見出し画像

今日は日航機墜落事件の日である。

日航機墜落事件から38年前の今日1985年の8月12日6時50分JAL123便が御巣鷹の尾根に墜落しました。
乗客乗務員524人中生存者が4人。
機体が離陸して数十分後に突然の爆発音に全員が驚いた様子だったのです。
最初は羽田空港まで戻ると管制官にお伝えしてましたが、機体が急降下していたため横浜の米軍基地から緊急着陸の許可が出ましたが、間に合わず御巣鷹の尾根に墜落したのです。
その時は何故爆発が起きたかは不明だったのですが、尾翼が折れてしまった事が原因で操縦不能になったのです。
最初は飛行機の製造ミスと思われたのですが事故の7年前に尾翼にヒビが入ってそれを修理した事が原因だったと言われてます。
この当時私は2歳と3ヶ月でした。当時2歳だった私は兵庫県の神戸に住んでおりました。父は仕事が忙しくて休めなかったそうですが、私と母2人で父方の両親の実家へ行きました。母は当時は腰を痛めた状態でした。お盆休みで親戚の方々と一緒に過ごしていたのです。私達が北海道に着いてから2日後に日航機が墜落したとの事です。
この事件を知って母は帰りの飛行機に乗るのが怖くて乗りたくなかったと言ってました。一番安全な後部座席を希望して帰ったのです。

操縦士3名は最後の最後まで必死だったと思います。
日航機墜落事件は歴史的に残る悲惨な出来事だと思いますが、風化される事はないのです。
犠牲者520人のためにも安全で安心出来る技術が今後とも開発が進むようになっているかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?