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大失敗から1万2000人規模に!年々人がつながる遠野ホップ収穫祭 #003菅原康

菅原康
Sugawara Yasushi
遠野市役所六次産業室

プロフィール
遠野市出身。1990年、遠野市役所に入職。税務課、商工観光課などでの勤務を経て、2018年から六次産業室に所属。遠野市の特産品を使った商品の開発などに携わる。TKプロジェクトも2012年から担当しており、キリンビールや関係団体との調整役として、地域活性化に取り組んでいる。2015年には遠野ホップ収穫祭を浅井隆平、吉田敦史とともに立ち上げ。遠野市在住歴47年。

「来年もやります! とは言えない感じでしたよ。初めての遠野ホップ収穫祭が終わった段階では……」

2015年、それまでに開催していたビールイベントとは別に、新しいイベント「遠野ホップ収穫祭」を吉田と浅井とともに立ち上げた菅原康は、その当時のことをこう振り返ります。

菅原が吉田と浅井と出会い、これまでのクローズドなビールイベントではなく、新しい企画としてやってみようと意気投合したのが、2015年の5月。それからたった3カ月で遠野ホップ収穫祭の開催にこぎつけたものの、当日が雨だったこともありイベントとしては赤字に。

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「今だったらやりませんよ。吉田さんと浅井さんはイベントのイメージができていたんでしょうけど、私はどうにか期日に間に合わせないと、ということだけ考えていました」

役所の仕事は裏方になることが多いもの。遠野ホップ収穫祭での菅原の仕事も裏方といっていい立場で、だからこそ人にはわからない苦労も多くありました。その一方で、生まれ育った遠野への強い思いも持っていたのです。

大失敗をしても拾う神あり

菅原が遠野市役所に入職したのは1990年のこと。遠野に対しての愛着はあるものの、「面接のときに何を話したか覚えていない」くらい、市役所への入職は「たまたま」だったと言います。

税務課、商工観光課を経て、現在は六次産業室に所属。六次産業室では、特産品を掘り起こしたり加工場を整備したりといった商品開発業務を行っています。商品開発といっても、市役所主導で何かを作り出すというよりも、必要な人と人をつなぐイメージ。最近では、「ホップ和紙」や「青なんばん一本漬」といった商品が生まれています。

また、菅原は2012年から「TKプロジェクト」も担当。遠野市とキリンビールが連携して、遠野産ホップや食材をPRして地域を盛り上げていこうというプロジェクトですが、担当になるまで菅原はTKプロジェクトのことをまったく知りませんでした。

「ホップは子どもの頃にも見て知っていましたが、育つとすごく高くなるので子どもの頃は怖いイメージでしたね。夏になると高く育って、いつの間にか消えていく。あれは何なんだろうと思っていました」

そんな菅原が六次産業室でTKプロジェクトに関わることで、浅井や吉田と知り合うことになります。そして一緒に始めた遠野ホップ収穫祭が大失敗に。当日が雨だったことや市民にコンセプトが伝わっていなかったことが失敗の理由でした。

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予算超過してしまったことで、市役所や市議会からは、なぜ予算内で収められなかったのかと問われることも。それでも、多くの関係者が菅原に手を差し伸べてくれました。次の開催に向けて前向きな発言もあり、菅原ももう1年やってみようと気持ちが変わっていったのです。

「本来であれば、次はなかったはずです。加えて、浅井さんも吉田さんも、収穫祭をやめる気は全然なさそうでしたからね。次もやるしかないなと」

とは言いながらも、菅原はずっと怖かったと言います。また人が来なかったらどうしようと考えると、寝られないし食欲も落ちる。3年目の遠野ホップ収穫祭くらいまでは、ずっとそう感じていました。

遠野ホップ収穫祭はJRが臨時列車を出すほどの人気に

しかし、3年目の2017年、徐々に良くなってきたという感触がつかめるようになりました。1年目は多く見積もって2500人ほどの参加者しかいませんでしたが、3年目の参加者は6000人にまで増えたのです。

市民にも徐々にどんなイベントなのかが理解されるようになってきており、誘い合って参加する人も増えていました。2016年くらいから「ホップの里からビールの里へ」というプロジェクトがメディアに取り上げられるようになってきたということもあるかもしれません。その時期に移住してきた人たちも遠野ホップ収穫祭でブースを出すようになっていました。

参加者が参加者を呼び、年を追うごとに人と人がつながっていきました。その理由はいくつか考えられますが、大きな理由のひとつは遠野がもともとホップの里だったということ。国内有数のホップ生産地で、その地域資産を生かしたイベントだったからこそ、徐々に理解されるようになっていったのかもしれません。

もうひとつは、アットホームなイベントだということ。1年目は赤字で問題になったとはいえ、遠野ホップ収穫祭は営利目的の商業的なビールイベントとは異なる立ち位置でした。また、運営業者を入れない手作りのイベントだったことも、誰がやっているのかが見えるという良さがあったのかもしれません。

その後、遠野ホップ収穫祭の参加者は、2018年には7500人、2019年には1万2000人にまで増えました。

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人口2万6000人の市で参加者が1万2000人。年々参加者が増えていく状況にはJRも動きました。2017年の遠野ホップ収穫祭では、遠野駅発の列車に人が乗り切れず、ホームに乗客を残さざるを得ない状況だったのです。そのため、2018年からは臨時列車を運行させることに。

「このイベントには人が来るんだということが、現実として目に見えたからJRも対応してくれたんじゃないかなと思います」

菅原が浅井、吉田とともに始めた遠野ホップ収穫祭は2019年で5年目。遠野だけでなく、それ以外の地域からも無視できない存在にまで成長したのです。

「あいつらちょっとおかしいぜ」くらいでいい

遠野ホップ収穫祭の参加者数を見ると順調のようにも思いますが、菅原は本質的な課題解決のスタートラインにやっと立った状態だと考えています。課題は、ビールの里を目指した街づくりや農業の後継者など、これから3年ほどでどれくらい進められるかということ。

その上で、菅原の思いは「どこにも負けないビールの街にしたい」

遠野へ行けば、ビールのあらゆることを知ることができる、ワクワクできる。そういった期待感で遠野を訪れて、満足して帰ってもらえる。そんな街を菅原は想像しています。

遠野を他には追随できないようなビールの街にしたい。ビールに関しては、あいつらちょっとおかしいぜ、と言われるくらいがいいのかもしれません。」

また、遠野だけがよくなればいいと思っているわけではない、と菅原は言います。ホップ栽培の課題は日本全国同じような状況。他の地域とも一緒に課題解決をしていきたい。こんな考えを持って働く職員がいる遠野市は強い。そう思わざるを得ません。

「遠野だけでなく、日本のビアカルチャーが面白くなればいいと思っています。でもそのときには、遠野はどこにも負けていないと思いますよ



ホップの里からビールの里へ VISION BOOK


富江弘幸
https://twitter.com/hiroyukitomie

企画
株式会社BrewGood
https://www.facebook.com/BrewGoodTONO/
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