目覚めることのない悪夢──『一九八四年』読書感想文
自分の生まれ年がタイトルになっているということで、気になっていた小説。
ジャンルはSFになるのだろうか。これが1949年に書かれた物語だということにまず驚く。当時の近未来のパラレルワールドが舞台ということや、「人間の性(さが)とは」という普遍的で時代性のないテーマを深く追求している内容ということもあるのだろうが、まったく古さを感じない。
翻訳がとても読みやすく、ページをめくる手が止まらなかった。
書籍データ
導入あらすじ
戦争は平和なり
自由は隷従なり
無知は力なり
このスローガンを掲げた政府が支配するオセアニア国のロンドン(のちに、オセアニアは世界を三分する大国の一つだということがわかる)の市民、39歳のウィンストン。
〈ビッグ・ブラザー〉と呼ばれる人物がトップに座す20世紀の社会主義国を明らかに模したその国で、彼は他の大多数の人間と同じく「善良な党員(市民)」としての生活を送っている。
テレスクリーンという至る所に置かれたデバイスにより、視覚・聴覚監視(体温や脈拍まで)されている世界。その間断ない監視に怯えながらも、自身の心の中に潜む抑えられない欲求にしたがってウィンストンは密かに「罪」とされる行為を重ねていき……
世界観
※ここらへんからネタバレも含んでいきます。
本書では、著者の書きたいテーマを展開する舞台装置として緻密な世界観が設定されている。
まず真理省(ministry of true)、平和省(ministry of peace)、愛情省(ministry of love)、潤沢省(ministry of plenty)という人を小馬鹿にしたようなネーミングの4つの政府機構。
”党員”はそこで国から与えられた、全貌や目的がけっして把握できないほどに細分化された仕事をこなす。(ちなみにウィンストンが与えられている仕事は半ば公然と行われているメディア記事の改竄作業)
一般人からは姿も形も見えない政府中枢が、その体制を維持するためにありとあらゆる手を尽くしていることが、ストーリー前半から描写を惜しむことなく存分に描かれる。
人間のランク──上層・中層・下層という明確な線引きや、思考犯罪者に対する逮捕、拷問、処刑などの”わかりやすい”施策。
そのほかにも下記のような施策が隅々まで張り巡らされた社会。
人民の無知化
世の中の情報交換は”音声”によって行われ、文字は市民の手から奪われている。
言語は簡略化され、感情の機微を表すニュアンスは「不要」どころか「なかったもの」にされる。
大人たちは何かしらの寄り合いや組織に属して常に互いを監視し合い、
子どもたちは”スパイ団”に属して親を告発することをも「正義」として育てられる。史実改竄
時にあからさまに、その場の状況に応じた都合の良い過去にメディアは上書きされる。欲望のコントロール
中層に属する党員は恋愛も、性行為も、心のままに何かを「美しい」と感じ、心を昂らせることさえも統制される。
人々の欲求は、実在すら言及不可能な〈ビッグ・ブラザー〉の天敵〈ゴールドスタイン〉や、相手国すら一瞬のうちにすり替わる戦争の敵国への憎悪にすり替えられるよう仕組まれる。
下層市民の思考統制は、もはや個別対応にも値しないという立ち位置で、欲望の吐口として自動生成された歌や猥談の冊子があてがわれる。宝くじ、酒、タバコ、目の前の生活が彼らのすべてで、「疑問」をもった存在は中層市民同様に「いなくなる」だけ。
このような世の中で、大半の人間はその構造を受け入れているようにみえる。その社会のあり方にじわりじわりと異常さを感じ、疑念を抱くウィンストン。しかし、彼はまず周囲や社会ではなく、自分が「狂っているのではないか」と疑う。
心は、絶対に他者には奪えないのか
そんな彼が、ふとしたきっかけで自分と”同じ考え”を持つジュリアに出会うところから、物語は大きく動き始める。
心の中で体制への違和感を感じながらも、身につけた処世術で対処してきたウィンストン。
心の中で体制を嫌悪し嘲笑しながら、本能的な賢さと行動力で生き抜いてきたジュリア。
弱さと強さ、臆病と勇敢、賢さと愚かさ、理性と欲望。
都合の悪い過去は、無意識的に”改竄して”、平凡な今日を生きているふりをした人間。
ごく普通の人間らしさを持ち合わせた二人は出会って、互いの本音を明かし、禁を犯して男女の仲になる。
しかしその行為は、当然見過ごされ許されるものではなく、一縷の望みと大きな期待を寄せた存在にもあっけなく裏切られた先には、あまりに非情な現実が待っていた。
度重なる執拗な拷問により徐々に思想同化し、不幸な結末を予期していてもなお最後の砦であったはず「愛」すら裏切って……最後にウィンストンがたどり着く結末。
人の心だけは、何者にも奪うことはできないのか。
結論、この話の主題である「人間らしさとその喪失」を体現する二人の愛がハッピーエンドであるわけがなかった。
この体制に、終わりはない
序盤に提示されたこの文句は、〈ビッグ・ブラザー〉がある限り永遠に変わらない。そんな徹底したリアリズム展開がラストまで畳み掛けるように展開する。小説だから、という読者の甘い期待はもろくも崩れ去る。
この世界からの解放は、ウィンストンがたどり着いたそこしかないと、思い知らされる。
さらに怖いのは、結局ビッグ・ブラザーが「実在するもの」なのかがわからないところだ。
現実世界の20世紀、独裁者と呼ばれた人物は少なくても実在していたから、その死によって社会が大きく変化するということが起こった。
しかし象徴が「概念」だった場合、その体制の支配に明確な期限はない。
そういう意味でもこの小説は、主人公の抱えた絶望感を徹底的に読者に共有してくれる。
「旧世界を知っている、人間らしさを失わない人間がまだいる間であれば……もしかして、この世界は変えられるのではないか……」という期待さえ持つことができずに物語は終焉を迎える。
終始一貫したこの無情な世界観は、明らかに現実世界を素地にしている。
「この救いのない話はすべてフィクションです」で済まされるかというと、そうは思えないところがこの小説の凄みだなと感じた。
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