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ホワイトな学校へ#8 寄り道① 学芸会が好き(⋈◍>◡<◍)。✧♡

私は小学校の頃から、学校の先生になりたいと思っていた。でも、高校生の時、漠然とではあるが、脚本を書いたり映画を撮ったりする仕事をしたいと思った時期があった。そのような仕事に就く方法を調べたりもしたが、自分には業界で生き残れるほどの才能はないと、諦めた。
その後は、未練が残るのも嫌だったので、敢えてそちら方面には近づかないようにしていた。

そして私は教員になり、学芸会に出会った!
初任の学校では、1年おきに学芸会が行われていた。
最初の学芸会は、2年目の5年生の担任の時だったが、これが、見事に全く記憶がない。学年主任が主になって指導したのだと思うが、記憶ゼロ。何の演目だったかも、覚えていない。
主体的に取り組まないと、何も身に付かない典型です(涙)

そして、その2年後。
3年生を担任し、初めて学芸会の指導を任された。演目は、「ハリネズミのかけっこ」
このときは、セリフの数を子供たちの数に合わせたくらいで、既成の台本をほとんど変えなかった。
が、ここで封印していた私の映画愛が蘇った。

自分がやりたいように演出ができるのでは?!

「ハリネズミのかけっこ」
このお話は、みんなを困らせてばかりいるキツネ(だったと思う…)を、かけっこをして勝ったら悪さをやめる約束をして、ふたごのハリネズミが知恵を使って勝つ…というような単純な話だったと思うが、演出を工夫してみた。
キャストが体育館中を走り回ることにしたのだ。キツネはヘロヘロになって客席の間を走る。キツネが客席を走っているときは、舞台上にハリネズミが登場し、舞台についたときは、客席後方にハリネズミが現れるという演出だ。
すぐそばを役者が通るのだから、観客である保護者は大喜びだった。

さらに私の映画愛の蘇りに拍車をかけたのが、同僚のT先生の存在だった。その先生は、ミュージカルの「オリバー」や「アニー」の台本を、自分で学芸会用に書き下ろしていた。学芸会という限られた時間の中で、話の筋を違わず、歌や踊りも入れていた。
あまりすごいので、T先生に何者なのか聞いてみた。そうしたら、教員になる前は、某テレビ局に勤めていて番組を作っていたのだと!(ディレクターだったと思う)でも、あまりの激務で、自分の生活も大事にしたいから辞めて先生になったのだそうだ。だから、学芸会が大好きなんだという。
「私もです!!」といったら、まずは既成の台本をアレンジするところから始めるとよい、と教えてもらった。

満を持して、2年後。私は、また3年生の担任だった。その年は、学芸会委員長も任せてもらった。(といっても、各学年で学芸会担当にになった先生方が集まって、誰がやる?ということになり、「もう6年目だし、あなたやれば?」ということで、集まった中では一番の若輩だった私が委員長になっただけなのであるが…)

「七つの太陽」

大昔、太陽は七つあり24時間出ていて、人々は暑くて暑くて辟易していた。そこで、山奥に住むオププロ―さんという強い人に頼んで、太陽を壊して一つにしてもらって、めでたしめでたし。というような感じの中国のお話だったと思う。後半、かなり変えてしまったので、今となってはどこからが自分のオリジナルかわからなくなってしまったが、それくらいアレンジした。

まず、太陽たちが登場するとき、「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む…」の歌詞でおなじみの「夕日」という童謡の替え歌を歌うことにした。

「ぎんぎんぎらぎら俺たち太陽 ぎんぎんぎらぎら熱いんだ…」というような歌詞にしたと思う。そして、太陽1号2号3号4号5号6号は口々に「俺たちは太陽だ!」「真っ赤に燃える太陽だ!」「24時間働くぞ!」というような決意を述べるが、7号がいない。7号は怠け者で働きたがっていないという設定。太陽たちは舞台上の跳び箱の上にのってぎらぎらと働く。7号だけは渋々と働いている。

人々がオププロ―さんに太陽を壊してもらうときのセリフは、当時はやっていた「カメハメハ―」にした。オププロ―さんは、遠くの山にいるのでギャラリーを利用し、そこから「カメハメハー」を放った。オププロ―さんは6号までは壊したが、7号は逃げて隠れてしまう。さて、太陽が全部なくなったら今度は、暗くて寒くて仕方ない。人々は、7号に出てきてもらうよう算段する。いろいろな動物たちがいろいろ試すがだめで、最後にニワトリたちが「コケコッコー、朝ですよ!」と言うと、7号がびっくりして出てくる。人々は、7号に元通り働いてくれるよう頼むと、7号は「24時間働くのは嫌だから、1日の半分だけなら働いてもいい。」と言う。だから今のように太陽は1日の半分だけ働いている、という結末。最後は「朝日だ 朝日だ あったかい朝日だ♪」というような歌を歌って、カーテンコール。

限られた時間なので、ギャラリーや張り出し舞台(ひな壇)などを使って、暗転がないよう工夫すると劇がしまる。話の中身は単純でも、演出次第で見せる劇になる。
そして、同じ役同士などでグループを作り、セリフの言い回しや立ち位置、動きを考えさせるなど、必ず子供たちが主体的に取り組めるように仕組む。
簡単なことを、あまり時間をかけずにきちんとやる。これが、子供も先生も観客も満足する秘訣。終わった後の達成感は何ものにも代えがたい。

同時に喪失感も大きい。この喪失感が中毒のように次への意欲につながっていく。

「夢里人形館」

この学校で見た「夢里人形館」というお話が衝撃で、心に残った。舞台は人形館で、脇役である人形たちは最初から最後まで舞台上に出ずっぱり。実は、この人形たちは皆、元は人間で、夜中になると魔法が解けて踊りだし、朝が来るとともに元の人形に戻る。最後、エレクトリカルパレードの明るい音楽に合わせて、少しずつ人形館の幕が閉まっていく。家出をして人形になってしまった主人公の「助けて!」という声で幕が閉まって終わる、という問題作。

翌年、異動した先の学校で、T先生の「オリバー」をアレンジしてやらせてもらった。結末を変えたら、それはよくないと怒られた(ごめんなさい…)。

その数年後、4年生を担当したとき、温めていた「夢里人形館」をやった。話の大筋以外はすべてオリジナル。すごく楽しかったのに、残念ながら台本が見つからない。今からでも同じ台本が書けるくらい、演出もすべて頭に残っているのだが…
というか、私が手掛けた台本は、すべて見つからない。

いつか、開かずの物置を整理するついでに発掘しようと思う。

もう一つ、全くのオリジナルでやりたかったのが、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」。低学年を担任したら、絶対にやろうと思っていたのに、初任校1年めに1年生を1回受けもったきり、とうとう、低学年をもたせてもらえずに教員時代が終わってしまった…

書き下ろして提案することも考えたが、私の立場から言われたら、先生方はNoとは言いづらいだろうし、演出の出来具合も気になって、変なプレッシャーをかけてしまうので、私の趣味の押しつけはしないことにしている。

少しの寄り道のつもりが、長くなってしまいました(;^_^A
学芸会は、子供たちと一緒に楽しみながら取り組める行事の一つだと思うので、食わず嫌いにならず、機会があれば、ぜひチャレンジしてください。

「夢里人形館」余力があったら、いつかご紹介します。

次回は「その6 やめてしまわない選択」です=^_^=


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