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よくある人生の道のり。すこし特別?だったのはWBS出演かもしれない。

こんにちは。初めまして、きのわきたかこと申します。初 note 投稿です。その場合、自己紹介がいいですよ!と、あちこちへ書いてあったので、自己紹介を書きます。

「note ってなんだ?」の疑問符がでてきて、あちこち読んだあとです。読んでも、まだよくわかりません。アメブロを書いたことがないので、「ブログとおなじですよ」と、教えていただいても、なにか、其れとは違う感じがしています。とりあえず、自分のことであれば書けそうなので書きます。

時系列で、自分の歴史をくだってみます。


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◇ 現在←2012年

拠点、岡山県倉敷市。現在「team LOVE」独立9年目。独立後は、現場経験を生かし、独自の研修カリキュラムにてブライダルスタイリストに特化した、売上を上げる為の育成研修を、各地の衣裳店、結婚式場へ出向き行っています。

特許庁登録自社開発商品「Bon bon hip」TV東京経済番組WBS「トレたま」特番にて年間特別賞受賞。

僭越ながら、「ブライダルスタイリスト」という職業を、少しは社会へひろげることができたかも?と思います。

岡山ウエディング協議会「夢婚」第2回・第3回・第4回のスタイリストを受持ちました。未来の子供たちの為に、残すべき社会の在り方を問いながら、経営者仲間と切磋琢磨する現在です。

起業したころ、業界は低迷期のど真ん中へ突入したころでした。起業の理由は、組織を卒業して実母の介護をして、母をみおくって、「生きるために、動かなければ」と気づいた時、横をみたらブライダルが隣にいてくれました。


それは、ごくごくあたり前のように隣にいました。母を失い、身のおきばさえわからず、地べたを這うように生きていた時のことです。
「私にはブライダルが在った」だから、次の日から立ち上がり動くことができました。


よって、独立したい!とか、経営者になりたい!とか、思ったわけではありません。サラリーマン生活が長かったので、起業という言葉は、身近ではありませんでした。ただ、育った環境において。

事業家の父の元で、「たかこ、このお菓子を、もっとおいしくするにはどうしたらいいと思う?」「たかこ、このひとが、こまっている。かいけつしてあげるにはどうすればいい?」「たかこ、かりたものは、きめたひにちよりもまえにかえすんだ!」などなど。


幼い時から、子どもに分かりやすく、商いを話してくれる父の存在がありました。そして、「社長になれ」「日本一になれ」と、耳にタコができるほど、6人の兄弟姉妹に言っていました。豪傑な父でした。


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◇ 組織にいたころ、2011年←1989年

「ブライダル企業」にて組織づとめをしてました。ブライダルスタイリストとして22年くらいです。この期間は、人生で最もハードでおもしろかった時です。死ぬほど働きました。

自慢できるほどの実績(売上)を組織にのこしました。自宅と仕事場と、ときどきスーパーマーケット。この往復だけ。

今にして思えば、過度な働き方でしたから、死ななかったことが不思議です。かなり丈夫に産み、そだてていただいたのだと思います。感謝です!

この時のことを、プロフィールとしてお知らせする時の文面です。↓


30才パートの主婦が、ブライダル衣裳店の裏戸をノックした時から、ブライダルスタイリスト人生がはじまりました。31年目になります。企業人として組織勤め22年。岡山NSHIKIYAグループ衣裳部門にて、ブライダルスタイリストとして3,000組のブライダルスタイリングと、1万組近くの新規接客を手がけました。幹部職として、衣裳仕入、売上計画管理、美容部門管理、人材育成研修、自社ブランド構築、ブライダルフェア企画運営、メディア戦略等を行いながら、衣裳部門現場リーダーの役割として、売上のトップ実績を挙げ続けました。組織にて、鬼のように売上を上げ続けた理由は、部下の給料を1円でも多くしたかったからです。


▶ その頃のことを、ほんの一部ですがマガジンへまとめました。
「ブライダルの現場にて学んだ日々のこと、1989年~2011年」

仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、、、。


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◇ 主婦のころ、1988年←1979年

主婦です。二人の子供の母業だけをしていました。短期間のパートを、いくつか経験しました。(保険外交員、化粧品訪問販売、事務、スーパーレジ、お惣菜やさん、ガードマン?など)どれも、おもしろかったです。

このころ、ママ友さんに着付けを教えてもらいながら「着付け講師の資格」を取得しました。人生で、初資格取得です。

亡き母が、私の成人式に、自分で振袖を着せるために、着付けを習っていました。それなのに、成人式の日、出かけてしまい、振袖を着ることをしていません。そんな、大馬鹿者です。孝子の「孝」は、親孝行の孝なのに。

書きながら、その日のことを想いだしました。


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◇ 1978年←1959年

1959年、熊本で生まれました。幼いころは、お転婆でした。本人に自覚は、まったくありません。行きたいところへ行き、やりたいことをやりたかっただけです。現在につながる兆しは、このころから顕著に現れていました。

父が、大阪へ出ることになり、大阪にて、多感な時期をすごしました。北と南でよく学び、よく遊びました。そのころ、具体的にこの世界へ憧れはじめました。

大阪の繊維問屋街、本町、堺筋本町にて、生地屋さんをみて歩くのが何よりも楽しかったです。わくわくドキドキしながら、日が暮れるまで界隈を歩いていました。

高校卒業後、デザイナーに憧れ、登竜門と言われた東京文化服装学院への入学。新宿に在る、学院ではDCブランドのデザイナー達が、あちこち普通に歩いていました。


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◇ 結び

ざっと。現在から1959年まで下ってみました。あっという間でした。人生は、あっという間ですね。思うほどに、長くないと知りました。大切に、生きていかねば!

仕事柄、主に倉敷、京都(実家)、広島にて過ごしております。これからを、これから「note」へ書いていきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。

では、では。明日も、会いましょう!

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