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「手がかからない子」の逆襲 〜双極性障害の頭の中 65

みなさん、こんにちは。
双極性障害2型(双極症)のフツーの会社員、パピヨンです。

昨日、会社からの指示で受講した外部セミナーで幼少期の自分を掘り下げる機会があり、色々と考えたことを記します。




◾️人格形成は3歳までに決まるらしい

昨日受講したセミナーは、ざっくり言えばレジリエンスを高めるための自己啓発のような内容でした。
“折れない心のつくり方”、そんな感じです。

そこで講師の方が冒頭にこんなことを言っていました。

「主要な人格形成は、およそ3歳までに親や身近な人々との関係によって出来上がってしまうんです」

なるほど。
そういうものなのね。

私の両親は毒親ではありません。
祖父母とも一緒に暮らしていました。
基本的には愛されて育てられたと思っています。

いわゆる絵に描いたような“仲の良い家族”
しかし、あまりにも絵に描いたような家族だったため、今思い返せば少々“完璧に美しい家族”を求め過ぎていたような気がしています。

側から見れば、まったく問題の無い家族。

その裏側は、少しつつけば崩れてしまうような“砂の城”にも似た脆さを含んでいたように思うのです。


◾️「手がかからない子」という呪縛

私の父は、親戚の集まりなどで決まって自慢する言葉がありました。

「ウチの子は本当に手がかからないんだ」

酔っ払ってくると、毎回言っていました。
父にしてみれば、我が子可愛さ故の単なる自慢だったのだと思います。

「レストランで騒いだりしないし、病院の注射で泣いたことも一回も無い!」

これが、必ず続くのです。
私はこの一連の自慢を聞かされるのが毎回とても嫌でした。
父の自慢に背かないよう、私としては毎回最大限の努力をしていたからです。

「パパが自慢出来なくなる→大人に迷惑がかかる行為は絶対に避けなければならない」

自分なりに『完璧に手のかからない子』を目指し、常に大人の顔色を伺う子供に育ってしまった気がします。

幼稚園の時、病院で生まれて初めて点滴をした時「泣いたら大人に迷惑がかかる」と考え、1人ベッドで耐えました。(看護師さんにめちゃくちゃ褒められた記憶があります)
しかし、両親は『ウチの子ならこの程度で泣かなくて当然』と、さも当たり前のように感じていたような気がします。


◾️厳しい祖父

そしてなにより厳しかった祖父の存在です。
祖父は「理想の家族の姿」を家族全員に強いるほどレールから外れることに厳しい人でした。

食事の時の椅子の引き方が浅い。

たったそれだけでも怒鳴りつけられ、勝手口から外へ椅子を投げ出されたこともあります。
家族全員揃って食事をすることも義務づけられていたため、食事中は特に緊張を伴う時間でした。

母が「外に働きに行きたい」と言った時も、絶対に許しませんでした。
母親とは“常に家にいるもの”と決めつけていました。

祖父は手先が器用だったので、一緒に工作を手伝ってくれたり、普段は優しい人だったのですが、少しでも祖父のルールから外れると厳しい鉄槌が待っていました。

祖父は妹にだけは特に甘かったので、妹は「祖父=厳しい」というイメージが無いらしく、どうやら『長女』というレッテルが私に対する厳しさに繋がっていたようです。

その後も大人の顔色を伺う性格は進行し、反抗期らしい反抗期も無く、思春期に父親を嫌ったりすることも無く、『完璧な家族』を演じることに最大限注力して生きてきました。


◾️40代、「手がかからないはずの子」の逆襲

双極性障害を患ってから、私は図らずも人生最高に「手のかかる子」に生まれ変わってしまいました。

キレる。
破壊する。
暴言を吐く。
訳もなく泣き叫ぶ。
暴れる私を押さえつける父を突き飛ばす。

子供の頃の私なら、絶対にやらなかったことばかりです。
まるで長年押さえつけられてきた“何か”をぶっ飛ばすかのような「かつて手のかからなかったはずの子」の逆襲
最初は父も母も狼狽えるばかりでした。

あんなに「ウチの子は手がかからない」と自慢していた父に、「お前にどう接したらいいのか分からない」とまで言わせる始末。

まさか自分の子がこんな40代の中年になってから「手のかかる子」に変貌するとは思いもしなかったでしょう。

私だってびっくりだよ(笑)

いつのまにか生まれ変わっちゃったんだもの。




だけど。
心のどこかで“こっちが本当の私だ!”という解放感にも似た気持ちが揺らめくのです。

本当はどちらも自分のはずなんですけどね。
周囲に気を使うのも、私。
破滅的な行動をとるのも、私。

今、最高に「手のかかる子」として、両親は“新たな私の育て方”を模索中のようです。

私、もう40代半ばも過ぎてるんですけど(笑)幾つになっても、親は親、ということなんでしょうか。

セミナーを聞きながら、幼い頃の自分をぼんやり考えた1日でした。

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