おやこで通う小学校②特別支援級が、公教育を変える突破口になるのでは?
この春、小学1年生となった珍獣(兄)と
彼の極度の分離不安により、共に教室入りすることとなった私。( ゚д゚)マジカヨ
初登校日は、持ち物全忘れという衝撃の展開からスタートした。ポンコツ
手持ち無沙汰で母はぼんやり。
珍獣(兄)は半泣きで「帰りたい」を連呼していた。
そこに降ってきた天の声。
「《支援級》に行ってみる?隣にあるんだよ!」(by見回りしていた補助の先生)
その誘いを、わたしは1時間目からずっと待ちわびていたのだ。
支援級とは言わずもがな、特別支援学級のこと。
学校内に設置されている、何らかの障害を有するとされる子どもたちのための学級であり
我が自治体では域内の全学校に備えられているという。
珍獣(兄)が希望すれば、ここに通えるよう、年度末ぎりぎりに手配しておいた。
理由は3つ。
人生は、選択の連続だ。
この先をたくましく生きてもらうためにも「自分で選び、決める」経験を積んでほしいとわたしは思っていて
だから大半の時間を過ごす学級についても、選択肢の中から自分で選んでもらう環境を用意したかった、というのが1つ目。
2つ目は、珍獣(兄)の、超マイペースでこだわりが強い性格や
人が大勢いる場所を避けがちな傾向を踏まえると
支援級の環境のほうが、彼らしくいられると思ったから。
そして3つ目。
既に支援級に在籍している子のお母さん方から、話を聞く限り
「支援級の在り方こそが、これからの時代の学校教育のスタンダードなのでは?」と感じるから、だ。
異年齢の少人数学級であること。
1人ひとりに合った学習カリキュラムを柔軟に作成し、個々のペースを大切にしているらしいこと。
手先を使った作業や、体験型学習の比率が高いらしいこと。
…などが判断材料となった。
一律の内容を全員が一斉に習う授業のスタイルや
数値化が可能な学力…いわゆる認知能力一辺倒に見える教育の在り方に、少なからず疑問を抱いてきたわたしにとって
支援級のスタイルはとても魅力的で、先進的とさえ思えた。
大げさかもしれないけれど、支援級の在り方こそが
学校教育がステージアップする際の、突破口になるのではないか。
そう、妄想した。゚+。*゚+。(●´艸`●)ホワワワ~~ン。+゚*。+゚
といっても、自分の目で見て体験しなければ実際のところは分からない。
だから…
「珍獣(兄)よ。
これからの時代を共に生きる仲間として、満6歳児である君が
現場を体験し、報告してくれたまえ!!」
彼は無自覚のうちに、調査要員としての密命を帯びたのだった。
ただし支援級と一口に言っても、自治体どころか各学校、更には先生によって実態が相当違うらしいことも分かっていた。
その中で、我が家から自転車で20分ほどの場所にある学校について
全体的にアットホームだし、支援級の評判がとてもいい!という情報を複数筋から得た。
そこならば、珍獣(兄)にとってもわたしにとっても、友達や顔見知りがたくさんいる。
調査員兼新一年生である彼も安心して通えるだろうと考え(実際には、それでも母同伴となったわけだけど)
学区外である現在の住まいから、そちらへ引っ越すことに決めた。
こうして、夢の支援級デビューを(なぜかわたしも)飾ることになったわけだが
実際には、想像以上にエキサイティングな日々が待っていた。
支援級が抱える課題にも直面しつつだが、それも含めて現在絶賛エンジョイ中だ。
それはまた追々、書いていくとして…
珍獣(兄)は、一般級のどんな点に居心地の悪さを感じたのだろう。
不思議に思って後で聞いてみると、こうはっきり答えた。
「先生が全部決めるから」
( ゚д゚)
そんな強靭な反骨精神持ってるなら、わたしの同伴いらんやろ。
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