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中谷宇吉郎『科学の方法』【基礎教養部】

https://www.j-lectures.org/liberal-arts/kagakunohouhou/

書評は上のサイトを参照.

本書は科学には限界があるという話から始まり,本文中で何回もその話が出てきて本書の中心的なテーマの1つとなっている.科学はあらゆる問題を解決するような万能なものでは決してなく限界があり,科学に適した問題のみを解決することができるのである.その最も重要な要素が再現可能性である.ただ,全く同じ状況でもう一度起こる現象はこの世にほとんど存在しない.その例として本文では「彗星の観測」があげられている.彗星の中には放物線の軌道を描くものがあり,そのような彗星は地球から一度だけ観測されそれ以降は二度と観測されない.「再現可能性」の意味を純粋に文字通りの意味で捉えるとそのような現象は科学の対象にならないと思うかもしれないが,実際は科学の対象になっている.それはそのような彗星が太陽系に入ってきたときは物理の理論を用いてその軌道を計算でき,その計算した軌道は放物線だとわかり,放物線の性質故そのような彗星が二度と戻ってこないという「確信」が持てるからである.つまり,科学における「再現可能性」というものはそのような広い意味で用いられている.

再現可能性がないために科学の対象にはならないという例は本文中に度々出てくるが,その中の極端な例として「幽霊」があげられている.幽霊を見たと言っている人は過去にも現在にもたくさんいるが,どのような条件で見えるかというような確信を持つことができない.つまり再現可能性がなく,したがって,科学の対象にはならない.

そのような考え方を用いると,本文中には登場していないが,近年多く見られる「疑似科学」を科学と呼べるかどうか,という問いに即座に答えが出せる.答えは「再現可能性がないために科学ではない」である.それ以上でもそれ以下でもない.「量子力学コーチ」のようなものは科学ではなく,宗教と呼ぶ方が合っていると思う.「量子力学コーチ」なるものに批判する人の中に「そのような疑似科学は科学を馬鹿にしている」などと言う人もいるが,科学の限界とその本質についてきちんと分かって言っているのか疑問である.そのような人はおそらく科学は絶対的に正しいものであり高尚であり万能なものであると考えているのだろうと思われるが,果たしてそうだろうか.

科学の適用範囲は限られており,科学による取り扱いが難しい問題についてはほとんどわかっていない.本文中に書かれている例だが,紙がひらひら落ちるという運動でさえもほとんどわかっていないのである(余談だが,その運動を考えよという問題が大学のレポートで出されたことがある.実際に運動方程式を立てると複雑な非線形連立微分方程式になり解析的に解くことは不可能だとわかる).

また,科学はあくまで我々人間自身が作ったものである.この世界を見て問題を見つけそれを科学の方法を用いて解決しているのは神でもなく我々人間であり,ゆえに「科学における人間的要素」というものが少なからず存在するはずである.本文中には人間的要素が強く出すぎた例として「生物線」などがあげられており,筆者は

本人は意識していないが,人間的要素のかちすぎた研究が,案外たくさんあるのではないかと思われる.

と述べている.また,「科学における人間的要素」に関して本文では次のように述べられている:

もし自然界に,人間をはなれて,真理というものが,隠されているものならば,それを発掘すれば,それでおしまいである.(中略) しかし科学の真理が,自然と人間との協同作品であるならば,科学は永久に進化し,変貌していくものである.

上に述べたような理由から科学は決して絶対的で高尚で万能なものとは言い難いが,だからといって科学を過小評価するべきではない.実際,電磁波の発見により私たちは現在携帯電話などの便利なものを使えているし,また,量子力学の発見によりこれまでに分からなかった様々な問題が解決され,現在,様々なところで利用されている.

仮に人間を離れて真理というものが存在するとし,それが発掘され世の中のあらゆるものが理解できたとする.それはそれで良いという人も大勢いると思うが,もしそうなれば科学は終焉を迎えることとなる.もっともその発掘は一気に全てを発掘するようなものではなく少しずつ発掘するようなものであるから人間が生きているタイムスケールでは永遠に真理を見つけることはできないだろうが,「自然は人間との協同作品」と見る立場に立てば真の意味で永遠にこの世界のあらゆる問題を解決することは不可能であるといえる.あらゆる問題を解決したい,自然の真理を明らかにしたいというような夢を持っている人にとってはこれでは困ると思うかもしれないが,それは言い方を変えれば「新たな問題が出てきてその問題を解決する」というサイクルがずっと続くということである.そして,その新たな問題が出てきてその問題を解決しようとする営みこそが科学の最も面白いところであり醍醐味であると私は思う.「ニュートン力学→特殊相対論→一般相対論」の流れや「古典力学→量子力学」の流れに見られるように我々は既存の理論と合わない現象に遭遇しそのような現象を説明し,かつ既存の理論と整合するような新たな理論を作り出して来た.永遠に真理がわからないと嘆くのではなく,そのような過程で科学の面白さを味わい続けることができると考えてはどうだろうか.

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