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《珍獣もわたし(母)も、支援級だからこそ学べたこと。/おやこで通う小学校㉓》

先日書いた
「まずは母語だろ!!(ꐦ°᷄д°᷅)」…そう思いつつも、英語の授業で得られたものがあった話/おやこで通う小学校㉒
には、続きがあります。

𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧

ネイティブスピーカーの先生とのやり取りが楽しくて
テンション爆上がりの、支援級の子どもたち(注、珍獣・兄を除く)。
そのうちヒートアップして
笑い転げたり、指名されていないのに勢いよく答えてしまったり…。
特に、常に賑やかで、思ったことや感じたことをそのまま口にする(しかも腹からの発声で)タイプのG君は
賑やかさに拍車が掛かって、めちゃくちゃ楽しそうだ。

そんなタイミングで、フォローに入っていた支援級の担任の先生の1人が、わりと厳しく皆を叱責した。

個人的には、賑やかだけどそもそも少人数ということもあって、「騒がしい」とまでは感じなかったし
授業としてきちんと成り立っていたので、ぎりぎり「活発な授業」といっていい範疇に思えた。
それはわたしが、珍獣・兄に付き添い、学校に滞在している日々の中で
「学校生活全般にもっと、余白や解放感があればいいのに…」と常々感じている、という前提があったからだと思う。

何にしても、「活発な授業」と「騒がしい授業」の線引きは、はっきりしない。
その判断を常日頃迫られている先生って、本当に難易度が高い仕事をしているよな…と改めて実感した。

そんなことを考えながら、引き続き珍獣・兄の隣に座って授業を眺めていたら←もはやアラフォー児童
一番前の席に座る女の子の様子が、おかしいことに気づいた。
両手で両耳をふさぎ、机に突っ伏している。

あれ?大丈夫??具合悪いんじゃ…

と、わたしがうろたえる間もなく、女の子は先生に促されて教室を出て行ってしまった。

一番前の廊下側に座っていたから、出ていった瞬間はあまり注目されなかったけれど
皆すぐに彼女が姿を消したことに気付き、口々に「どうして?」と呟いた。

すると先生が言った。

「みんな、うるさかったよね。
◯◯さんはね、騒がしい環境が苦手なんです。
今、隣の教室で休んでます」

教室は静まり返った。
G君も、押し黙った。

わたしは、自分の思い違いを悟った。

活発か、騒がしいかの線引きは、難しいのではなくて
人によるのだ。

人によるのだから、その時々で、その場にいる面々がそれぞれに折り合いを付けながら
全員が気持ちよく過ごすための一致点を、見出す努力をする必要があるのだ。

𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧

珍獣・兄と共に、学校で、他人と協働するために大切なことを学ぶことができている。
これは大げさでなく、民主主義の根幹をなす要素だと思う。
そして、“特別支援学級だから”学べた、とわたしは思っている。
なぜなら、支援級には、個性が比較的際立つ子どもたちが集まっていて
それぞれの個性を、なるべく尊重するように先生たちもサポートするので
「みんな違って、みんないい」を、スローガンではなく実地で学ぶ機会が日常に散らばっているから

繊細な感性をもつ珍獣・兄にとって、1人ひとりに寄り添ってくれるだろう環境や、アットホームな雰囲気が合っているかもしれないと考え
彼が望めばそこを選べるよう、支援級に入れる手続きを昨年度末ぎりぎりにしておいた。
その選択をしてよかった、と今思う。
想像していたよりも、はるかに多くの学びがある。

𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧

よくよく考えたら
大人になってから、他者とのコミュニケーションや協働を学ぶ機会って、あまりない気がする。
でも、これらなくして成り立つ仕事や社会活動は、ほとんどないから
具体的なスキルや知識と同等、もしかしたらそれ以上に大切な要素のはずなんだけど。

母子登校は大変だし、少なくとも年内までと区切りをつけるつもりだけれど(珍獣次第)
わたしも本当に、貴重な経験をさせてもらっている。

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