見出し画像

[短編]園世#9 電球の宮殿

バッタのヨモギさんは、久しぶりに酸素マスクを外した。

「ねぇ、私なんてもう寝たきりなんだからさ、看病なんてしなくてもいいんじゃない?」

ヨモギさんがそう言うと、医者であるクマバチの信輔は
「最近、マイナスなことを言うようになったな」と感じた。

「ヨモギさん。あなたの子供たちは、安楽死だけはさせてはいけないということを仰りました」

「でも、そう言うだけで一切私のところに遊びに来てくれないのは何でなのよ」

「それは、あなたの病気はバッタ特有の解明されていない病気だからですよ。完全に安全と判断されるまでは決して会わせることは出来ません。でも、きっと子供たちも面会したいとは思っていますよ。子供たちに、伝えたいことがあれば仰ってください」

ヨモギさんは、約一年間、この病院に入院している。

彼女の病気は悪化の一途をたどっている。

ヨモギさんは酸素マスクをずっとしているため、医者である信輔としか話さない。

ただ、子供たちも面会できないことを知っているため、あまり駆けつけることはない。

ほとんど電話で信輔と話す。

ヨモギさんの知り合いも一人も来たことがない。

しかし、彼女は一人でニコニコ暮らしている。

未知の病気であっても平気な彼女の精神力を見ていると、信輔は生き物としてまだまだ自分には足りないところがあるということを自覚した。

未知の病気であったからか、病室には信輔とヨモギさん以外いなかった。

信輔は他の患者よりも、ヨモギさんが好きだった。

彼女は信輔の話や、悩みを真摯に聞いてくれるのだった。

ある日、彼女の友達からの差し入れだと言って、自分で買った花を差してやった。

その夜、ヨモギさんの部屋を覗くと、彼女は、すすり泣きをしていた。

信輔が慌てて、ヨモギさんの様子を見に行くと、ヨモギさんは

「こんな私に、美しい花をありがとう」

と言った。

ヨモギさんには友達がいなかったので、信輔がくれたのだと、すぐに見抜かれたのである。

ひとしきり泣いた後で、彼女は信輔にこんな話をした。

「子供の頃、川原で遊んでいた時に、迷子になってしまったことがあるの。

真っ暗でね、帰り道も分からなくて一人で泣いていたの。

そんな時にね

夜空に輝く宮殿を見たの。

その宮殿はね

今、私の上にある電球が何個もあるような

一度見たら忘れられない景色だった。

私は、一縷の望みを掛けて、その「電球の宮殿」に歩いたの

そこに向かって歩いている間はね

涙なんてもう流さなかった。

「電球の宮殿」の前に来たときにね

私、言ったの。

「私の帰り道まで案内してください」って。

その電球の宮殿はね、形を変えて私の帰り道を示す道標になってくれたの。

気付いたら、私は自分の部屋で寝ていたわ。

友達とか親にも話したんだけどね

皆、信じてくれなかった。

でも、私は「電球の宮殿」の匂いとか

色とか全部覚えているの」

信輔はその電球の主は「ホタル」であろうと疑ったが、

決して、それをヨモギさんに教えるわけにはいかなかった。

彼女にとって、「電球の宮殿」のことを考えたり、話したりしている時が一番楽しい時なのだ、と

嬉しそうに話をしているヨモギさんを見てそう思った。

初夏のとある日、

信輔はヨモギさんの子供たちを呼び寄せた。

「電球の宮殿」を知っているかと問うと

子供たちは頷いた。

まぁ、子供たちとは言っても、もう二十歳前なのだが…。

その子供たちは「電球の宮殿」をヨモギさんにもう一回見せたいと言った。

信輔も手伝うと言った。

そこで、信輔はヨモギさんの担当を一日だけ女医の村田さんに任せた。

ホタルは全く見つからなかった。

昔と違って、環境が変わったことから

簡単に見れたところでも見ることが難しくなっているらしい。

信輔は、村田さんに、もう二日延長してヨモギさんを看病してもらうことにした。

医者がこんなことをしていては

誠にヤブ医者だと

「ヤブ発掘担当」のシオヤアブ君に怒られるかもしれない。

半ば惰性で探していると

ヨモギさんの子供から、遂に発見したという報告が入った。

信輔が慌てて駆けつけて、ホタルに来てくれるように頼んだ。

ヨモギさんの話をすると、「それなら」と快諾してくれた。

今夜、ヨモギさんの窓側に「電球の宮殿」を作ってくれることを約束した。

信輔が病院に戻ると

すでに日は落ちていた。

「ヨモギさん。今日夜の8時くらいに、外で祭りがあるらしいから、その時間になったら外見ててよ」

ヨモギさんは頷いた。

時間はすっかり夜になった。

信輔は敢えて、ヨモギさんの病室には行かなかった。

ヨモギさんだけに見て欲しかった。

時間は夜の8時になった。

信輔は他の病室から見ていた。

そこにはヨモギさんが「宮殿」と称するのも分かるほど大きな光の塊があった。

宮殿と称するほどに美しく、

暗いこの地域では異彩を放っていた。

信輔は呆然とその様子を眺めていた。

段々と光が弱くなり、消えるその時まで。

朝、ヨモギさんの病室に行くと

ヨモギさんはいつもよりぐったりとしていた。

ヨモギさんは亡くなってしまったのだ。

信輔は彼女が「電球の宮殿」を眺めることができただろうか、と不安になった。

また、これが自分の思い違いで

別に「電球の宮殿」があったとしたら…

と考えると不安になっていた。

でも、それらの不安は必要なかった。

そこには、微笑んで目を瞑っている彼女の姿があったからだ。

信輔が挿してやった植物に

大きな花が咲いていた。

「この部屋に一秒でも長くいたいな」

心からそう思っていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?