シンハラ人主婦、悪魔と和解する|民族誌を読む#2|Quiz
民族誌(エスノグラフィー)の内容をクイズ形式で紹介するシリーズ第2弾です。上田紀行著『スリランカの悪魔祓い――イメージと癒しのコスモロジー』(1990年、徳間書店)を取り上げます。
この本は通常の民族誌の体裁とは異なります。対象フィールドの文化や社会の全体像に関する調査記録は省かれ、悪魔祓いにフォーカスした構成になっています。前半はルポルタージュ的な悪魔祓いの記録、後半は「この儀礼で人はなぜ癒やされるのか」を追究する謎解き的な分析です。民族誌に似合わずとても読みやすいし、文庫本にもなっているので、ぜひ手にとってみることをおすすめします。
フィールドはスリランカの南部州で、シンハラ人仏教徒(上座部仏教)が多数を占める地域です。シンハラとは「ライオン(獅子)の子孫」の意味で、北インドに出自を持つとされ、スリランカの人口の約7割を占めるインド・アーリヤ語派の民族です。キャンディ王国を維持したウダラタ(高地)と、商業活動に従事したパハタラタ(低地)に分かれており、本書が対象とするのは後者です。
問1の答え=①
南部州都のマータラ近郊で悪魔祓いのフィールドワークをはじめた著者は、川で洗濯をしていたときにリーリ・ヤカーという悪魔に憑かれた患者の事例に立ち会います。これが血悪魔です。悪魔祓いのプロセスを述べた箇所から悪魔の歌の一部を抜き出します。
儀礼は夜通し行われます。明け方近くになると、悪魔役の呪術師(協力者)と村人との間でダジャレや下ネタを交えた笑い話が繰り広げられます。患者もその輪に加わって病が完治したことを宣言し、隣人と笑い合います。
問2の答え=③
悪魔祓いにかかるのは病院に行っても治らなかった患者です。その多くは心と体の症状が混ざり合った病状です。村の人々は孤独な人に悪魔のディスティ(眼差し)が来ると言います。それを治すには悪魔の攻撃のもととなったタニカマ(孤独)を癒やすことが必要です。
問3の答え=③
孤独な患者と儀礼を一緒に行い、人の輪の中に位置づけなおすというのは、村人の言説でもあり、儀礼の最後の場面をみても治療効果に納得できます。また、呪術師と患者の儀礼的問答には、ブッダを頂点としたシンハラ仏教の世界観や権威体系が反映されており、象徴論的な見方も人類学的な説明としては説得的です。
けれども著者は疑問を持ちます。これらは「だから患者は治る」の説明になっていないぞ、と。そこで啓示を受けたのがサイモントン療法(イメージ療法の一種)でした。
悪魔祓いでは、呪文で呼び出した悪魔の生い立ちや姿形が歌われます。ドラムの激しいリズムや踊り、篝火や香の匂いなど五感を通じて悪魔がイメージ化されます。しかしそれは、呪術師が表現するブッダの偉大なイメージで覆されます。供え物に悪魔を憑かせて、それを家から遠くに運び出すことで、病気が物理的に去ったことを暗示させます。
これら一連の儀礼は、病気の原因と治療方法を患者と村人の現前で視覚化させる優れた装置です。イメージ療法を演劇化したものともみなせるでしょう。意味不明な呪文も太鼓の反復も儀礼要素の繰り返しも、心をリラックスさせ、イメージに没入させるための手続きで、サイモントン療法とも共通する手法なのです。
問4の答え=②
どれも1988年頃の流行りではありますが、答えは②です。言語を司る左脳とイメージを司る右脳――潜在能力開発とは右脳の働きを最大化することです。
右脳集中法やアルファ脳波術はしかし、イメージによって隠れた力を呼びさます点で悪魔祓いに似ているとはいえ、しょせん左脳の奴隷でしかないよね、というのが著者の論点です。仕事や勉学に活かすための右脳活性化だからです。そうではなく、「私」というアイデンティティのレベルで右脳化を図るべきだと考えます。このへんはギアを上げないと理解が追いつきません。
問5の答え=③
悪魔祓いのときに患者が悪魔になりきるのは、イメージ化の極限であり、主体と客体を超えて世界とつながっているからだと著者は分析します。もはや仏教の真髄の境地です。
スリランカの悪魔祓いは悪魔を排除するのではなく、悪魔と和解することだと言います。ここに至り、がんを敵視して根治するサイモントン療法を超え、善悪の彼我をも超越しています。著者が調査中に直面したスリランカ人民解放戦線の武力闘争を「フィクションの持つ暴力性」と断じ、差異を超えて「いのちのつながり」のイメージを回復または創造することが必要だと展開します。そして、その思いをジョン・レノンに代弁させています。
終盤の議論はいま読み返すと少々青臭いところもありますが、フィールドで得た問題意識を人類全体の課題として本質論的にアウフヘーベンする心意気は好感が持てます。ただ、33年後の現実はそうなっていないんですよね、人類社会もわたし自身も…