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鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』【基礎教養部】

『君は君の人生の主役になれ』は、同じコミュニティのメンバーであるイヤープラグさざなみさんに紹介していただいた本である。イヤープラグさざなみさんによる書評およびNote記事は以下を参照:

イヤープラグさざなみさんの書評・Note記事にもあるように、本書は主に中高生向けに書かれており、そのメッセージの1つが「世間(大人たち)から受けるコントロールに自覚的になれ」ということである。世間から受けるコントロールに自覚的になるためのヒントとして本書では学校や家庭などの身近なことや資本主義のことなどの例がたくさんあげられている。

ただ、それらの例の中には主張が強すぎると思うことがたくさんあった。特に、第3章「親からの逃走線を確保する」では、親からの"親切心"がかえって自分を縛り付けることがある、ということがたくさん書かれているのだが、そういうことを全て鵜呑みにしてしまうと、非常にひねくれた人になりかねないと思った。もちろん、実際に親からの呪縛に苦しんでいる人にとっては本書を読んで救われるところが多くあるとは思う。

本書を読んで「主張が強すぎる」と感じるということは、逆に言えば、周囲の環境に恵まれており、世間からのコントロールというものに悩まされることがなかったということでもある。

しかし、本当にそうだろうか?無意識のうちに世間からのコントロールを受けてその状態に慣れている、麻痺しているだけではないだろうか?

中学校は公立中学校だったので、それなりにしっかりと校則が定められていたのだが、今思えばおかしな校則がいくつかある。例えば、「靴下は白か黒でないといけない」というもの。白か黒なのでグレーはダメだったのだが、そこには合理的理由はないように思う。こんな感じの今思えばよくわからない校則がいくつかあったが、当時は校則は絶対に守らなければならないものとしか思っておらず、そう考えると、その時から無意識のうちにコントロールを受けていたのである。

また、今までは、これまでの人生であまり深く悩むことなく社会に適合して生きてきたと思っていたのだが、今回を機によくよく人生を振り返ってみるとそうでもなかった気がする。特に、小学校の頃は、色々トラブルが起こり悩むことも多かった。

自分で言うのもアレだが、小学生の頃、人並み以上には勉強はできていた。しかし、そのことに嫉妬してなのか嫌がらせを受けることも多々あり、あまり人間関係は良くなかった。学校にはあまり行きたくなかったが、学校へは絶対に行かないといけないと思っていた(思わされていた)ので無理に学校に行っていた。この世の中では、勉強に限らず何か他の人に比べてできるものをもっているとき、それが賞賛の対象になるだけでなく、同時に嫉妬の対象にもなることが多い。そして嫉妬の影響の方が強くなった時、その人の個性が1つ潰される。

中学生になると環境が変わり、それ以降、仲がいい友達もたくさんでき、人間関係にほとんど悩まされることもなく今に至っている。やはり周りの環境というものはとても大切である。

ここで、「勉強」というワードが出てきたし本書にも勉強のことについて書かれているので、自分なりの勉強することの意味について述べることにする。

私は、勉強することの意味として「自分にとって快適な環境を作る」ということがかなり重要だと思う。学歴で差別するという意図は決してないが、勉強ができない人たちに比べて勉強ができる人たちの方がいじめ、いやがらせ、差別など人を傷つけるようなことをする人が圧倒的に少ない傾向にある。そのことは私が高校受験、大学受験した時にできるだけ上の学校を目指した大きな理由の1つである。実際、公立の小学校、中学校では人を傷つけるようなことをする人たちがたくさんいたのに対し、高校・大学ではほとんどいなかった。また、勉強ができる人たちの方が他人の努力や個性といったものを尊重する人が多い傾向にあると思う。公立の小学校・中学校に通っていた頃は、「何かに向かって努力をすることがダサい」「勉強することがダサい」というようなよくわからない風潮があったが、高校以降はそんな意味不明な風潮はなく、互いに尊重し高めあうといった雰囲気であったし、今の環境もそうである。

以上のことはあくまで傾向の話であり、決して勉強できない人が自分を害するようなことをする人であると言っているわけではないので注意されたし。本書にも書かれているように、世の中は複雑であり、決してそれを無理に単純化して捉えてはいけない。

最後に、今現在、この社会の仕組みの中で疑問というか気持ち悪さを感じているものがある。それは就活である。今年の4、5月くらいの時、まだあまり研究が忙しくなかったので、ちょっとだけ就活をしていた。その時にある就活のセミナーみたいなものに参加したのだが、そこで、講演者のクソ浅い話を聞いて皆同じようにうんうん頷く様子を見て、生理的な気持ち悪さを感じてしまった。私の周りでも就活をしている、して既に働いている人が何人かいるが、どの人に聞いても就活はやりたくない、面白くないと言う。皆やりたくないし面白くもないしょうもない就活を「そんなもん」と思って、皆同じ服装、髪型、マナー、話し方でやっているのである。さらに、そんな誰もやりたいと思っていない就活は最近早期化が進んでおり、就活にかけなければいけない時間は昔と比べて増している。

というわけで、私は今、修士課程で研究をしているのだが、就職はせず博士課程に進もうと思っている。ただ、アカデミックの道をそのまま進み続けるのはそれはそれで中々大変そうだと思うので博士課程を出た後は就職しようと今のところ思っているのだが、その時には、今思っている「気持ち悪さ」がかき消されないように抵抗しながら就活をしなければいけないだろう。

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