内の家電企業はフィクションではあるけど、社会派小説であれば取材した企業があるわけで、読む人によっては、現実の企業名を想起することもあるでしょう。
その事故を登場人物が捜査していくにつれて、家電産業に潜む問題や闇の部分が明らかになり、やがて家電産業全体または企業トップの犯罪が暴露されるような筋書きを小説家は描くと思います。
ただ、現実の世界では、家電産業によって収入を得て生きている人もいます。ひとつの労働事故で会社全体を悪とするのはいささか乱暴です。
当たり前ですが、人にも企業にも良い点と悪い点があります。ひとりに起きた事象でどこまで産業自体が抱える問題を表せるか難しいところです。ひとつの問題で断罪してしまうことは危ういことではあります。

小説はフィクションなので、現実とは違ってわかりやすくて良いとは思いますが、「主語が大きくなりすぎる」ことには気をつけたいです。
主語を大きくしなくても、小さな事件をきちんと描くことで、大きな問題を描けると思います。
社会全体の問題を大上段に描くよりも、普通の人に起こったこととその周囲の行動を読者に見てもらうことで、社会の現象や問題を伝えることができるはずです。

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