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バナロ島(仮称)の一致しない姓・屋号・門中名#6|Field-note


Ⅴ型の事例(続き)

〈事例17〉旧仲真次門中メーグシクの場合

ナカマシ家の老婦人はこういう。根保小門中であるメーグシクはかつては仲真次門中だったと。

ナカマシの3男だったPは分家し、メーグシクを興した。Pには娘7人が生まれ、その一人がニーガミ職に就いたために、以後神谷村系のニーガミはこの家から輩出されるきまりとなった。

Pは当初は本家から入婿を取ろうとしたが、諸々の事情がそれを許さず、妻方を介してニブグヮーからQを養取した。このため後になって当家は根保小門中に組み込まれ、ニーガミもかかる門中内の女性から選出されるようになった。

老婦人は、他系が混じりこんだためメーグシクは子宝に恵まれなくなったとつぶやく。メーグシクではこれとは異なる伝承を持ち、否定している。なお、メーグシクの姓は以前から「宮城」である。

〈事例18〉南風原門中メーアカッチュグヮの場合

〈事例5〉のメータナバルの次男Rは男児ができなかったメーアカッチュグヮの入婿となった。Rは門中帰属を赤人小門中に変更し、姓もやはり「赤嶺」に改めた。

しかし、戦後になって再び血筋の南風原門中へと戻している。改姓は手続きが難しかったため「赤嶺」のままである。R以前の祖先の位牌は別門中では祀ることができないため、メーアカッチュグヮの本家に移されている。

Ⅵ型の事例

Ⅵ型は、位牌がない空き家に移転した場合、姓・門中名は移転者の生来のままだが、屋号は前住者(屋敷)のものが継承されるというケースである。

〈事例19〉仲真次門中ウンナの場合

昔、周囲からウンナで同定されていたある家族が屋敷を残したまま本島に移転した。

空き家となったその家にナカマシの男子Sが分家してきた。村民は彼らが仲真次門中であることを知りながらも、屋号は引き続きウンナを用いた。それにしたがって姓も「恩納」になった。

しかし、ウンナにはもともと神棚があることから、恩納門中を別個につくるべきだとする動きもある。

〈事例20〉南風原門中タルへーバラの場合

ヘーバラの次男だったTは、分家当初は当時空き家だったヘーンクシを借りて居住した。まわりからもへーンクシと呼ばれ、姓も屋号をならって「久志」を名のった。

その後、現在地に移転してからは、屋号はタルへーバラと改められたが、姓は依然「久志」のままだった。門中の集まりのときに「これはおかしい。南風原門中ならそれに準じる名であるべきだ」という話になり、昭和22年「南風原」から風をとった「南原」へと改姓した。

門中帰属はヘーンクシ時代も南風原門中であった。



以上が仲真次、安里、南風原の三門中の動態から見出せる姓・屋号・門中名の不一致ないし不統一の具体的様相である。

最後に、六分類には収まり切れないと思われる次の事象を紹介しておく。

〈事例21〉仲真次門中イハの場合

幾世代前にナカマシ家から分家がなされ、その分家の何代目かの当主Uが、首里上りの帰りに伊波某(V)を連れてきて、自分の屋敷内の別棟に奉公人として住まわせた。U夫婦はその後しばらくして他界したため、あとに残されたWら子どもはVとその妻を親代りとして成長した。

この時期に当家は村民からイハとして同定されるようになり、子どもらも「伊波」の姓を冠するようになった。

育て恩があるため、現在にいたっても改姓はされていない。Vには子どもはなく、イハはWが継いでいる。V夫婦の位牌は首里に送られ、Vの甥が養子の形で継承している。

<一致しないシリーズ終わり>

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