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幸せは主体的な姿勢から──『世界一流のエンジニアの思考法』読書感想文

わたしと同じく日本国内の企業で働く知人や友人の仕事話を聞いていると、「主体的・自律的に仕事をするということが許されていないのかな?」と思うことが多い。

それは組織のあり方のせいでもあるし、個人のあり方のせいでもある。
組織のマネジメントはメンバーを「管理」することが第一義であるかのように見えることが多いし、
個人には、組織の中で自分に課されたものを把握し、達成までのプロセスを考えて実行するのは「自分である」ということに対する意識が薄いように感じることが多い(私観だが、企業規模が大きければ大きいほど顕著に見える)。

自分が何を目的に働いているかわからない──組織と個人が相互に仕事に求める成果がすり合わされず、曖昧なままに仕事をしている。
だからたとえばその成果を定量的に見えやすい時間で解決しようとしたりする。長時間労働していれば「がんばっているでしょ」って。
もちろんそういう考え方は、ここ数年で劇的に減ってはいるものの、まだまだ根強い。

世の中にはさまざまな職業が存在するから、時間切りのシフト制で働くことが一番効率の良い仕事もある。一方で、毎日やることが違うのに、季節によって繁閑あるのに、毎日同じ時間だけ働くことを強要されている仕事もたくさんある。

そこに個人の裁量がないのは、なぜだろう。
なんでこんなに妙ながんばり方をしてしまうのだろうか。

日本人には、きっと仕事に対するマインドチェンジが必要なんだ。
なんて課題感を持っていたら、この本にはわりとドンピシャなことが書いてあった。

マイクロソフトという世界中から優秀な知能をもった人材がわんさか集まるような企業であることはもちろんこの話の前提として忘れてはならないし、話の舞台であるアメリカでは基本、求められる成果を出せなければ次の期は減俸もしくは仕事がなくなるというシビアさがある。

そういう前提はあるけど、組織が変わることを求める前に自分が変わることができるアイディアが、この本にはたくさん書かれていた。

いくつか、すごく実践的でいいなと思った部分を紹介する。

一つだけピックアップする

「優先度を決めよう」といったはずが、結局あれもこれもと入れがち。超あるある。優先度の低いものをバッサリと切り捨てるのは恐怖感があるが、あえて最優先を一つに絞るという考え方にする。
例えば、開発であれば“あったほうが良い”機能というものはすべて仮説に過ぎない。だとしたら、直近で開発を行う機能を“絶対にあるべき”ものだけに絞り込むことは妥当すぎる決断ではないか。“あったほうが良い”他機能の開発要否の判断材料を最もユーザーから引き出せる機能から着手するなどの絞り込んだ判断こそが開発戦略だと思う。物理的にやることも減るし、タスクをシンプル化することによって作業効率も上がる。

時間を固定して、できることを最大化する

仕事のタスクはどれもこれも大切に見える。「すべき」で考えているといつまでも終わらない。だから、まず時間を決めるのだと著者はいう。その時間の中で一番バリューが出る方法を探る。それこそが一番の「バリュー」ではないか、と。

「準備」「持ち帰り」をやめてその場で解決する

会議とはなんぞや。という本質に帰ることのできるポイント。
著者は会議は意思決定の場だという。私も同感だ。会議は合意形成・意思決定の場所だと思っている。資料の共有はオンラインでできる時代だ。主要な関係者の揃う会議は、合意にこそ時間を割くべき。
共同編集ツールの発達した現代であれば、意思決定のための作業も会議中に行える。「みんなで決めたこと」だから、後戻りもしにくい。会議を有効に活用できれば、他の時間は自分のタスクに集中できる。

リスクや間違いを快く受け入れる

これは結果に甘えていいということではなく、「失敗から学ぶチャンスがある」「チャレンジが正当に評価される」ということ。
誰だってリスクはない方がいい。でも、やってみたら違った、やってみたけどうまくいかなかった。そういうことは当たり前にある。それを論い罰する環境より、その時に、迅速に正直に失敗を表沙汰にし、代替案を話し合える環境の方がよっぽど創造的で生産的な現場ではないかと思う。

「無理・断る」を練習する

これは情という観点から、実際に行うのはとても難しい。自分が解決策を持っていないものでもついずるずると一緒に悩んでしまいがち。
でも、薄々気づいているけど、それってやっぱり時間の無駄。解決策を提示できる人を紹介するなど、次のアクションの見当を迅速につける方が、相手にとっても結果ハッピー。

相手が求めている情報への感度を研ぎ澄ます

自分がわかるための情報ではなく、他者が求めている情報という形で整理しておく。そうすれば、質問に対して的を得た回答ができるし、引き継ぎなどもスムーズだ。常に情報を提供する「相手」を想定しておくことがコミュニケーションをスムーズにする。



日本で生きてきて、他の人と会話する中で、考え方がなんて他責的なのだろうと思うことがわりとある。

なんで誰も助けてくれないの。自分はこんなに苦しんでいるのに。

私自身もいまだにそういう風に考えてしまう時もあるし、過去はさらにそう考えることが多かった。
でも、三十歳を超えたころにようやく気づいた。

いや、ヘルプを出すことも何も、行動していないのは自分で、そんな状況で他人が手助けしてくれるわけないじゃん!!

助けを求めるにしても、必要なアクションは自分で起こす。状況は、自分の力で動かさなければいけない。そんな当たり前にもなかなか気づけない。


本書の最後の見出しは「自分の人生は自分でコントロールする」だ。
そこで著者は以下のように言う。

本当にあなたがそれをやりたいと思ったら、全部がそのままの形でなくとも、できることから自分で変えて、工夫してやればいいのだ。なぜ、できない言い訳を「他の人」に求めるのだろう?

第七章 AI時代をどう生き残るか?(p.264)

自分の行動に責任を取りたくないだけじゃないのか?
それってただの甘えじゃないのか?
それを選んだ上で、愚痴っているだけなんてかっこ悪くないか?

みんな楽しそうに、人生と仕事をエンジョイしている。どうやったら自分の人生が幸せになるかを主体的に考えて、仕事の仕方を「選択」している。

第七章 AI時代をどう生き残るか?(p.264)

「主体的」

これは私たちを変える大きなキーワードだと思う。
仕事だけでない、人生全般に言えることだ。
自分の人生なのに、主体的になれない。これ以上の悲劇があるのだろうか。

人生において欲しいものすべてを手に入れられるわけがないから、「選ぶ」ことが必要だ。
その選択を他者に委ねて不満たらたらの人生より、自分で選んでちょっと苦しいけど納得のいく人生の方が。

絶対に幸せだろうなと思う。


カバー写真:Image by Andre Mouton from Pixabay


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