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誤解されたパタンジャリ

「ヴェーダは英知の灯台です。ヴェーダにより人々は達成へと促されます。」
 (マハリシ)

過去から、悟りを得た人は超越的な場(存在ー心の最も深い場所)を直接悟ることによって、成就に達すると説きました。しかし、賢者たちが述べた真実の説明がそのまま悟りを求める人のための道とはなりません。

悟りの基盤は超越の状態(存在)であるという真理が曖昧になった時、賢者が述べたゴールについての言葉は、ゴールを実現するための道であると誤解されるようになりました。

これは知識の悲劇です。教えは、意識の高いレベルから発せられ、それとは異なるレベルで受け取られます。

彼らは隠遁生活をしていたので「神聖なるもの」は現実から離れているという考えが主流になりました。世俗に無関心なことを元にした人生、これはインド哲学の完全な歪曲です。

悟りや意識を高めることは、隠遁者がやることと思われているのは、この誤解が原因です。意識を高めることは、日常生活をスムーズに過ごせるようになります。心と行動は切り離されているわけではありません。

意識が高まると、視野が広がりますので、今までより選択肢が増えます。例えば、これまでは二つくらいの選択肢しか思いつかなかったのが、五つも六つも選択肢が思いつくようになります。

ヨーガ哲学の創始者パタンジャリについても誤った解釈が行われ、彼の説いた八つの道はその順序が逆にされてしまいました。

ヨーガの実践はサマーディ(三昧)から始められから始められるべきなのですが、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)といった道徳的な行為から始めていくべきだと理解されるようになりました。

サマーディはヤマ、ニヤマなどの実践によって得られるものではなく、サマーディを繰り返し、経験するからこそ、道徳性が高められるのです。つまり、八つの段階ではなく八つの手足が同時に進化して行きます。

サマーディは一時的なサマーディと永続的なサマーディの二つがあります。一時的なサマーディは超越です。永続的なサマーディが悟りの状態です。

また、ヤマ、ニヤマなどの解釈も本質と離れたものになってしまっています。

このように、あらゆる領域が過去何世紀にもわたって、誤解され間違って解釈されてきました。

しかし、今は超越の知識が復活されました。まず超越することによって全ての人生が善い方向に進み始めます。

(バガヴァッド・ギーターの「はじめに」を参考にまとめました)




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