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旧聞#4 ラマダーンの静寂|Essay

世界にはいろいろな時間秩序がある。マヤ文明で用いられた暦法は相当に難解で、二つの暦の組み合わせから世界は260年ごとに生死を繰り返すと信じられていた。数日前に沖縄に今年2回目の正月をもたらした太陰暦は、今でもアジアの国々で重宝されている。

イスラム暦もそうだ。アラブ諸国の生活を律している頑固なこの暦のおかげで、世界は西欧近代主義による単一化をなんとかまぬがれている。

そのイスラム暦で節目を演じているのが、人々に断食を義務づけるラマダーン月である。ラマダーンの昼間はいっさいの食べ物はもちろん、水やタバコが禁じられ、敬虔な人にいたると唾液を飲み込むことさえはばかられる。

この期間の日の出から日没までは長い。昼ごはんをとる必要がないから、仕事は朝からブッ通しで午後三時頃には終わってしまう。ここからがまた長い。男たちはサービスのないカフェに勝手に腰かけ、何をするではなしにただ通りを眺める。

喧嘩も多くなる。空腹のせいかニコチン切れのせいか、普通の呼びかけにさえ殺気だって返事をする。僕はモロッコで、若いバスの車掌がわずか五キロほどの路線で三度も乗客と口論するのを見た。

夕方は静かだ。世界中の静寂が集められたかのようだ。人々は早くから家庭か街角のレストランで食卓を囲んでいる。まだの人が足早に家路を急ぐ。動く影といったらそれだけだ。サハラ砂漠から流れくる劇的なオレンジの空気の中でその沈黙の光景を目にしたとき、僕は感動と少しばかりの羨望をおぼえた。そこでは戒律が人々をひとつにしていた。

やがてイスラム寺院からアザーンの声が聞こえ始めると、世界は一変する。コーランを唱えるのもあわただしく、人々はパンをつまみスープをすする。ここから日の出まではまさに十人十色。各々の戦略をもって昼間の絶食に備える。寝るまでに三食とる人もいれば、夜明け前に起きてむりやり食事をかきこむ人もいる。仕事がない人などは昼と夜を逆転させて生きる。おかげで、昼間の遅れをとりもどしてあまりある売上げをレストランは夜に得る。

アラーの教えに誠実でないとしても、これだからアラブの夜はおもしろいのだ。


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